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最近観た映画

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ルイス・ギルバート監督『月下の恋』(1995年 イギリス・アメリカ)

 子ども時代に妹ジュリエットを事故で失い、自責の念を抱き続けていたデヴィッド・アッシュは長じて超心理学の教授となります。デヴィッドは幽霊の存在を否定し、世の中の心霊現象のインチキを暴き続けていました。
 ウェッブという老婦人から、悪霊にとり憑かれているので助けてほしいという手紙を受け取ったデヴィッドは、サセックスにあるエドブルック邸に向かいますが、車で出迎えてくれた美しい女性クリスティーナ・マリエルに魅了されてしまいます。彼女からウェッブは彼女たちのばあやであり、精神的なバランスを崩していると聞かされます。
 長男のロバート、次男のサイモンからも歓迎されるデヴィッドでしたが、ばあやの主張する幽霊現象は発見できず、彼女が精神的な病にかかっているのではと疑います。
 奔放なクリスティーナに恋をしていくデヴィッドでしたが、長男ロバートはそんなデヴィッドを快く思っていない態度を取り始めます…。

 幼い妹を失ったことから、超自然現象を否定する心理学者デヴィッドが、とある屋敷で怪奇現象を体験することになるというホラー作品です。
 訪れたマリエル家では、ばあやが悪霊にとり憑かれているというのですが、その家の子どもたちによれば、そんなことはないというのです。
 かっての雇い主である両親が亡くなったことから精神のバランスを崩しているのではというのです。デヴィッドはその意見に同調しながらも、それだけでは割り切れない奇妙な現象が、自身の身の回りに起きていることに気付いていました。おどけ者であるサイモンの仕業なのか、それとも本当の霊現象なのか?
 さらに、たびたび幼い頃に死んだ双子の妹ジュリエットの幻影がデヴィッドの前に現れます。これも幻覚なのか、それともデヴィッドの危機を知らせてくれているのか? 誰の言っていることが正しいのか、霊現象は起きているのか、といったことが段々と分からなくなっていく過程はサスペンスたっぷりです。
 ばあやには、実際に霊が見えているらしく、一人で会話をしたり、不審な行動をしていることが度々示されます。しかし、マリエル家の兄妹たちは、それを否定するのです。
 兄妹たちの行動は奔放かつ放埓で、デヴィッドもそれに翻弄されてしまいます。妹クリスティーナの奔放さは特に強烈で、その魅力にデヴィッドは参ってしまうのですが、兄妹には何か秘密があること、彼らの過去に関しても後ろ暗いものがあることが示唆されます。
 本来の目的である怪奇現象の調査よりも、クリスティーナへの思いにデヴィッドは翻弄されてしまう形になるのですが、それが実際の怪奇現象の原因につながっていた…ということが分かる後半の展開には驚かされてしまいますね。
 デヴィッドが屋敷で見る幻覚や幻影のシーンは非常にリアルで見応えがあります。ドアを破ったはずなのに、それが破られていなかったり、火事になったかと思うとそうでなかったり、現実と幻覚の見分けがつかないほどなのです。このあたりの描写もポイントとなっていて、つまりは、デヴィッドが見ている世界は本当に現実なのか? と疑わせる働きもあるようですね。ある意味でデヴィッドが「信頼できない語り手」的なポジションであるともいえそうです。
 繊細に描かれたゴースト・ストーリーなのですが、それでいて単調にはならないメリハリの効いた演出や仕掛けもなされていて、このジャンルに残る秀作だと思います。
 ちなみに原作は、イギリスのホラー作家ジェームズ・ハーバートの長篇『月下の恋』(宇佐和通訳 学習研究社)です。



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ヴィンチェンゾ・ナタリ監督『ハウンター』(2013年 カナダ)

 リサは、いつの間にか自分とその家族が全く同じ一日を繰り返していることに気付いていました。毎朝弟に起こされ、同じ食事を食べ、家族で同じテレビ番組を見て…。同じ行為を繰り返し、眠りについて目が覚めるとまた同じ一日が始まるのです。
 しかし気づいているのはリサだけで、家族にそれを訴えても信じてもらえません。しかも、翌日になれば訴えた事実さえ家族は覚えていないのです。翌日はリサの誕生日であり、両親はそのことを話しますが、リサはそんな日は永遠に来ないとつっぱねてしまいます。
 リサは、どこからか自分を呼ぶ声を聞くようになり、ふとしたことから地下室の洗濯機の後ろに鍵のかけられた扉を発見しますが…。

 同じ一日が繰り返される家に閉じ込められた少女とその家族を描くホラー・サスペンス作品です。
 リサ以外には、両親も弟のロビーもその事実に気付いておらず、リサが訴えても彼らには理解してもらえません。しかも家の周りには妙な霧がかかっており外出もままならず、電話は不通。家族が孤立した状態にもなってしまいます。
 自分に向かって呼びかける謎の声が、リサの協力者であることが分かり、その助けを得て、時間が繰り返される現象と閉ざされた家の秘密を探っていくことになりますが、それは思わぬ真実なのです。
 囚われた環境からの脱出の鍵が、自らの記憶を認識することにかかっており、そこに家族同士への愛情も現れてくる…というあたり、家族映画の趣もありますね。
 時間の繰り返し現象だけでなく、過去と現在の時間がつながったり、そこで猟奇的な事件が繰り返されたりと、広い意味での「ループ」を打ち破れるのか…というのがテーマともなっています。「ループ」の原因に人為的な力が働いていることが分かり、その「人物」の邪悪さには慄然としてしまうのですが、家族への愛情によって、それに対抗する少女の奮闘が描かれる部分には感動がありますね。
 物語の真相、ラストの情景を含めて、どこか心に残る作品となっています。



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マシュー・パトリック監督『ザ・ハウス/屋根裏の悪魔』(1989年 アメリカ)

 幼い頃から両親に虐待を受け続け、家に放火して両親を焼死させてしまったトムは、精神病院から退院することになります。ホテル暮らしをするお金もなくなってしまったトムは、建築中の家を見つけ、その家の屋根裏に壁を作って、その中に隠し部屋を作ります。 隠し部屋で暮らしていたところ、家に家族が引っ越してきます。それはフィルとジュリー夫妻と、その子どもニールとホリーの四人家族でした。
 一家の生活を監視するトムは、その幸福そうな生活に自らも幸福感を覚えるようになりますが、フィルが浮気をしていることを知り、彼に対して怒りを覚えます。
 やがてジュリーに恋するようになったトムは、フィルを陥れる策を考え始めます…。

 かって両親の虐待から彼らを殺してしまったという過去を持つ男トムが、ある家の屋根裏に住み着いてしまう…というホラーサスペンス作品です。
 このトムという男、精神病質ではありながら、家族というものに憧れています。自分が住み着いた家の家族の様子を窺い、その日常に幸福感を覚えていくのです。しかし、夫のフィルがそれを壊してしまったことにより怒りを覚えて、そこからトムの暴走が始まります。何と自分がフィルの代わりに夫・父親に成り代わろうと考えるのです。
 両親を殺した罪があるとはいえ、それは虐待があったゆえでもあり、退院後のトムは普段は温厚な男性です。それだけに、人の屋根裏に住み着くという変質者的な行為をしながらも、その時点では観ていてトムを応援したくなってしまいます。
 犬や駆除業者に見つかりそうになったりと、密かに隠れ住もうというトムの行動が描かれる部分にはサスペンスがありますね。
 ただ、後半では殺人に手を染めてしまったりと、明らかに犯罪者然となってしまうため、今度は逆に、家に住む家族たちの方に感情移入してしまいます。
 基本、トム側の行動が全て写されるため、家に住む家族たち、とくにジュリーがそれに対して上手く対応できるのか…という部分で、観ていてハラハラさせるサスペンスがあります。温厚だったトムが時折暴発するなど、精神的にバランスを崩してしまうことが分かってからは、ジュリーがトムの暴力にさらされてしまうのか、無事にやり過ごせるのか…という部分での恐怖感がありますね。
 変質者・ストーカー的な人物に狙われる人妻とその家族の恐怖を描いたホラーと言えるのですが、その「犯人」であるトム側の事情が明かされるのと、彼視点で物語が進むため、あまり悪人として割り切れない…というユニークな作品となっています。
 全てが解決した後にも、幾分かの「物哀しさ」が残るのも、奇妙な味わいですね。



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ブライアン・ユズナ、クリストフ・ガンズ、金子修介監督による映画『ネクロノミカン』(1993年 アメリカ)

 1932年、ネクロノミカン(死者の書)」が保管されているという密教の寺院を訪れた作家H・P・ラヴクラフトは、僧侶から鍵を盗み、書庫の中に入り込みます。そこにあったネクロノミカンを読み始めたラヴクラフトは、そこから小説の構想をメモしていました。
本に綴られていたのは恐るべき三つの物語でした。
 しかし、本が金庫から外されたことによって、何かの封印が解け始めていました…というのが、プロローグにしてオムニバスの枠の物語となっています。

「ザ・ドラウンド (The Drownd)」
 海沿いの崖に立つ崩れかけた古いホテルを伯父ジェスロから相続した男エドワードは、遺産として伯父が残した手紙を受け取ります。そこには60年前、伯父が命を絶つ原因となった出来事が記されていました。
 海難事故で妻と息子を亡くしたジェスロは、魔導書ネクロノミカンを使って儀式を行い、妻子を蘇らせたというのですが…。
 かって伯父が禁断の儀式で妻子を蘇らせたことを知る男の物語です。主人公エドワード自身も恋人を事故で失ったことが示されており、彼自身も闇の儀式に手を出すことになります。
 「甦った」人間たちの異物感が強烈です。後半では意外なアクションシーンも展開されています。「怪物」にスケール感があって迫力のあるエピソードになっていますね。
 監督はクリストフ・ガンズ、原作はラヴクラフト「壁のなかの鼠」です。

「ザ・コールド (The Cold)」
 その町では数十年に亘り、猟奇殺人が続いていました。記者のデイルは、マデン博士のアパートを訪ねますが、内部は異様なほどの寒さでした。現れた若い女性は、二十数年前にアパートに越してきた女性エミリーの娘だとい、母について話しはじめます。
 逃げていた暴力的な義父に襲われたエミリーは、上階に住むマデン博士に助けられます、博士はある病のために極端に冷やした部屋に住んでいました。エミリーは博士に恋するようになりますが、彼には恐ろしい秘密がありました…。
 長命を維持するために、極端な冷気と、もう一つある物を集めていた博士の物語です。こちらでも博士はネクロノミカンから知識を得たとされています。
 博士をサポートする女性リナとエミリーとの間で三角関係が発生し、悲劇を生んでしまう…という展開も面白いですね。
 監督は金子修介、原作はラヴクラフト「冷気」です。

「ウィスパーズ (The Whisper)」
 逃走した車を追跡中のサラとポールの警官二人。二人は恋人同士でサラは妊娠していました。事故を起こして横転してしまいますが、サラの目の前で重症のポールは何者かに引きずられて連れ去られてしまいます。
 犯人が入り込んだらしい建物で、サラは、ハロルドとデイジーと名乗る老夫婦に出会います。彼らによればポールをさらったのはブッチャーと言う男だと言います。彼はエイリアンだともその使いだとも言われていました…。
 建物の地下が広大な迷宮になっており、恋人を求めて探索を進める女性警官が描かれます。ヒロインとその恋人が、死ぬよりもひどい目に会ってしまうという、強烈なホラーです。グロテスクなクリーチャー、腐乱死体のあふれる廃墟、怪物への変容…。どろどろのスプラッターシーンが展開される、集中でも最もインパクトの強いエピソードとなっていますね。
 今までの出来事がヒロインが見た夢だった…と見せかける二段構えの構成も、悪夢感を増幅させています。
 監督はブライアン・ユズナ、原作はラヴクラフト「闇に囁くもの」です。

 最終的に、ラヴクラフト自身がネクロノミカンを読んでいるという大枠の物語に戻るのですが、本の封印が解かれたことによって、異次元の怪物が現れることになります。ラヴクラフト自身が仕込みづえで戦うという、珍しいアクションシーンも見どころになってますね。ちなみに、ラヴクラフト役の俳優はジェフリー・コムズです。
 ネクロノミカンがテーマとなっているので、原作にはそれが出てこないエピソードでも、事件の原因として本が登場する形になっています。
 またエピソードに共通する趣向として、メタフィクショナル的なそれが挙げられます。
もともと三つのエピソード自体が枠の中の物語であるわけですが、それぞれのエピソード内の人物が、別の話を聞く、という更に深い構造になっています。
 一話目では、主人公が伯父の手記を読む形になってますし、二話目では、記者が女性から話を聞く形、三話目は「語り」こそストレートですが、ヒロインが体験する出来事が二段構えになっていたりします。
 「本」がテーマとなっていることに合わせたものなのかは分かりませんが、本好き・物語好きには面白い構造の映画だと思います。
 全体に、ラヴクラフト愛にあふれた、いい意味で「稚気」に満ちたホラー映画です。特に三話目のエピソードは救いのない強烈なホラーで一見の価値があるかと思います。



ウィロビー・チェイスVHSパッケージ
スチュアート・オーム監督の映画『ウィロビー・チェイスのおおかみ』(1989年 イギリス)

 19世紀イギリス、ヨークシャー地方のウィロビー・チェイスの周辺には狼が出没する原野が広がっていました。一人娘ボニーと平和に暮らすウィロビー卿と夫人は、夫人の静養のために船で遠くまで旅に出ることになります。ウィロビー卿は、娘の友だちとして、ロンドンでおばと暮らすボニーのいとこシルビアと、家庭教師として、遠縁だという女性ミス・スライカープを呼び寄せます。
 ウィロビー卿が旅立つと、スライカープは屋敷の中で我が物顔に振る舞い始めます。シルビアと列車で乗り合わせたまま屋敷にやって来た男グリムショウも、スライカープの知り合いのようで、二人で好き勝手なことをしていました。召し使いをほとんど解雇したばかりか、ボニーとシルビアに邪険に当たるようになります。
 スライカープたちが、書類を偽造し、ウィロビー卿の財産を乗っ取ろうと企んでいることを知ったボニーとシルビアは、外部にそれを伝えようとしますが…。

 19世紀イギリス、領主夫妻の不在時に屋敷の乗っ取りを企む家庭教師に、少女たちが挑む…という冒険物語です。この家庭教師スライカープの邪悪さは筋金入りで、書類を偽造した後、領主夫妻の殺害を企んだり、子どもたちを孤児院に監禁したかと思うと、最終的にはこちらの殺害も企んだりと、容赦がありません。
 最初は屋敷内で抵抗していたボニーとシルビアですが、手を焼いたスライカープは彼らを孤児院に監禁してしまい、そこでひどい扱いをされてしまうことになります。
 この孤児院でのサバイバルが物語の一つの山ともなっています。多くの孤児が集められ、工場内でクリーニングの仕事をさせられているのですが、食料もろくに与えられないまま過酷な労働をさせられ、監督役の少年や院長の気分のままに体罰を受けてしまうのです。名前も?奪され番号のみで呼ばれるという、非人間的な環境となっています。その中でも、友人をかばったりと、あくまで人間であることを主張するボニーとシルビアの行動は輝いていますね。仲間の少年が事故で死んでしまうシーンもあり、ボニーたちは無事に脱出できるのか? というサスペンス感は強烈です。
 タイトル通り、狼が登場し、危機に追い込まれることも度々です。シルビアが列車内で襲われるのを皮切りに、屋敷の外で襲われたり、クライマックスでは、スライカープの襲撃と同時に狼にも襲われるという、ダブルでの危機がスペクタクルたっぷりに描かれます。ジョーン・エイキンの原作では、架空の歴史をたどったイギリスという舞台説明があり、狼がやたらと増えていることに対する説明があるのですが、映画版では特に説明はないため、あくまで現実世界で狼が多い地方、ということで話が進められているようですね。
 屋敷乗っ取りを企む家庭教師との対決、閉じ込められた過酷な孤児院からの脱出、襲来する狼との戦い…、ところどころに見せ場のある冒険物語の秀作です。映像作品であるだけに、原作に比べてスペクタクル要素も強くなっていますね。雪原で狼から逃げるシーンや、巨大な工場での児童労働が描かれるシーンには非常に迫力があります。
 少女たちの勇気と正義感、努力で困難をはじき返すという、王道ではありながら力強い物語になっています。狼の登場する特殊な世界観も含めて魅力的な作品です。
 日本ではDVD化はされておらずVHSのみしか出ていないようですが、ぜひソフト化してほしいところですね。



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ロブ・グラント監督『デッド・アンド・アライブ』(2019年 カナダ)

 病院内で目覚めた男女は、自分たちの体がまともに動けないほどのケガを負っており、しかも自分たちに関する記憶が全くないことに気付きます。二人の目の前に現れたのは医師を自称する男で、怪我を治療したのは自分だと言います。
 治療を施しはするものの、医師は二人に一方的な服従を要求し、その行為は拷問に近いものになっていました。
 どうやら病院は廃病院らしく、その医師の男以外には人もいないようなのです。二人は医師の隙をついて、病院から脱出しようとしますが…。

 記憶喪失の男女が、サイコパス気味の医師に監禁され、拷問まがいのことをされてしまう…というホラー作品です。医師は「治療」と称して、重症患者の男女に対して拷問まがいの行為を繰り返します。その姿はサディストとしか見えないのですが、二人がいくら反抗しようとも殺そうとはせず、治療を続けます
 いたぶって楽しんでいるのかと思いきや、そこまでの行為は行わず、飽くまで男女を生かすことに心血を注いでいるようなのです。医師の目的はいったい何なのか?
 男女が医師のもとから逃げられるのか?というのがメインの目的となるのですが、脱出口を探す過程で、医師が異常人格者である証拠を発見することにもなります。
 その一方、男女には記憶が全くなく、時折起こるフラッシュバックで記憶の断片が甦ります。医師だけでなく、男女にも何か秘密があるらしいこと、彼らがどのような関係なのか、といったところが本当に最後の最後まで分からないので、非常に不条理感のあるホラー・サスペンスとなっています。
 異常殺人鬼から逃げ出す男女を描いたホラーという体裁で、実際、最後までその体で描かれるのですが、最後の最後である事実が明かされ、その瞬間、それまでの物語が反転していく…という展開は実に見事。
 特に意味を持っているとは思わなかったセリフやシーンが、そういうことだったのか、と得心させる形になっており、その意味で非常に爽快感があります。
 ただ、物語自体は陰惨で、痛々しいシーンも多いので、そうした描写が苦手な人にはきついかもしれないですね。
 痛々しさに関しては、直接暴力を振るうというよりは、怪我をした体を無理やり動かす、など、間接的な痛みを感じさせるシーンが多くなっています。直接的なスプラッターシーンを使わずに、こうした「痛み」を表現するあたり、結構技巧的です。



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ハーク・ハーヴェイ監督『恐怖の足跡』(アメリカ 1962年)

 女性三人が乗っていた車は、通りがかった男たちの車に煽られて、競争を始めた結果、車ごと橋から落下して川へと転落してしまいます。警察は捜索を行いますが車は見つからず、乗っていた女性たちの生存は絶望しされていました。数時間が過ぎたころ、女性の一人、オルガン奏者のメアリー・ヘンリーのみが岸に姿を現します。
 奇跡の生存を遂げたメアリーでしたが、助かるまでの記憶はなく、すっかり人間関係を避けるようになってしまいます。ユタ州の教会のオルガン奏者の職を得たメアリーは、現地でトマス夫人が営む下宿に住むことになります。
 近くには、既に廃墟となった巨大な遊戯施設があり、メアリーはなぜかその建物に惹かれることになります。また、たびたびメアリーの前には、青白い顔をした謎の男が出現しては消えてしまう、という幻覚のような現象が起きていました…。

 ジョージ・A・ロメロ監督『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』などにも影響を与えたという、カルト的なホラー映画です。
 事故から奇跡的な生存を遂げた女性が、それ以後、不思議な現象に見舞われていく…という作品です。それらの現象がなぜ起こるのか? と考えると、メインのネタが分かってしまう人も多いかと思います。実際、結末の「オチ」自体は、現在では珍しくありません。ただ、この映画の見所はその「オチ」よりも「過程」にあり、ヒロインが体験する夢幻的な情景や悪夢のようなシーンを味わう作品となっています。いわば雰囲気を楽しむ映画といえるのですが、その雰囲気が素晴らしく、その美しさと共に、怖さも感じられるのです。
 メアリーの前にたびたび姿を現す謎の男は、あり得ない場所で突然現れては消えてしまいます。また、町中で誰もメアリーの声や姿を認識しなくなってしまったり、唐突に幻視のような形で不気味な連中が廃墟で踊るシーンを目撃したりもします。
 メアリーがオルガン奏者ということもあり、彼女自身が演奏するシーン含め、オルガン音楽が効果的に使われており、それもあって荘厳さが強調されていますね。
 蒼白な顔の男女がメアリーを追い回すシーンは、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のイメージとして流用されたところでしょうか。
 主人公メアリーの心理を描いた部分も秀逸で、人間関係を極力避けながらも、心の底では淋しさを感じているのです。隣人のジョン・リンデンがしつこく誘ってくるのを断りながらも、孤独感に囚われたメアリーは結局付き合って出かけることになります。
 しかし、メアリーの取っつきの悪さから喧嘩のような状態になってしまう、というシーンには、痛々しさが感じられますね。ヒロインを演じるキャンディス・ヒリゴスの演技も素晴らしく、神経質で孤独な女性像が描かれています。このあたりニューロティック(神経症的)・スリラーの趣もあります。
 原題は Carnival of Souls で、ヒロインの魂の彷徨が描かれている、という意味ではぴったりのタイトルだと思います。
 低予算で作られた、自主制作に近い映画だそうなのですが、アート・芸術性の高い作品で、ホラー映画史に残る名作だと思います。カルト化するのも頷けますね。


テーマ:怪談/ホラー - ジャンル:小説・文学

最近観たホラー映画

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ジョセフ・ステファノ監督『シェラ・デ・コブレの幽霊』(1964年 アメリカ)

 一流の建築家として知られるネルソン・オリオンは、心霊調査員としても活動していました。盲目の資産家ヘンリー・マンドールが、一年前に亡くなった母親の霊に悩まされていると、ヘンリーの妻ヴィヴィアから相談を受けます。ヘンリーの母ルイーズ・マンドールは、生前生きながら埋葬されることを恐れ、納骨堂にヘンリーの部屋への直通電話を設置していたというのですが、死後、ルイーズからヘンリーに電話が繰り返しかかってくるというのです。
 オリオンは、ヴィヴィアと共に、ルイーズが眠る納骨堂を調べることになります。調査後、忘れ物を取りに、一人戻ったヴィヴィアは幽霊を目撃し、そのショックから気絶してしまいます…。

 幽霊描写の恐ろしい伝説的なホラー映画として有名な作品です。資産家の盲目の当主が母親の幽霊に悩まされていると依頼を受けた、心霊調査員オリオンがその調査に向かうことになるというホラー作品です。ゴースト・ハンターものの趣もありますね。
 幽霊の実在はほぼ間違いがないらしく、事実、序盤でその姿が登場することになります。その幽霊が何のために現れているのか、ヘンリーは自分を狂わすためではないか、と考えているようなのですが、オリオンはそこに疑いを挟み調査を進めていきます。霊出現の目的のみならず、霊が憑いている相手は本当にヘンリーなのか、さらには霊がヘンリーの母ルイーズなのかどうか、という疑いすら発生してきます。
 探偵役となるオリオンは、心霊現象に親和性がある人物ながら、霊能者というほどの能力はなく、その欠点を作中の人物に指摘されてしまう場面もあるのですが、逆に人間心理についての洞察力は高く、そちら方面で能力を発揮することになります。
 オリオンが推理を進めていくにあたって、重要な協力者となるのが、彼の家政婦であるメアリー・フィンチ。このフィンチという人物、超自然を信じない現実主義者なのですが、その頭の切れといい行動力といい、オリオンに劣らず有能な人物です。探偵役といった場合、このフィンチとオリオンのコンビと言ってもいいほどになっていますね。
 タイトルともなっている「シエラ・デ・コブレ」は、そこで死んだアメリカ人女性の霊が出るということで、かってオリオンも調査したという場所。作中では直接登場せず、間接的に事件について語られることになります。この事件についても、メインとなるヘンリー・マンドールの幽霊事件にしっかり絡んでくるところは、見事な展開となっています。
 幽霊の描写は怖いです。登場シーンはいくつかあって、毎回唐突に出現するのですが、その悲鳴のような音響効果と相まって、恐怖感は非常に高いです。幼い頃に見たら、確かにトラウマになるかも。
 幽霊の描写の怖さで語り継がれている作品で、確かにそちらに目を惹かれてしまうのですが、幽霊絡みの人間たちの心理ドラマ部分も、秀逸で面白いです。幽霊がなぜ現れたのか?「彼女」は何を求めているのか? といったところで、人間たちの妄執や我欲などがクローズアップされてくるなど、死者だけでなく生者についての物語ともなっています。 ある人物の「罪深さ」は強烈で、それは死後も続く…という描写があるなど、真に恐ろしいのは誰なのか?という意味での恐怖感を感じさせる部分もありますね。
 幽霊描写の怖さ、霊出現の謎をめぐるミステリ的興味、人物間の葛藤をめぐる心理ドラマ、心霊探偵の活動など、見どころが沢山ある作品で、今観ても充分に面白いホラー映画だと思います。



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ブライアン・フォーブス監督『雨の午後の降霊祭』(1964年 イギリス)

 定期的に交霊会を行い、その謝礼で生計を立てていた霊媒師マイラとその夫ビル。マイラは自らの名声を高めるため、ある計画を思いつきます。それは資産家の幼い娘を誘拐し、身代金と娘の居場所を言い当て、自らの能力の宣伝とすることでした。
 資産家クレイトンの娘アマンダを学校から誘拐したビルは、病室風に改装した自宅の一室にアマンダを監禁し、病院で療養していると思い込ませます。
 身代金の要求とその実行もビルが行うことになりますが、計画に強気なマイラに比べ、ビルは良心の呵責から計画の実行に対して消極的になっていきます…。

 自らの評判を高めるため、誘拐を行う霊媒師夫妻を描いた異常心理サスペンス作品です 誘拐とはいっても、あくまで霊媒としての評判を高めるのが目的なので、身代金を受け取る気は始めからなく、娘も無事に返す、という計画です。
 監禁している娘には入院していると思い込ませるため、夫婦で医者と看護婦のふりをすることになります。娘にこれが誘拐とバレてしまわないかというサスペンス、犯罪計画が途中で失敗してしまうのではないかというサスペンス、そして犯行に乗り気な妻とそうでない夫との齟齬による心理的なサスペンス、と多重のサスペンス味が発生し、息詰まるような重厚な雰囲気となっていますね。
 精神的に弱いビルは、強気な妻マイラのいうなりに動くのですが、良心の呵責とその心配性な性格から、計画のところどころでその脆さを露呈することになります。
 一方、精神的なタフさを見せるマイラもまた、夫婦の亡くなった息子アーサーに執着していることが示され、夫婦が互いに「依存関係」にあることが分かるなど、一筋縄ではいかない夫婦関係が描かれるところも魅力です。
 作品開始直後から、かなりの尺をかけて犯罪実行前の夫婦の会話が描かれるところなど、その心理描写シーンは重厚です。犯罪計画そのものは「詐欺」なのですが、マイラの霊媒能力自体は「本物」の可能性が高い、というところも面白いですね。
 計画自体が崩れていき、最終的に自らの「降霊祭」によって破綻を迎えてしまう、というのも、それまでにじっくりと夫婦の動向と心理が描かれてきただけに説得力があります。誘拐サスペンスに、歪んだ夫婦関係の心理、そしてかすかな幻想味が加えられた、ユニークな題材の作品です。「降霊祭」がテーマとなっているものの、明確な超自然現象は描かれません。
 ただ、マイラがトランス状態になったときの発言には、かすかな超自然的香りがあります。亡き息子アーサーの霊が存在したのかどうか、という部分もぼかされていますが、このあたりの曖昧さも魅力になっていますね。
 原作は、 イギリスの作家マーク・マクシェーンの長篇小説『雨の午後の降霊会』(北澤和彦訳 創元推理文庫)。映画版は原作よりも多少ソフトな味わいになっているように思います。
 映画版の方をホラー寄りにリメイクした、黒沢清監督『降霊 KOUREI』(1999年 日本)という映画も作られています。



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マリオ・バーヴァ監督『血みどろの入江』(1970年 イタリア)

 入江を所有する裕福な伯爵夫人フェデリカが、ある夜、夫であるフィリッポに絞殺されます。自殺にみせかけようと工作をしている最中に、フィリッポ自身も何者かによって刺殺され、その死体は湖に捨てられてしまいます。
 遺書とみられる紙が発見されたためフェデリカは自殺とされますが、夫フィリッポの失踪により、周囲ではフェデリカは殺されたのではないかという噂も流れていました。
 フェデリカが亡くなったことを知った、フィリッポの娘レナータとその夫アルバートは、入江の相続権を手に入れようと情報収集をして回りますが、フェデリカには私生児である息子シモーネがいることを知ります…。

 欲にまみれた人間たちの殺し合いが描かれる残酷サスペンス作品です。莫大な資産価値を持つ入江の相続権をめぐって、周囲の人間たちが争う…というサスペンスなのですが、この争いが文字通り「殺し合い」になってしまうという残酷劇です。
 特定の「犯人」がいるというよりは(メインとなる人物がいるにはいるのですが)、それぞれの事情(動機)によって、複数の人間が連鎖的に殺人を起こしていく…という、とんでもない展開の作品になっています。
 財産のために相続人を殺す、といった直接的なもののほか、復讐のためであったり、死体や現場を目撃されてしまったから、など、それぞれの人間がそれぞれの目的で殺しを繰り返します。
 どうしようもない人間たちが繰り返す、どうしようもない殺人連鎖劇となっていて、その混沌具合に観ていて唖然としてしまいます。
 そんな大胆な殺人は警察に疑われるのでは…? などと疑問に思ってしまうシーンも多数なのですが、警察の調査や介入が全く出てこないという大雑把さ。
 ただ、これはある種の「ファンタジー」として観るべき作品で、その意味で非現実的な展開と設定もあまり気になりません。殺人・猟奇シーンの演出が派手で、むしろそちらを楽しむホラー作品でしょう。こちらのシーンは今観ても「芸術的」で、有名な「13日の金曜日」もそのシーンを参考にした、という話も頷けます。中でも、湖から上がった死体にタコが這うシーンのインパクトは強烈で、記憶に残りますね。
 全体にわたって殺人が発生しますが、面白いのは、明確に殺人の行為者が描かれる事件のほか、加害者が誰か分からない事件も混ざっているところ。それもあって、作品全体のメインとなる「犯人」が誰なのか? というミステリ的な興味もあります。
 ミステリやサスペンスで、登場人物たちが皆怪しい…というタイプの作品がありますが、この作品ではほぼ全ての人物が怪しいどころか「殺人犯」です。
 それぞれの人物が勝手気ままに、自分たちの欲のままに動くわけで、その意味で混沌としたお話になっています。
 上記で「ファンタジー」という言葉を使いましたが、現実世界では、卓越した頭脳を持つ犯人が計画的に殺人を実行する…なんてことはほぼないわけで、その意味では、この作品のような無秩序状態は、ある意味すごく「リアル」だといえるかもしれないですね。
 資産家の財産をめぐって、一族たちが争う…という作品において、それぞれの人物たちがモラルも何もなく、殺人も辞さなかったら…という仮定で描かれた作品といえるでしょうか。その「やりすぎ感」がホラーとしても魅力となっている作品です。



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ジョン・マクティアナン監督『ノーマッズ』(1985年 アメリカ)

 ロサンゼルスの病院に勤める女医アイリーンのもとに、ある晩、急患で血まみれの男が運ばれてきます。錯乱状態で暴れている男は人類学者ジョシュア・ボミエだといいますが、彼はアイリーンの耳元で意味不明の言葉をつぶやいた後に急死してしまいます。
 その直後から、アイリーンは奇妙な幻覚を見るようになります。それは死んだボミエの生前の記憶のようなのです。ボミエは、町をうろつき暴力行為を働く不良集団に興味を持ち、彼らを追っていきます。やがて殺人さえ行う彼らに狙われるようになりますが…。

 職や住まいを持たず、町をうろつき暴力行為や迷惑行為を働く不良集団。彼らに興味を持った人類学者が、恐ろしい体験をすることになる…というオカルトホラー作品です。
 不良集団がただの人間ではなく、町に巣くう「悪霊」らしき存在であることが分かり、ボミエは恐れを感じるようになりますが、時既に遅く、彼らの魔の手が迫っていたのです。
 「悪霊」たちの造型は独特で、パンク風のファッションに身を包んだ、暴走族というか愚連隊のような集団として描かれています。特定の人間にしか見えないようで、現にボミエの妻ニキには彼らの姿が見えないのです。それもあって、ボミエの行動が妻からは精神的におかしくなっているようにも見えます。
 物理的な実体があるように見えながら、殴ったり突き落としたりしても、平然と姿を現したりするなど、現実と幻覚が入り交じってくるような雰囲気があります。
 さらに面白いのはその語り口。女医アイリーンがボミエの経験を追体験していくという作りになっているため、時折視点がアイリーンに戻ります。ボミエの姿が瞬間的にアイリーンに変わるあたりの演出は技巧的で印象に残りますね。
 物語の一番上の層で、アイリーンが「幻覚」を観ている形になるわけですが、その「幻覚」の中でのボミエがさらに「現実」と「幻覚」を混同するようになっていく…という多重構造になっています。さらに終盤では、追体験ではなく、リアルタイムでアイリーンが「悪霊」たちに襲われることにもなり、「現実」と「幻覚」が、多重構造の中でさらに混濁していく、というメタフィクショナルな構造になっているところには驚きますね。
 この作品での「悪霊」は、遊牧民たち(ノマド。複数形なのでノーマッズ。)になぞらえられています。細かい説明はされないのですが、どうやら都市に巣くう地縛霊のような存在で、イヌイットの世界観が流用されているようです。
 ところどころでの「悪霊」たちの暴力シーンなどはあるものの、全体に地味に雰囲気を盛り上げていくタイプの作品で、派手さはあまりないのですが、観た後に考え直してみると、評価が上がるタイプの作品だと思います。演出や物語の構造が非常によく考えられているのです。
 説明不足である点は確かにあるのですが、説明しないがゆえの余韻があるのも確かです。ラストシーンもかなり衝撃的ですね。
 民族学的なテーマを扱ったホラーとしてもユニークで、諸星大二郎的な味わい、というと、伝わる人もいるでしょうか。あまり話題にならないようですが、1980年代ホラーの収穫の一つだと思います。



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ファン・ピケール・シモン監督『スラッグス』(1987年 アメリカ・スペイン)

 ニューヨーク州のある田舎町、アルコール中毒の老人が、動物に食い散らかされたような、半ば白骨化した死体で発見されます。町の衛生局職員マイク・ブレイディと水道局職員ドン・パーマーは、住民の苦情で下水道を調べますが、その中で、食い散らかされた多数の動物の死骸を発見します。
 教師の妻キムから、自宅の花壇にナメクジがいることを知らされたマイクは、ナメクジに指を噛まれてしまいます。ナメクジの調査を生物教師ジョン・フォーリーに依頼した結果、それが突然変異した肉食の危険な生物であることが判明します。
 一方、家庭菜園を営む老夫婦や、高校生カップルが変死を遂げるなど、謎の変死事件が相次いでいました。マイクは、ナメクジが原因だと訴えますが、リース保安官はまともに取り合ってくれません…。

 突然変異した人食いナメクジに襲われた町を描く、グロテスクなパニック・ホラー作品です。
 複数の事件がナメクジによるものだと気付いているのは、主人公マイクと妻キムのほか、マイクの友人ドンとジョンなど数人で、その事実を訴えられた人間も、保安官を含め、まともに取り合おうとはしません。そのため、マイク、ドン、ジョンの三人がナメクジに対し、その調査と退治方法を探っていくという、パニックものとして王道のストーリーとなっています。
 完全なB級ホラーといえるのですが、そのスプラッター部分のグロテスクさと迫力がただ事でなく、その意味で強く印象に残る作品です。
 登場するナメクジも、日本にいるような小さなものでなく、全身が黒い巨大なもの。その実物を撮影に使っているそうです。大量のナメクジがうごめくシーンを始め、襲われた人々が血だらけになり白骨化していくシーンなど、スプラッター部分が強烈です。サラダと一緒にナメクジを食べてしまった男性が、ナメクジ内の寄生虫に脳まで冒され、顔面が吹き飛ぶシーンに至っては悪趣味の極致ですね。
 1980年代ホラー作品ならではのおおらかさというべきか、お話が「大味」なのも、今となっては楽しいですね。ナメクジに襲われた家庭菜園で、こぼれた薬品に引火して家自体が爆発してしまうとか、下水道に住み着いたナメクジを退治しようとして、これまた町のあちこちの建物が吹き飛んでしまったりとか、やり過ぎ感も満載です。
 ナメクジの気色悪さと強烈なスプラッター描写が際立っているので、このあたりが苦手な人は避けた方がよいかもしれません。ツッコミどころもたっぷりのB級ホラーではありますが、どこか愛嬌があり、能天気な明るさのある作品で、ホラーとして楽しめる作品になっています。



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ルチオ・フルチ監督『ルチオ・フルチのクロック』(1989年 イタリア)

 人里離れた広壮な屋敷で暮らす老伯爵夫妻。彼らは自分たちに歯向かった甥夫妻を殺し、死体を礼拝堂に安置していました。その秘密を知った家政婦も殺されてしまいます。ある夜、屋敷に強盗に押し入った男女三人組は、抵抗されたため、老夫妻と門番の男三人を殺してしまいます。その直後から、屋敷中の時計の回転が逆回転を始め、不思議な現象が起こり始めますが…。

 作中で時間が巻き戻り、死者が甦るという異色のホラー映画です。
 老伯爵が数十年にわたる時計コレクターで、屋敷には大量の時計が置かれています。老夫妻が殺された直後から、これらの時計が全て逆回転し、時間が巻き戻っていくのです。 当然殺された人間も蘇り、強盗たちは復讐にさらされることになる…というお話なのですが、そこは物語がやたらと破綻することでは定評のあるフルチ監督。時間の逆回転現象に関しても、つじつまの合わない展開になるのですが、本作においては、その不条理感が、逆にホラーとしてある種の魅力になっています。
 そもそも、老夫妻が平気な顔で殺しを行うサイコパス的人物なので、強盗に押し入る三人組よりも夫妻の方が邪悪度が高いです。老夫人に至っては、杭で家政婦を貫いたり、腕に仕込み刃をつけていたりと、強烈なキャラクターです。
 時計が逆回転するカットがたびたび挟まれる他、時計のカチカチ音が流れ続けるなど、演出面も面白いですね。死者が甦るシーンに関しては、フルチ監督お得意のゾンビ感あふれる表現も見られます。
 老夫妻の行動や強盗の万引きシーンなど、コミカルなシーン(ブラック・ユーモアというべきでしょうか)も、ちょっと時代を感じさせますが、味わいがあります。
時間がテーマとなっているだけに「ループ現象」的な趣向(といっても、処理が雑ではあるのですが)もあります。
 B級ではありますが、ユニークなアイディアと怪奇ムードがたっぷりで、楽しめる作品でしょう。



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M・ナイト・シャマラン監督『オールド』(2021年 アメリカ)

 息子のトレントと娘のマドックスを連れ、南国のリゾート地を訪れたガイとプリスカの夫妻。トレントは、ホテルのマネージャーの甥イドリブと友人になります。マネージャーに勧められ、風光明媚なプライベートビーチに招待された一家は、何組かの家族と共に、ホテルが用意した運転手によってビーチに運ばれることになります。
 浜辺で女性の遺体が見つかったことから、ビーチから離れようとする一行でしたが、入り口である谷を通ろうとすると頭がふらついてしまい、誰も出ることができません。
 何時の間にか、幼い子どもだったはずのトレントとマドックス、心臓外科医チャールズの娘カーラは、急成長しティーンエイジャーになってしまいます。このビーチでは急速に時間の流れが速いことに気が付いた一行は、ビーチから脱出しようと試行錯誤を繰り返すことになりますが…。

 時間の流れが急速なビーチに閉じ込められた人間たちが、そこから脱出しようとするという、SF・幻想味の強いスリラー作品です。
 時間の流れが異様に早く、数時間いるだけで何歳も年をとってしまいます。入り込んだ時点で大人である人々は、一日いれば寿命を迎えてしまうほどなのです。体格の完成されている大人たちはすぐには時間の経過に気が付かず、幼い子供たちが急速に成長したのを見て、その現象の異常さに気が付くことになります。
 何者かによってビーチに閉じ込められたことが、うっすらとは分かるものの、その者たちの意図などは皆目分からないため、そちらは据え置かれ、もっぱら脱出の試みと、時間経過による人々への影響が描かれていくことになります。
 脱出の試みの失敗で死者が出てしまったり、もともと心を病んだ人間が紛れ込んでいたことから争いが起こったりと、「年齢を重ねていく」だけではドラマになりにくいであろうテーマに、いろいろとドラマティックな仕掛けがされています。
 大人たちが老化していったり、子どもたちがどんどん成長したりと、年齢を重ねる部分も面白いのですが、さらに面白いのは「時間の速さ」を表現している部分。ナイフで傷つけた傷があっという間にふさがってしまったり、元々抱えていた腫瘍が急速にふくらんでいったりと、常識ではありえない時間経過を示す視覚表現がユニークで目を惹きますね。
 複数の人々が群像劇的に描かれてはいくのですが、中心となるのは、ガイの家族、妻プリスカ、息子トレントと娘マドックスの一家です。夫妻に離婚の危機があること、妻が病を抱えていることなど、問題がありながらも、家族が互いに愛情を抱いており、極限状況において、それらが発揮されるというあたり、家族の愛情を描いた作品ともいえそうです。幼い子どもたちが成長するにしたがって、心理的にも成長しているらしいことが描かれる部分も面白いですね。
 ビーチに入る前、ホテルにいる時点で行った、子どもならではの行動が解決の糸口につながっていく…というところも上手い流れです。
 長い人生が「一日」に凝縮されて語られるという、寓意性も強い映画です。事実、この一日の中に、恋と結婚、夫婦の危機と和解、別れなど、人生の重要イベントがまとめて起こり、非常にドラマティックな作品になっています。傑作といって良い作品ではないでしょうか。
 レイ・ブラッドベリの短篇「霜と炎」にテーマが似ているので、もしかして影響を受けているのかなとも思いましたが、原案は、フレデリック・ペータース、ピエール・オスカル・レヴィーのグラフィックノベル『Sandcastle』(未訳)という作品らしいです。



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エヴァン・スピリオトポウロス監督『アンホーリー 忌まわしき聖地』(2021年 アメリカ)

 ジャーナリストのジェリー・フェンは、かって将来を嘱望されながらも、記事を捏造したことで業界から干されてしまった男でした。記事のネタを手に入れるため、マサチューセッツ州のバンフィールドという町を訪れたフェンは、木の下の洞で見つけた奇妙な人形を壊してしまいます。
 夜に車で走っている際に、ふらついている少女を見つけたフェンは、アリス・パジェットというその少女をおじであるヘーガン神父の協会に送り届けます。聾唖だというその少女が話すのを聞いたというフェンの話は、信じてもらえませんが、やがて少女が何時の間にか話せるようになっていることに驚きます。
 アリスは聖母マリアの言葉を聞き、耳と口がきけるようになったというのです。アリスには治癒の能力が備わっていることが分かり、町の人々の病を癒していくことにになります。バンフィールドを調査に訪れたカトリック教会のデルガード司祭とジャイルズ司教は、アリスの能力を奇跡と認定し、町自体が聖地として認められつつありました。
 アリスとの独占インタビュー権を得たフェンは、一躍時の人となりますが、アリスの奇跡に一抹の疑問を抱き始めていました…。

 聖母マリアによって治癒能力を得たという少女の奇跡をめぐる、宗教的テーマのホラー映画です。聾唖だった少女が話せるようになるばかりか、人々の病を治療していくようになります。聖母マリアの奇跡と噂されるその場所に居合わせたジャーナリストが騒動に巻き込まれていくことになる…という作品です。
 聖母を信じる少女アリスが、自らの能力は神から与えられたものだとして、その恵みを人々に分け与えようと活動しをするのですが、それを見守っていたフェンが疑問に捕らえられ調査をしていくうちに不穏な事実が明らかになっていきます。
 記事や名声のためには捏造もいとわない三流記者フェンが、アリスとその奇跡に触れているうちに暖かい感情を抱くようになるものの、結局はアリスの「信仰」を崩さざるを得なくなっていく…という皮肉な流れが見どころでしょうか。
 アリスの「奇跡」が世間を席巻していく一方、裏ではある存在が暗躍し、災厄を振りまいていきます。アリスの「奇跡」と「聖母」は本物なのか…?
 アリスとその信仰を信じたい思いを抱きながら、自らその信念を崩すような証拠を探していくフェンの行動も興味深いところです。
 フェン及び関係者の周囲で、ところどころ怪異現象が頻発はするものの、大がかりな現象は最後の方まで起こりません。その意味では「溜め」の長い作品となっています。このあたりは、原作であるジェームズ・ハーバートの小説『奇跡の聖堂』(ハヤカワ文庫NV)を割と忠実に再現している感じでしょうか。
 原作よりはソフトな味わいになっていますが、映画版でのクライマックス、「聖堂」で展開される惨劇シーンも非常に迫力があります。
 キリスト教とその奇跡がメインテーマとなったホラー映画で、その「邪悪度」「質の悪さ」で印象を残す作品です。神を信じない主人公が「奇跡」の目撃者となり、ある種の「神の代行者」ともなる…という点で、意外と宗教的にも真面目なテーマも内包しているようです。



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ザヴィエ・ジャン監督『コールド・スキン』(2017年 スペイン)

 1914年、南極海の孤島へ気象観測員として赴任してきた青年は、現地に前任者アルドールがいないことを不審に思いますが、灯台守のグルナーによれば、チフスで亡くなったというのです。
 青年は小屋で気象観測を始めますが、夜に突然半魚人のような奇怪な生物に襲われ、地下室に身を潜めます。再度怪物に襲われた青年は何とか撃退に成功しますが、火が回った小屋は使い物にならなくなってしまいます。
 グルナーに助けを求めようとした青年は、泉で怪物に襲われそうになりますが、グルナーに止められます。それはグルナーが「飼っている」怪物のメスでした。
 青年とグルナーは協力し、毎夜のように襲ってくる怪物たちと戦いを続けることになりますが…。

 アルベール・サンチェス・ピニョルの小説『冷たい肌』の映画化で、島に赴任した青年が灯台守の男と共に怪物たちと戦うことになる…という作品です。
 孤島に取り残された二人の男が、水棲らしき怪物の集団と戦い続けるという、サバイバル・ホラー作品なのですが、そこにヒューマン・ドラマ的な要素が絡められていくのが特徴です。
 文明社会に疲れ、静かな場所で暮らしたいとやってきた青年と、何かの理由で人間嫌いになってしまったらしい男グルナー。二人の男の葛藤が描かれていきます。さらにグルナーが手元に置いている怪物の娘をはさんだ奇妙な三角関係、さらに襲ってくる怪物たちにも何か襲ってくる理由があるのではないか、という疑問も発生してきます。
 怪物たちの襲撃シーンにはインパクトがありますね。灯台に立てこもった二人を膨大な数の怪物が取り囲み、次々と襲ってくる、という部分はアクションたっぷりで見応えもあります。銃や斧、ナイフなどで応戦しますが、殺しても殺してもどんどんと数が出てくるという強烈さ。際限がないのです。
 後半では、ある方法で大量の怪物を一挙に殲滅することに成功しますが、それでも根絶やしにはできないのです。
 彼らとの和解の道もあるのではないか、と考える青年に対し、攻撃的なグルナーは飽くまで戦いを継続することを主張し、それがまた対立の元ともなってしまうのです。
 主人公は青年なのですが、物語の真の主人公は、矛盾を抱えた性格のグルナーといっていいでしょうか。怪物の娘「アネリス」に寄せる歪んだ愛情、そして彼の過去には失われた「愛」があったであろうことなど、全体にグルナーの「異形の愛」の物語ともなっています。
 怪物たちは超自然的な存在ではなく、飽くまで人間とは別の進化を遂げた生物とされています。「アネリス」に関する限り、言葉は通じないものの、ある種のコミュニケーションは可能で、そこに青年は和解の可能性を探ることにもなります。
 怪物たちとの戦いのほか、青年とグルナーの間の心理ドラマにも見応えがあります。人間を避けて孤島にやってきた彼ら二人ですが、そこでも人間間の葛藤は存在し、さらにはグルナーが怪物呼ばわりする生物たちにも意思は存在し、コミュニケーションも存在するのです。
 どこに行っても、生物が存在する限り、コミュニケーションの問題はついてまわる、という普遍的なテーマも盛り込まれているようです。一見、怪物との戦いを描く単純なホラーと見えながら、多様な要素を含んでおり、いろいろと考えさせる良質な作品です。



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ジョナサン・キング監督『ブラックシープ』(2006年 ニュージーランド)

 ニュージーランドの牧場に生まれた兄弟アンガスとヘンリー。父親から可愛がられるヘンリーに嫉妬するアンガスは、弟の大事にしていた羊を使って彼を脅かします。そのためにヘンリーは羊恐怖症になってしまい、実家を離れて暮らすことになります。
 15年後、事業を引き継いでいたアンガスのもとに、ヘンリーが久々に訪れます。アンガスは羊の改良のために、研究者を招聘し、遺伝子操作を行っていました。
 折しも、実験内容を聞きつけた環境活動家グラントとエクスペリエンスは牧場に潜入し、研究所から廃棄処分されようとしていた羊の実験体を盗み出します。追われる最中に標本を割ってしまったグラントは、中に入っていた子羊に噛まれてしまいます。
 子羊は、牧場の羊を噛んでいき、噛まれた羊は肉食の狂暴な状態になってしまいます。一方、グラントの体は異様な形に変異していました…。

 遺伝子操作の失敗で羊が狂暴化し、人々を襲う…というホラー作品です。いわゆるゾンビものの羊版といった趣なのですが、この狂暴化した羊が強力で、襲われたら普通の人間は八つ裂きにされてしまうのです。舞台が牧場だけに登場する羊も大量、どこからともなくやってきて囲まれるシーンも多数で、恐怖感も高いです。
 羊同士で噛まれた場合は菌が感染し狂暴化するのですが、人が噛まれた場合はまた形が違っていて、体が変異してしまいます。獣人のような姿になってしまい、ただの羊だけでなく、これらの獣人のような者たちからも襲われる、という点でサスペンスもたっぷりですね。
 自然や動物を愛しながらも、トラウマから羊恐怖症になってしまった弟ヘンリーと、冷徹で打算的な兄アンガスとの対立も重要なテーマとして扱われています。
 成り行きから、侵入してきた環境活動家の女性エクスペリエンス、牧場で働く旧友タッカーと行動を共にすることになったヘンリーが、怪物化した羊に襲われるなか、兄の残酷な実験を止めることができるのか? というところがメインの目的となっています。
 ヒロインとなるエクスペリエンスもユニークなキャラで、動物虐待や肉食に反対する極端な環境保護活動家。変人的な人物として登場しながらも、ヘンリーの精神を落ち着けたりと、意外なところで能力を発揮していくところも面白いですね。
 登場する羊が可愛らしいのですが、彼らによって引き起こされる惨劇は可愛らしいどころではなく、スプラッター描写も激しいゴアシーンばかりとなっています。内臓をえぐられたり、手足が噛み千切られたりと、その描写も強烈です。
 凶悪な羊たちではあるのですが、牧場で羊たちに取り囲まれるシーンなど、絵面的には牧歌的で妙なユーモアがありますね。羊に噛まれた人間が変異した獣人などの存在を含め、B級的なコンセプトの作品ですが、真面目さと笑いの要素が入り混じっているところも魅力です。
 エンターテインメント・ホラーの快作ではないでしょうか。



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ピーター・ベルゲンディ監督『ポスト・モーテム 遺体写真家トーマス』(2020年 ハンガリー)

 第一次世界対戦時、爆風で吹き飛ばされ、死んだと思われていた男トーマスは、死の一歩手前で近くにいた老人兵に助けられます。戦後、遺体を綺麗にして家族との写真を撮る遺体写真家を仕事としていたトーマスは、ハンガリーの町を訪れた際に、どこかで見たような少女と出会います。
 その少女アナは、トーマスが死にかけた際の臨死体験で出会った少女と似ていたのです。アナに惹かれたトーマスは、彼女が住む村を訪れます。
 その村は戦争とスペイン風邪の影響で大量の死者を出していました。土が凍ってしまっているため、スペイン風邪で亡くなった死者たちも埋葬することができず、そのままになっていたのです。
 遺体の写真を撮っているうちに、その写真の背後に何かの存在が映りこんでいることにトーマスは気づきます。家では誰もいないはずなのにポルターガイスト現象が起こっていました。複数の村人たちも、怪異現象を体験しているというのです。
 アナはすべて「幽霊」の仕業だといいますが、ある日「幽霊」による死者までもが発生してしまいます。トーマスはアナと共に「幽霊」の被害を止めるための調査を始めることになりますが…。

 第一次大戦後、戦闘と疫病で荒廃したハンガリーの寒村を舞台に、遺体写真家である主人公が、少女と共に怪異現象の謎を探っていくというホラー作品です。
 登場する「幽霊」の被害は甚大で、村全体がその恐怖に怯えているのです。ポルターガイスト現象によって、物理的な破壊が行われ、物どころか壁、下手をすると家全体が崩壊するレベルの現象までもが発生します。
 やがては直接的に人間が殺されるという被害までもが現れるに至って、トーマスとアナは「幽霊」の目的を探っていくことになります。
 前半から、ポルターガイスト現象だけでなく、「影」として霊が物理的に登場するシーンが描かれ、霊の実在ははっきりしているため、その意味での怖さは少ないのですが、主人公の遺体写真家という仕事柄、死体が全篇にわたって登場します。この死体の存在感が強烈で、別の意味で怖い作品となっています。
 「霊」の怖さは少ないとは書きましたが、その影響によるポルターガイスト現象の力は物理的な暴力として強力で、いつ襲われてどうなるか分からない…という意味では理不尽な恐怖感がありますね。
 主人公トーマスが、当時としては科学的な素養のある男で、カメラ以外にも、録音機や様々な道具を使って調査を進めていくあたり、ゴースト・ハンターもの的な要素も強いです。
 全体にわたって、死体・遺体が画面上に登場しており、不気味さは強烈なのですが、その絵作りは非常に美しいのも特徴です。死の淵に陥ったトーマスが体験する死後の世界の描写は、表現主義映画を思わせるデザインになっており、見応えがありますね。
 生の世界への未練に満ちた死者と、親しい者を失った生者の淋しさ…、生死両方の「淋しさ」が全篇を覆っており、それらを感じ取るのが、共に臨死体験をしたことのあるトーマスとアナであるというのも、説得力があります。
 シリアスで真摯なゴースト・ストーリーなのですが、その不気味さ・恐怖感も強烈で、なおかつエンターテインメントとして魅せる要素も多数です。これは傑作じゃないでしょうか。



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デヴィッド・ブルックナー監督『ナイト・ハウス』(2020年 アメリカ)

 長年連れ添った相思相愛の夫オーウェンが、突然、拳銃自殺を遂げ、ベスは大きな喪失感を覚えていました。建築家だったオーウェンが建てた家に一人でいることに空しさを感じるベスでしたが、自分以外に誰かが家にいるかのような気配を感じ始めます。
 大音量で鳴り出すオーディオ、語りかけるささやき声、夢ともつかぬ幻覚。身の回りで多発する怪奇現象に加え、夫が残した遺言に疑問を感じたベスは、夫の自殺の真意を探ろうとしますが…。

 家に次々と起こる怪奇現象から、夫の霊が身の回りに存在しているのではないかと考えるベス。ふとしたきっかけから、夫の生前の行動を知ることになりますが、それは妻への裏切りとも取れるものでした。しかし調べていくうちに、夫の行動に常識では考えられないものがあることに気づき、さらに不審の念を膨らませていきます。
 夫婦の間に秘密はなかったはずなのに。亡き夫への愛情の念と共に、本当の彼を自分は知っていたのか?という疑問が湧き、ベスは混乱してしまうことになります。
 最初は、妻が夫の霊に接触しようとするゴースト・ストーリー、に見えるのですが、それがどんどんとひっくり返されていきます。序盤の印象から、結末を予想するのは難しいのではないでしょうか。妻が見出すのは夫の愛なのか、それとも裏切りなのか…?
 全体に静かに展開する作品なのですが、演出が非常に上手いです。亡き夫オーウェンがオカルト・魔術的な行為に手を染めていたであろうことが示唆されるのですが、そこで重要モチーフとして登場するのが「反転」。それを表すかのような映像の演出が見事なのです。
 夢と現実が混濁したベスが、自分で自分自身を発見するシーンや、鏡を通して向こう側の世界に移動したりします。特にすごいのは、角度によって、家具や柱の輪郭が人の形に見える…というシーンが繰り返されるところ。心理学で言うところの「反転図形」のような演出なのです。
 大切な人を失ったときの喪失感と、それをどう乗り越えるのか? というテーマが真摯に描かれた作品だと思います。この作品では、そうした「死」に関する秘密を主人公が知ってしまうだけに、その衝撃も大きく描かれているのが特徴でしょうか。
 作中で説明されない要素も多いのですが、そうした部分を含めて、世界観や物語の真相を推理するのが魅力の一つともなっています。
 上記で「ゴースト・ストーリー」と言及しましたが、厳密にはゴースト・ストーリーと呼ぶのは難しい作品となっています。というのも「幽霊」がある意味で否定される世界観が描かれているからです。むしろ、アンチ・ゴースト・ストーリーとでも呼びたいような作品となっていますね。



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ドリアン・フェルナンデス=モリス監督『シークレット・マツシタ 怨霊屋敷』(2014年 ペルー)

 ペルーのリマ、かって日系人の家族が暮らしていたという「マツシタ邸」は、怪奇現象の多発する幽霊屋敷として知られていました。屋敷を調査しようと考えた大学生の調査チーム、ファビアン、ヒメナ、ルイスは、霊媒師と共に屋敷に潜入します。各部屋にカメラを設置し、調査を開始しますが、次々と奇怪な現象が起こります…。

 日系人が暮らしていたという幽霊屋敷を調査に訪れた男女が恐ろしい体験をする…というホラー作品です。
 カメラを持った撮影班が幽霊屋敷に潜入するという、いわゆるPOV(ポイント・オブ・ビュー=主観視点)ホラー映画なのですが、ユニークなのは、この幽霊屋敷が日系人に関わる家であり、ところどころに日本的な要素が使われている、というところでしょうか。
 キービジュアルでも見えている、漢字の「死」という字がモチーフとして登場するのですが、日本人としては、ここはどうも脱力してしまうシーンではあるでしょうか。ただ、お話の作り、演出など、ホラー映画としては非常によく出来ている作品だと思います。
 屋敷に出現する霊が、噂になっている日系人家族なのか、彼らは何を訴えているのか、過去に何があったのか、など、屋敷と住人に関する謎が序盤から少しずつ明かされていきます。屋敷での調査中、後には怪異現象に襲われてからも、その「謎解き」は最後まで続く、という点でサスペンスがありますね。
 霊の出現シーンもかなり怖く、揺れるカメラが動く際にすっと出てくる霊の描写はジャパニーズ・ホラーの影響もあるのでしょうか。
 また、薄暗い屋敷内をライトでうっすら照らしながら探索するという部分にもハラハラドキドキ感があります。
 屋敷内が異空間(あの世?)とつながっているかのような描写があり、そのあたりは低予算ゆえか、はっきりとは描かれないのですが、逆のその「省略」が不気味さを醸し出しています。薄暗い室内とカメラを通しての撮影もその空気感醸成に寄与していますね。
 最初は心霊的にじわじわと怖がらせていくのですが、後半では、非常なハイテンションになっていくのは、ラテンアメリカ作品ならではでしょうか。
 屋敷に潜む「悪霊」の力が強烈なのも印象的ですね。ポルターガイストなど物理的な力はもちろん、その出現も神出鬼没、空間さえも操っている節があるなど、後半での怪奇現象のつるべ打ちでは、気が休まる暇がありません。
 「死」の文字や日系人などの日本モチーフから、色物作品と思われがちですが、意外や意外、しっかりした本格幽霊屋敷ホラーになっているように思います。全体を覆う日系モチーフがある真相を隠すことにもなっており、その意外性も含めて、楽しめるホラー作品です。



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ローズ・グラス監督『セイント・モード/狂信』(2019年 イギリス)

 病院を辞めた看護士のモードは、死病に侵された、有名な元ダンサーのアマンダを住み込みで看護することになります。アマンダは信心深いモードの姿に感化され、二人は互いに友情にも似た感情を抱くようになります。
 アマンダの元に派遣されたのは神の采配だと考えるモードでしたが、アマンダが招き入れていた売春婦のキャロルをめぐって、二人の仲は破綻に近づいていました…。

 孤独な看護士の女性が宗教的情熱に取り憑かれて、精神を狂わせていく…という作品です。主人公の女性モードの宗教的な入れ込み方は極端で、信心深いというより「狂信」に近いほどです。介護をすることになったアマンダに対しても、神の導きによって彼女を救う、といった使命感に満ちていました。しかし、結局は神を信じないアマンダとの間で、モードの「信仰心」は揺らいでしまうことになるのです。
 敬虔な生活をする一方、信仰が揺らいだ際には金と男に溺れるなどモードの行動も極端です。また「苦行」として、針を足の裏に刺すなど、痛々しいシーンもありますね。
 彼女が身につけているネックレスの聖女は「マグダラのマリア」なのですが、作品内でのモードの行動もマグダラのマリアがモチーフになっているようです。手作りの聖水をペットボトルに入れて持ち歩くのは、マグダラのマリアのアトリビュート(持ち物)である香油壺を象徴したものでしょうか。
 映画全体がモードの視点で語られるため、彼女が見たものや起こる現象が幻覚なのか、本当に起こったのかどうか分からない、というのも面白いところですね。体が浮遊したり、「神の声」が聞こえたりと、超自然的な現象が多発しますが、それらが本当に起こっているのかがはっきりしないのです。
 モード自身の視点では、彼女の行動は全てが「神の恩寵」を得るためのものであり、アマンダの介護も「魂を導く」行為と捉えられています。モードの信じる「神」が存在するのか、彼女の信念は正しかったのか? という答えは結末のシーンで示されるのですが、このシーンのインパクトは強烈です。一秒あるかないかという最後のシーンで、これだけ強烈な印象を与える映画はそうそうないのではないでしょうか。
 ある意味、とても「残酷」な物語で、観賞を終えた後に改めて考えると、タイトルの「セイント(Saint)」(「聖人」の意)は非常に皮肉な意味を持っているのではないかと感じます。


テーマ:怪談/ホラー - ジャンル:小説・文学

最近観た映画

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マイケル・ウィナー監督『センチネル』(1977年 アメリカ)

 ニューヨークで、恋人である弁護士のマイケルと暮らしていたモデルのアリスンは、しばらく一人で暮らしてみたいと考えていました。父の急死後、仲介人のローガン夫人に紹介されたアパートに住むことになります。最上階の窓からは、引退した神父ハリランがずっと外を眺めており、それを不気味に感じます。やがてアリスンは、猫と小鳥を友とする陽気な初老の男チェイズンを通して、アパートの住人を紹介されますが、皆が風変わりな人物ばかりでした。
 アパートに住むようになってから、アリスンは頭痛を始め体調不良に悩まされることになります。しかも誰もいないはずの上の階には誰かがいるようなのです…。

 原作は、ジェフリイ・コンヴィッツ『悪魔の見張り』(高橋豊訳 ハヤカワ文庫NV)。モデルのヒロインが、引越し先のアパートで次々と奇怪な体験をするというホラー作品です。
 繊細で神経の細いヒロインが日常生活で不思議な体験をするようになっていく…という物語なのですが、中盤以降から頻発する怪異現象のインパクトが強烈です。
 アリスンは、亡き父との葛藤から、かって自殺未遂にまで追い込まれた過去が示されるのですが、アパートにおいてその父の亡霊(幻覚?)と遭遇することになります。幽霊というよりゾンビといった方が近い強烈な造形で、この場面を見ていて、ここがこの作品の一番の見せ場だろうなと思っていると、さにあらず、それをさらに上回るシーンが最後に用意されています。
 テーマとしては、悪魔を扱ったオカルト作品といえるのですが、アリスンとマイケルのカップルの個人的な罪と罰、そして世界的なレベルでの危機が結び合わされており、意想外に壮大なスケールのお話になっています。
 怪物が登場するシーンに、特殊メイクをした人間ではなく、全米のサーカスや見世物、病院などから異形の風貌を持った人々を集めて撮影したということで有名な作品で、実際それらのシーンはとんでもなくインパクトがあるのですが、その他にも、全体を覆う怪奇ムード、謎が段々と明かされていくサスペンスなど、見どころの沢山ある魅力的な作品となっています。



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デニソン・ラマーリョ監督『死体語り』(2018年 ブラジル)

 死体安置所で解剖の仕事をしているステニオには、死体の声を聞くことができる能力がありました。ある日運ばれてきた死体はギャングの一員でしたが、彼から自分が殺される理由となった密告者のことを聞き出します。
 別の死体から、ステニオの妻オデッテがカフェの店主ジャイミと浮気をしていることを知ったステニオは、以前に聞いたギャングの情報を利用してジャイミを殺させようとします。ギャングの一味によってジャイミは殺されますが、巻き添えを食ったオデッテも殺されてしまいます。
 死者の秘密を話したことにより、ステニオは呪われてしまいます。夫を憎むオデッテの霊は、ステニオとその子どもたちに対して度々襲いかかることになりますが…。

 死体の声を聞くことができる男が、その秘密を利用して妻を間接的に殺してしまい、そのために悪霊となった妻に呪われる…というホラー作品です。
 主人公ステニオの妻オデッテは、生前から夫を悪しざまに罵るなど相当の悪女なのですが、死後に至っては強烈な悪霊となり、夫を攻めたてることになります。妻の死後、怪奇現象がステニオをこれでもかと降りかかることになるのですが、周囲からは彼は精神のバランスを崩しているようにしか見えません。子どもたちからも怖がられてしまうことになります。
 妻の浮気相手ジャイミの娘ララは、ステニオに仄かな恋心を抱いており、子どもたちの世話の手伝いもしてくれるのですが、このララや子どもたちに対して、ジャイミとオデッテの殺人の真相を話すこともできず、それがために自らの精神のバランスが狂っていると疑われながらも、家族を守ろうと奔走することになります。
 悪霊化したオデッテは、子どもを殺すことにもためらいがないようで、その狂暴な霊から、いかに子どもたちとララを守れるか、というのが見どころになっていますね。
 ステニオと死体が話すシーンは独特で、彼には死体が口を聞いているように見えています。明らかにステニオが知るはずのない情報を得ていることからも、この能力が実在していることは間違いないようです。死者の秘密を漏らしてしまったことと家族を殺したこと(この場合は妻)は、死者の世界における重罪であるようで、ステニオはそれがため呪われ、死後においても罪人であることが確定してしまったようなのです。そもそも主人公が妻に浮気されたりと、もともと非常に運の悪い男で、死後における重罪が確定した上に、生きている現在でも度々悪霊に襲撃されるという悲惨な状況で、罪を犯したとはいえ、見ていて同情したくなってしまいます。
 死体解剖部分がリアルに描写されるので、グロテスクなものが苦手な人にはきついかもしれないですね。ステニオが仕事によるプレッシャーに悩まされるシーンなどもあります。事故で大量に運び込まれた死体から、何人もの死者の声を聞き、狂いそうになってしまう…というシーンには迫力があります。
 ブラックコメディになりそうな題材なのですが、終始シリアスに展開されており、ダークな色彩が濃い作品となっています。南米の作品と言うこともあるのでしょうが、陰湿な「怖さ」がありますね。



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ディーデリク・ヴァン・ローイェン監督『エンドレス・エクソシズム』(2018年 アメリカ)

 勤務中のある事件をきっかけに、恋人のアンドリューとも別れ、精神を病んでしまったメーガン。友人の看護師リサの紹介で、彼女の勤める病院の遺体安置所の夜勤の仕事を始めます。それは、病院に運び込まれた遺体の写真と指紋を撮った後、安置所に移動するという仕事でした。
 順調に仕事をこなすメーガンでしたが、運び込まれてきたハンナという少女の遺体を撮影しようとしたところ、機械がエラーを起こしてしまいます。それ以降、メーガンの周辺で次々と異常な現象が発生することになりますが…。

 遺体安置所の夜勤をすることになった元警官の主人公が、謎の少女の遺体が運び込まれたことをきっかけに怪異現象に襲われるというホラー映画です。
 主人公メーガンが、かっての警察の仕事で精神を病んでいた過去があり(現在も治りきってはいません)、そのため異様な現象を目撃しても、それが幻覚でないのか確信できません。あまりに異常な現象に、やがてそれらが本当に起きていることを確信するものの、周囲の人間も彼女を信じきれない、という設定は非常に上手いですね。
 少女の死体に何があるのか、メーガンが徐々に知ることにはなるのですが、この死体に何があったのかは冒頭で視聴者には知らされてしまっているため、何も知らない主人公に何が起きるのか?といった興味の方が先に立つようにはなっています。
 ただ、遺体安置所や不気味な死体など、ムード醸成は抜群で「怖い」ホラー映画になっていますね。トラウマを抱えていた主人公が、事件を通して自らを取り戻す…という成長もの的な要素もあります。
 前半は静かな心霊ホラー、後半は派手な怪物ホラーにシフトしていくのもメリハリがあって面白いです。



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スコット・スピアー監督『ザ・メッセージ』(2018年 アメリカ)

 シカゴにあった加速器の爆発事故の衝撃波で、多くの人間が命を落とします。事故で亡くなった人間たちは、生前の姿を留めたまま特定の行動を繰り返す幽霊となり、彼らは通称<残存者>と呼ばれていました。
 事故から十年、高校生の少女ロニーは、母親と<残存者>となった父親と共に暮らしていました。ある日、シャワーを使っていたロニーは、目の前に見知らぬ男の<残存者>が現れ、鏡に「逃げろ」というメッセージを書き残すのを目撃して驚きます。<残存者>はただの残像であり、意思疎通などは不可能とされていたからです。
 <残存者>に詳しいと噂される転校生カークの助けを借りることになったロニーは、ロニーの家に現れる男の正体を探ろうとしますが…。

 加速器の爆発事故によって死んだ人間が、<残存者>と呼ばれる死者の幽霊となって現れ続ける世界を舞台にした、ホラー・ファンタジー作品です。
 幽霊とはいっても、生前の行動を一定の時間で繰り返す残像のようなもので、周囲の人々はすでにその現象に慣れきっています。しかし、その法則に当てはまらない新しい<残存者>を目撃したロニーと友人カークは、<残存者>の秘密を探っていくことになります。ロニーの家に出現する<残存者>が、過去の殺人事件に関わっていることが分かり、それを調べていくうちに、ロニー自身も危機に巻き込まれていくことになります。
 メインテーマとなっている<残存者>の設定がユニークです。見た目は生者と全く見分けがつきません。一定の時間、一定の行動を繰り返すと消えて、再び現れるのです。また、物理的にぶつかっても消えてしまいます。
 事故の犠牲者のみに起きている現象かと思いきや、新しい<残存者>が現れたり、事故以前に死んだらしき過去の<残存者>が出現したりと、従来の法則では説明できない現象が多発していき、事故がいったい何を引き起こしたのか?というあたりに、SF的・オカルト的な説明がされるのも面白いところです。
 大量の人間が集まっている場所で、誰が生者で誰が死者なのか分からない…というシーンがたびたび繰り返されるところもユニークですね。
 主人公のロニーとカークが、それぞれ亡き父親への思いを抱えていること。また他の登場人物たちも、亡くした家族への思いを抱えているなど、「親子愛」「家族愛」がテーマともなっていて、事実それらが主人公を救うことにもなるという展開には温かみがあります。
 その一方、<残存者>をめぐる世界観は結構不気味で、後半に明かされるその真実は、かなり壮大なもの。主人公たちの問題は最終的に解決しますが、世界そのものが変わるわけではなく、それが続いていくのだと想像すると、意想外に怖い作品となっています。死者の世界をSF的に解釈した、異色のゴースト・ストーリーとも言えるでしょうか。



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マイク・フラナガン監督『ソムニア 悪夢の少年』(2016年 アメリカ)

 幼い息子ショーンを亡くした夫妻マークとジェシーは、8歳の少年コーディを養子に迎え入れます。蝶好きのコーディは、眠るのを嫌がり、蝶の図鑑を眺めてばかりいました。ある夜、夫妻の目の前に突然、大量の蝶の群れが出現し、やがて消えてしまいます。
さらに別の夜には、死んだはずの息子コーディが現れて、二人を驚かすことになります。 コーディが夢で見たものが現実に現れることを知ったジェシーは、ショーンの幼い頃に録画したDVDを見せて、コーディに息子の夢を見させようとします。マークはそんな妻の行動を批判しますが…。

 見た夢が現実化する能力を持つ少年と、彼を養子として迎え入れた夫婦を描くホラー・ファンタジー作品です。
 引き取った少年コーディの記憶にある物や人が現実に現れることを知ったジェシーは、亡くなった息子ショーンの写真や記録を見せ、その姿を再現させようとします。しかし、それはコーディを利用しているだけだとする夫マークは、妻の気持ちを理解しながらも、ジェシーの態度を批判し、二人の間にはわだかまりも生まれることになります。しかも、コーディの能力は良い夢だけでなく、悪夢もまた現実化してしまうことが分かります。
 彼自身が抱えるトラウマから眠ることを嫌がり、それがまたストレスとなって不眠を引き起こし、さらにそれが悪夢につながってしまう…という悪循環が描かれる部分は非常に上手いですね。
 コーディが見る悪夢では、奇怪な怪物が登場し、やがては現実世界に現れて、人を襲うことにもなります。この「怪物」の名前や造形の由来が、物語の設定としっかり結びついているところにも感心します。
 ジェシーは死んだ息子のトラウマを克服できるのか?また、コーディは悪夢を克服できるのか? といったところがポイントになっており、最終的には、お互いが本当の親子になれるのか?というのがテーマとなっている感じでしょうか。
 最初は美しい物や記憶を再現するだけのものだと思われていたコーディの夢が、段々と悪夢じみたものになっていくという展開は不穏です。起きているものだと思っていたのが、いつの間にか眠り込んでいたりと、このあたりは夢テーマ作品ならではの描写ですね。
 「怪物」の登場するシーンや、死んだ息子の行動が再現されるシーンなど、ところどころで不気味なシーンはあるものの、全体にファンタジーに近い味わいです。悲劇的な死がありはするものの、親子愛がテーマとなっていることもあり、後味の良い作品となっています。



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バーナード・ローズ監督『フランケンシュタイン アダム・ザ・モンスター』(2015年 アメリカ・ドイツ)

 現代アメリカ、ヴィクター博士の率いる科学者チームによって、成人男性型の人造人間が生み出されます。彼の知能は赤ん坊同様であり、少しづつ言葉や思考を身につけていきます。人造人間は、科学者の中でもヴィクターの妻エリザベスを「ママ」と呼び、特に慕っていました。
 しかし、細胞の複製が上手く行かなくなったことから、美しかった人造人間の体が醜く変貌していきます。悲観したヴィクター夫妻は薬を使って彼を安楽死させようとします。死んだと思われたものの、目を覚まし、パニック状態になった彼は、科学者や警備員を殺し、外に逃走してしまいます。森に逃げ込んだ彼は、そこで食物を探しながら暮らすことになりますが…。

  メアリ・シェリー『フランケンシュタイン』を原作に、その舞台を現代においてアレンジしたホラー作品です。人造人間として生み出された「モンスター」が、育ての親から捨てられ、現代社会を放浪しながら、迫害を受け続ける…という、かなりダークな雰囲気の物語となっています。
 「モンスター」の容貌は醜く、赤ん坊並の知能しかありません。しかしその腕力は常人では考えられないほどで、少し暴れただけで相手を殺してしまうほどなのです。外界で人間と接触する度に問題を起こしてしまい、それが原因でさらに迫害を受けてしまいます。
 「モンスター」本人は純真で悪意は全くないのですが、遊んでいるつもりで子どもを水に放り込んでしまったり、可愛がっていた犬を殺されて警官を傷つけてしまったりと、その行動が周囲と軋轢を引き起こしてしまいます。
 唯一、「モンスター」の友人となるのが盲目のホームレス、エディなのですが、彼との関係も、ある事件をきっかけに壊してしまうことになります。人間社会から否定された「モンスター」は、最終的には創造主であるヴィクターとエリザベス夫妻の元に向かうことになりますが、その結果も悲劇的なもの。最初から最後まで、愛を求めながらも、迫害され続けるという、救いようのない物語となっています。
 「モンスター」が振るう暴力シーンはかなり強烈です。人間離れした力が強調されており、その流血シーンも激しいもの。その一方、「モンスター」を迫害する人間の側の悪意も強烈で、暴力を振るい、時には殺そうとします。その意味で、強力な力を持ちながらも、むしろ「モンスター」の方が「被害者」的な描かれ方をされています。
 「モンスター」が受ける肉体的な迫害のみならず、精神的な孤独の描写も印象深いです。娼婦の部屋で、「ママ」への愛について語る部分は哀愁を帯びていますね。
 流血描写のほか、森で虫や動物の死骸を食べるシーンなど、視覚的にグロテスクな描写があるので、このあたりが苦手な人は観るのがきついかもしれないです。それ以上に、主人公の境遇が既にして痛々しく、精神的にも来るものがあります。
 現代で『フランケンシュタイン』の物語が展開されるなら、まさにこのような感じでは…というシリアスな秀作だと思います。ある意味、メアリ・シェリーの原作のエッセンスを上手く再現した作品ともいえるでしょうか。
 監督のバーナード・ローズは、『ペーパーハウス/霊少女』(1988)や『キャンディマン』(1992)を撮った人ですね。



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ジェイ・ラッセル監督『エバーラスティング 時をさまようタック』(2002年 アメリカ)

 20世紀初めのアメリカ、地主で資産家の娘ウィニー・フォスターは、厳しい両親の教育に対して窮屈さを感じていました。ふと家を飛び出し、森の中に入り込んだウィニーは迷ってしまいますが、そこで木の根元の泉から湧き出ている水を飲んでいる青年と出会います。
 喉の渇きを癒そうと泉の水を飲もうとするウィニーに対して、その青年ジェシーは必死で止めようとします。その場面を目撃したジェシーの兄マイルズは、ウィニーを無理やり、彼らの家に連れ去ってしまいます。兄弟の家には、彼らの両親であるアンガスとメイのタック夫妻がいました。
 さらわれた理由をタック一家はウィニーに明かそうとしませんが、いずれ、家に無事に返すことだけは約束します。一家と暮らしているうちに、ウィニーは実家では得られなかった自由を感じ、その生活を楽しみ始めます。やがてジェシーに対して恋心を抱くようになりますが…。

  ナタリー・バビットの小説『時をさまようタック』(評論社)を原作としています。資産家で厳しい家の一人娘が、森の中で暮らす一家と生活しているうちに彼らに魅了されていく…というファンタジー作品です。
 彼らタック一家には、ある秘密があり、その秘密が知られれば世間から追われてしまう可能性があるのです。事実、すでに遠出をしていた兄弟二人は、以前に追手から追われた経験もあることが示されます。
 ジェシーと恋人関係になるウィニーでしたが、彼と一緒に生きるためには、タック一家の抱える秘密を自身も抱える必要があるのです。彼らと共に「不自然な形で」生きるのか、それとも自然のままに生きるのか、ウィニーは人生の選択を試されることになるのです。
 タック一家の秘密と、それを追う追手との争いもお話の重要な要素として登場するのですが、その部分は割とあっさり決着がついてしまいます。むしろ、その後、ウィニーが二つの人生をどう選ぶのか逡巡するという、後日談的なパートがこの映画の一番の見どころといってもいいでしょうか。「ハッピーエンド」とは異なる形ですが、ヒロインのウィニーが、自ら生きる道を選択したことが示されるラストには感動がありますね。
 映画版では、原作では幼い子どもに設定されていた、ウィニーとジェシーの年齢を引き上げ、恋愛を絡ませることによって、ウィニーの「選択」が難しくなるという、現代的なアレンジがなされています。



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ウーゴ・カルドゾ監督『モルグ 死霊病棟』(パラグアイ 2019年)

 夜に車で恋人の家に向かう途中、落ちたスマホに気を取られて人をはねてしまったディエゴは、倒れた男を見捨てて逃げ出してしまいます。おびえて家に帰りますが、目覚めると勤め先の警備会社から連絡が入ります。仕事の指示で、病院の夜勤につけというのです。病院で警備についていたゴンザレスと交代したディエゴは、死体安置所を訪れますが、そこには一体の死体が寝かされていました。ゴンザレスによれば、死体の主はひき逃げされた男であり、犯人はまだ見つかっていないというのです。
 平然としたふりをして警備につくディエゴでしたが、夜を過ごしているうちに、奇怪な現象に何度も遭遇することになります…。

 ひき逃げした男が、自分が殺した男の死体が置かれた死体安置所の警備をすることになる、というホラー作品です。警備をしているうちに、何度も奇怪な現象が起こり、主人公が精神的に追い詰められていくことになります。
 前半は、ドアや物が勝手に動いたり、カメラやスマホに霊のようなものが映ったりと、地味めな怪異現象が続きます。「地味」とは言いましたが、間の取り方や雰囲気づくりなど、演出が上手いので、これがかなり怖いのですよね。実際に人間の侵入者が現れるなど、演出のメリハリが効いているので、たびたび起こる細かい怪異現象が効果を上げています。
 中盤から、主人公ディエゴが死体置き場に閉じ込められてしまうのですが、ここからが見どころです。怪異のつるべ打ちといった感じで、前半に現れていた以上の怪異現象が続きます幻覚とも実体ともつかぬ霊現象が発生しますが、このあたりの恐怖感は強烈です。基本、出るぞ出るぞ、といった前置きがあった後に実際に怪異が起きるので、身構えて観てしまうのですが、それでも怖がらせてしまう、というあたり、恐怖演出が優れているのだと思います。
 主人公ディエゴは見栄っ張りで軽薄、利己的な人物として描かれています。そうした性格描写の果てに、ひき逃げ行為が描かれるので、この人物が散々怖い目にあっても「因果応報」としか思えないようになっています。その意味で、主人公が理不尽な怪異現象に苦しめられても、あまり後味が悪くありません。
 霊に復讐されるという、お話としてはかなりオーソドックスな部類の映画です。ただ、雰囲気作りや怪異現象の演出が優れていて、飽きずに見ることができます。これだけ「正攻法」で来ても「怖い」映画はなかなかないのではないかと思います。



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中川信夫監督『地獄』(1960年 日本)

 大学生の清水四郎は、恩師の矢島教授の一人娘である幸子と婚約し、幸せの絶頂にいました。悪友の田村の自動車に同乗していたところ、ヤクザらしき男を轢いてしまいますが、そのまま轢き逃げしてしまいます。良心の呵責に苦しめられていたところ、さらに、幸子を自動車事故で亡くしてしまいます。
 母親の危篤の報を受けて、四郎は実家に戻ることになります。父の剛造は老人保養施設「天上園」を経営していましたが、その一室に友人の画家、谷口円斎とその娘サチ子を住まわせてやっていました。サチ子と互いに好意を抱くようになった四郎でしたが、またも、四郎の前に田村に導かれるようにして、罪を重ねてしまうことになります…。

 大学生四郎が、殺人を始めとする罪を重ねて死んだ結果、地獄に落ちてしまうという物語です。四郎は善良な人間なのですが、彼の周りをうろつく悪友田村が悪魔のような人間で、彼の導きによって、次々と罪を重ねてしまうことになります。
 轢き逃げした後に自首を考える四郎に隠蔽を勧め、それが原因で、轢き殺されたヤクザの母と情婦に命を狙われてしまうことにもなります。またその因果で、四郎の周囲の人間が大量に死ぬ原因ともなってしまうのです。
 前半は、四郎を始めとした人間たちが罪を重ねていくという、非常にどろどろとした人間ドラマが展開されていきます。四郎の周囲の人物はほとんどが過去に罪を重ねてきた人間であり、善人だと思われていた矢島教授でさえ例外ではないのです。
 なかでも「罪深さ」で群を抜いているのが四郎の父親である剛造。老人ホームを経営しながらも、補助金をピンハネし、ろくな食べ物を与えなかった結果、栄養失調になった老人が死んでしまうほどの貪欲さ。重病の妻の前で堂々と妾と遊び回るという、無神経かつ鉄面皮な人間として描かれています。
 後半では、四郎を含む主要な登場人物が全て死んでしまい、そのまま地獄に落ちてしまいます。ここからがこの映画の本領で、生前罪を重ねた人間たちが、地獄で罰を受けるシーンが強烈なビジュアルと共に描かれます。
 「三途の川」や「血の池」といった地獄の場所、また、地獄の鬼による拷問、のこぎり切りの刑や皮剥ぎの刑など、罪人たちが受ける刑罰の描写も描かれています。特に皮剥ぎの刑の場面は、スプラッターそこのけのインパクトで記憶に残ります。
 前半でその罪深さが描かれていただけに、悪人たちが地獄で罰を受けるのも当然、となりそうなのですが、その刑罰が余りに強烈で、逆に同情心が湧いてしまうほどです。
 四郎に執着する田村は、超自然味の強いキャラクターで、誰も知らないはずの他人の罪を言い当てるなど、超能力的な力を発揮します。四郎を悪の道に引き込もうとする、徹底して「悪」を体現するキャラクターになっています。
 「悪魔」というべきか「メフィストフェレス」というべきか、そうしたモチーフを担っているようですね。「地獄めぐり」がメインテーマとなっている本作ですが、この悪魔的存在の田村が絡む部分は、ゴシック小説風の味わいもあります。
 1960年の映画ということで、今観ると特撮的には弱いところもあるのですが、その想像力あふれる演出で、恐怖感が感じられる作品となっています。前半は人間の罪深さが描かれる「生き地獄」、後半は文字通り「死者の地獄」が描かれるという、地獄づくしの映画です。



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 ジェームズ・ワン監督『マリグナント 狂暴な悪夢』(2021年 アメリカ)

 妊婦のマディソンは、夫であるデレクから家庭内暴力を受けていました。既に何度も流産しているマディソンは、お腹の子どもに対する不安からデレクに反抗しますが、激昂したデレクに壁に頭を叩きつけられ出血してしまいます。危険を感じたマディソンは部屋に鍵をかけ、そのまま眠ってしまいます。
 部屋から閉め出され、1階で寝ていたデレクは、何者かに襲われ殺されてしまいます。目を覚ましたマディソンも、隠れていた人影に襲われて意識を失います。
 退院したマディソンは、白昼に悪夢を見るようになります。それは得体の知れない殺人鬼の男が、見知らぬ人々を殺害していくというものでした。殺人が現実のものだと考えたマディソンは、妹のシドニーと共に警察を訪れ、刑事のケコアとレジーナに夢の内容を話すことになりますが…。

 夫を殺され、自らも襲われた女性マディソンが、殺人鬼の犯行現場を幻視するようになる…というホラー作品です。
 奇怪な殺人鬼は、マディソンを襲った男と同一人物なのではないか? ということで、犯人を追い詰めていくサスペンス・ホラーなのかと思いきや(実際そういう話ではあるのですが)、中盤からの怒濤の展開で、開いた口が塞がらなくなってしまうという怪作です。ホラー慣れしている方であれば、犯人の正体については何となく想像がつくかとは思います。ただ、それが見抜けたところで、さらに予想を上回る展開と演出が待っているのです。
 序盤こそオーソドックスなサスペンス・ホラー風味ですが、中盤からは全く先の読めない展開になっていきます。後半では唐突に激しいアクションシーンが登場するなど、いろいろなジャンル要素が詰め込まれたホラーとなっています。
 タイトルにもある、ヒロインの「悪夢」シーンについても、現実と悪夢世界が混濁していくという斬新な演出で印象に残りますね。また、なぜマディソンが「犯人」を夢に見るのか? という部分の解釈も、合理的で納得のゆく説明がなされているところに感心します。
 観ると、いろいろ語りたくなるのですが、あまり情報を入れずに観た方が楽しめる映画だと思います。「B級ネタ」を大真面目に、スタイリッシュに構築してしまった映画で、「快作」であると同時に「怪作」でもある作品ですね。
 ミステリ、サスペンス、SF、アクション等、多様なジャンルの要素が散りばめられた、エンターテインメント要素たっぷりのホラー作品です。



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アノ・サオル監督『ザ・ドア 交差する世界』(2009年 ドイツ)

 画家のダビッドは、妻マヤの留守中に、不倫相手の隣人の女性ジアと会っていました。その間、目を離していた娘のレオニーは自宅のプールに落ち、ダビッドが帰宅した際には、すでに命を落としていました。
 5年後、レオニーをめぐる一件と不倫行為から、マヤに別れを告げられていたダビッドは絶望し、自殺を試みますが、友人のマックスに助けられます。
 直後に不思議な蝶に導かれて辿り着いたのは奇妙なトンネルでした。トンネルを抜けると、そこは自宅周りの場所で、しかも季節が異なっていました。周囲の環境から、そこが5年前の娘が死んだ当日であることを認識したダビッドは、自宅に急ぎ、レオニーを救出することに成功します。
 娘を休ませていたところ、本来の住人である5年前のダビッドが帰宅し、鉢合わせした二人はもみ合いになります。ダビッドは、そばにあった鉛筆で衝動的に過去の自分を刺し、殺してしまうことになりますが…。

 娘を亡くした男が、娘が生きているパラレルワールドに入り込み、その世界の自分と入れ替わって暮らそうとする…というSFサスペンス映画です。
 不倫を繰り返すなど、利己的だった主人公ダビッドが、パラレルワールドに入り込むことによって、失った娘と妻を取り戻すチャンスを得ることになります。入り込んだパラレルワールドは5年前の世界であることから、髪や格好を過去のものに似せて、その世界の住民になりすまそうとするダビッドでしたが、血痕を目撃した娘のレオニーからは「本物のパパ」ではないと疑われてしまいます。さらに庭に埋めた過去の自分の死体が見つかりそうになったり、親友のマックスに疑われたりもします。
 再び娘と妻を失うことを恐れ、「偽物」であることがばれないように、様々に取り繕うダビッドの焦燥感が描かれていき、このあたりのサスペンス感は強烈です。
 「他人のふりをする」サスペンスというのは、珍しくないと思うのですが、演じるのが「過去の自分」という点でユニークな作品になっています。隠した死体が見つかりそうになって焦るシーンというのも、この手のサスペンスでは常套ではありますが、それが「自分の死体」であるだけに、ブラックな味わいになっていますね。
 「成りすまし」がばれずにやり過ごすことができるのか? と同時に、失われた娘と妻の愛を取り戻すことができるのか? といったところもテーマになっています。身勝手な男ではあるものの、家族に対する愛情は本物であり、それを失うまいとする行動が、物語を動かす大きな要因となっています。
 後半では、パラレルワールドと本来の世界をめぐって新たな事実が示され、思いもかけない方向へ物語が進んでいくことにもなります。後半の展開は、ある種、ホラー的な興趣も強くなっており、目が離せません。風変わりな味わいのSFサスペンスとして、秀作といってよい作品だと思います。
 原作は『猫たちの聖夜』で知られるドイツの作家アキフ・ピリンチの未訳の小説『Die Damalstur』(2001年刊)です。



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スティーブン・コスタンスキ監督『サイコ・ゴアマン』(カナダ 2020年)

 8歳の少女ミミと10歳の兄ルークは、庭で遊んでいた際に、掘った穴から不思議な宝石を見つけます。それはかって宇宙を恐怖に陥れた残虐な宇宙人「悪夢の大公」を封印していた宝石でした。復活した宇宙人が宝石を持った者に逆らえないことを知ったミミは、その力を使い宇宙人をコントロールします。
 「サイコ・ゴアマン」と名付けた宇宙人と共に、ミミはやりたい放題を重ねており、ルークと両親は嫌々ながらそれに巻き込まれていました。
 一方、宇宙では「悪夢の大公」の復活を感知した者たちが討議を重ねていました。かって「悪夢の大公」を封印した「テンプル騎士団」の戦士パンドラは、人間の姿に化け、地球に潜入することになりますが…。

 破壊の限りを尽くした残虐な宇宙人を復活させた少女が、宝石の力により彼をコントロールし、やりたい放題に暴れ回る…というホラーコメディ作品です。
 宇宙人「サイコ・ゴアマン」は恐るべき力の持ち主で、素手で人間を簡単に殺せるだけでなく、奇怪な姿に変身させたりと、魔法のような力の持ち主。性格も残酷で、隙あらば目の前の生き物を殺してしまうような存在です。
 一方、ミミはいささかサイコパス的な少女で、「サイコ・ゴアマン」を全く恐れるどころか、自らの遊びのために彼の力を利用してしまうのです。この主人公ミミの破天荒な行動がこの作品の一番の魅力でしょうか。両親の言うことは聞かず、兄のルークも手下扱い。自分の利益と楽しみのために「サイコ・ゴアマン」を利用しまくるのです。最後まで徹底して「やりたい放題」を繰り返す、というのが爽快です。
 地球上の生物に対しては無敵だった「サイコ・ゴアマン」も、「テンプル騎士団」のパンドラを始め、地球外から訪れた宇宙人たちには苦戦することになります。ミミとルーク、その両親も戦いに巻き込まれてしまうことになるのですが、その過程で夫婦愛、兄弟愛、家族愛が試されることにもなっていきます。さらに家族たちと過ごしていた「サイコ・ゴアマン」の中にも暖かい感情が生まれてくるという、まるでファミリー映画のような展開にも唖然としてしまいます。
 悪ふざけの固まりのようなミミのキャラクターに眉を顰める人もいるかと思うのですが、正義の執行者を自認するパンドラも、残虐さと身勝手さでは「サイコ・ゴアマン」とそう変わるところはなく、また他の宇宙人の「偽善」も示されるなど、相対的な善悪が宇宙的スケールで表現されていき、そのあたりの正義と悪の観念も曖昧になってしまう…というあたりも面白いですね。
 観ていて笑ってしまうお話なのですが、「サイコ・ゴアマン」や他の宇宙人による殺戮シーンは強烈で、ゴア描写も容赦がないです。そうした残虐なスプラッター描写とコメディ調のトーン、そして家族愛のモチーフ、本来なら一緒にならないような諸要素が一体となっており、しかもそれらが違和感なく同居しているという怪作です。
 監督は特撮作品のファンでもあるらしいのですが、本作に登場するそうした特撮部分も、多少の安っぽさを含めて、こうしたジャンルに対する愛情が感じられるものになっていますね。
 「サイコ・ゴアマン」を始めとした、宇宙人やクリーチャーの造形も、ユニークかつユーモラスで楽しいです。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

恐怖の家  ピーター・ダッフェル監督『怪奇!血のしたたる家』
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 ロバート・ブロック脚本によるオムニバス・ホラー映画『怪奇!血のしたたる家』(ピーター・ダッフェル監督 1971年 イギリス)は、いわくのある謎の屋敷で様々な怪奇な事件が起こる…という作品です。

 行方不明になった俳優の調査のため、スコットランドヤードからやってきたホロウェイ警部。現地の警察官や、俳優が住んでいた屋敷を斡旋した不動産屋から事情を聞きますが、その屋敷に過去に住んだ人間たちは皆、失踪したり、死んでいたりするというのです。警部はそれらの話を聞くことになりますが…。

 大枠は、行方不明になった俳優の捜索に訪れた刑事が、過去にいわくのある屋敷で起こった事件を聞く、という体裁の枠物語となっています。以下、各エピソードを紹介していきましょう。

第1話「Method For Murder」
 ホラー作家のチャールズとアリスは、屋敷が気に入り引っ越すことになります。チャールズは自作にドミニクという名の殺人者を登場させることにし、その仕事に没頭しますが、ある日そのドミニクそっくりの男が身の回りに現れ始めます。
 妻はドミニクの姿を認識せず、チャールズが精神を病んでいるのではないかというのですが…。
 フィクションの人物が実体化するというテーマの作品です。ブロックだけにその人物も殺人者という物騒さ。結末のひねりが楽しいですね。
 原作は「スタニスラフスキー・システムの殺人」(沢川進訳 ルーシー・フリーマン編『殺人心理学』ハヤカワ・ミステリ文庫 収録)です。

第2話「Waxworks」
 一人暮らしを好む資産家の男性フィリップは屋敷に引っ越してきてから、読者やレコードを共にして一人での生活を楽しんでいました。ある日町の蝋人形館に入ったフィリップはサロメの人形が、かって愛した女性にそっくりなのを見て驚きます。館の主人は、サロメのモデルは、かって愛人を殺し死刑になった自らの妻だと語りますが…。
 蝋人形に見出したかっての思い人の影。しかしそのモデルの女性は殺人を犯した希代の悪女だった…という物語。主人公演じるピーター・カッシングの好演もありシリアスな雰囲気が濃いですが、お話自体は、精神を狂わせた人が登場する猟奇的かつブラックな物語になっていますね。
 原作は「蝋人形館」(小牧園子訳 中田耕治編『夢魔』青弓社 収録)です。

第3話「Sweets to the Sweet」
 屋敷に引っ越してきたジョンとジェーンの親子。父親は娘を学校に通わせず家庭教師アンに任せることにします。誰とも交流させず、おもちゃすら与えない父親の方針にアンは驚きますが、その理由については話してくれません。ただ、ジェーンの母親はとんでもない女だったということを匂わせるばかりでした…。
 可愛らしい娘を恐れる父親の心理とは…。オカルトと「恐るべき子供たち」テーマを組み合わせたエピソードです。クライマックスの惨劇シーンを直接写さず、想像させるという部分は効果を上げていますね。
 原作は「子供にはお菓子を」(稲葉明雄訳 仁賀克雄編『楽しい悪夢』ハヤカワ文庫NV 収録)です。

第4話「The Cloak」
 屋敷に引っ越してきた怪奇映画のスター俳優ポール。現在進行中の映画では、ポールは吸血鬼役を演じていました。しかし雰囲気を重視するポールは、衣装係が持ってきたマントが気に入らず、自分で探すことになります。
 楽屋に置かれた名刺をたよりに骨董店を訪れたポールは、そこでイメージぴったりのマントを見つけて購入します。しかしそのマントを身に着けた状態で鏡を見ると、自分の姿が映らないことに気づき、驚くことになりますが…。
 身に付けると吸血鬼になってしまう呪いのマントを手に入れた男の物語です。最終的には不幸な目に会ってしまうことになるのですが、主人公が傲慢でプライドの高い人物であることもあって、結末には妙な爽快感がありますね。
 原作は「マント」(仁賀克雄訳 仁賀克雄編『吸血鬼伝説』原書房 収録)です。

 オムニバスということで、共通するいわくのある屋敷が登場しますが、そもそも家がほとんど関係のないエピソードもあったりと、その緩さも含めて楽しい作品になっています。これは、もともと関係のないロバート・ブロックの原作短篇をつなぎ合わせるための措置だったため、という事情もあるのでしょうね
 エピソードはどれも、残酷で猟奇的、でもブラック・ユーモアたっぷりで陰湿にはならない…という、ブロックの短篇の味わいを映像化したオムニバスとなっています。現代のホラーではあまり見られなくなった味わいで、今となっては貴重な作品でもありますね。


テーマ:怪談/ホラー - ジャンル:小説・文学

マリオ・バーヴァの怪奇幻想映画を観る
 イタリアの怪奇幻想映画の巨匠とされるマリオ・バーヴァ(1914年~1980年)。元撮影監督という経歴からか、そのカメラワークと美しい画面構成には定評があります。ホラー映画には欠かせない雰囲気作りも非常に上手く、1960~1970年代に作られた作品には今でも魅力がありますね。近年その作品のソフト化も進んでおり、多くの作品が観られるようになりました。いくつか紹介していきたいと思います。


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マリオ・バーヴァ監督『血ぬられた墓標』(1960年 イタリア)

 17世紀バルカン地方、王女アーサとその恋人ヤヴティッチは、魔術を行った罪で、悪魔の面をかぶせられて処刑されてしまいます。
 二世紀後、医者のクルヴァヤンとその助手アンドレイはモスクワへ向かう途中、馬車の故障で立ち往生していまい、近くにあった墓所に足を踏み入れます。その中にあった石棺にはまだ原型を留めた女性の遺体が収められていました。ふいに巨大なコウモリに襲われたクルヴァヤンは怪我をしてしまい、出血してしまいます。
 墓所の入り口で美しい娘カティアと出会った二人は、彼女がかって魔女アーサに呪われた一族の末裔であることを知ります。
 クルヴァヤンの血によって蘇った魔女アーサは、かっての恋人ヤヴティッチをも蘇らせ、カティアの一族に復讐をしようとしますが…。

  ゴーゴリの短篇『ヴィイ』をベースに、魔女の復活と復讐を描いたホラー映画作品で、マリオ・バーヴァの監督デビュー作品です。
 魔女の伝説、夜の墓場、秘密を抱えた巨大な屋敷、魔女と生き写しのヒロインなど、ゴシック・ロマンス的な道具立て満載で、耽美的な雰囲気とも併せて、モノクロながら魅力的な作品となっています。
 舞台や雰囲気だけでなく、魔女アーサとヒロイン、カティアを演じるバーバラ・スティールが非常に美しく、魅力的に描かれていますね。カティアがその一族の宿命からアーサとそっくりであるという設定で、一人二役であることにも説得力があります。クライマックスでは、そのために二人の取り違えが起こるなど、物語上でもそのそっくりさが上手く使われています。
 魔女によって血を吸われた人間は、死者となりその意のままに動くなど、魔女ものではありながら、吸血鬼ものの要素もある作品になっています。魔女自身は最後の方まで自らは動かず、実際に復讐計画を実行していくのは、恋人のヤヴティッチ、そして操られたクルヴァヤン医師であるところも面白いです。
 魔女の顔に釘の入った悪魔の面が打ち込まれるシーン、死体となった魔女が血によって蘇るシーンなど、見せ場となる残酷・流血シーンも多いのですが、見せ方が洗練されていて、俗悪にならないところがバーヴァならではというところなのでしょうか。清純なカティアと禍々しい魔女アーサを演じ分けるバーバラ・スティールの演技も見事です。
 ショッキングな題材を扱っていながらも、そこには美的なセンスが溢れていて、文芸ホラー映画とでも呼びたい作品になっていますね。



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マリオ・バーヴァ監督『白い肌に狂う鞭』(1963年 イタリア・フランス)

 19世紀のヨーロッパのとある国、メンリフ伯爵一族が暮らす海辺の城館に、勘当されていた長男クルトが帰ってきます。残酷で身勝手なクルトは、父親からも忌み嫌われていましたが、唯一弟のクリスティアーノだけが兄に同情的でした。
 クリスティアーノの妻ネヴェンカは、かってのクルトの婚約者であり、クルトを憎みながらも、その暴力的な性向に惹かれてもいました。
 弟に奪われた自らの特権を返してくれるよう父親の伯爵に話すクルトでしたが、何者かによってクルトは短剣で刺殺されてしまいます。ネヴェンカはそれ以来、クルトの悪夢に悩まされるようになりますが…。

 死んだはずのかっての婚約者の霊に襲われる若妻の恐怖を描いた、クリストファー・リー主演のホラー作品です。
 婚約者クルトの弟クリスティアーノと結婚したネヴェンカですが、被虐的な性質を抱える彼女は、再会したクルトの暴力的な性向に惹かれていました。何者かによってクルトが殺されてしまった後も、彼についての悪夢に悩まされ、霊に憑りつかれてしまうのです。
 メインは霊に憑りつかれる若妻の恐怖を描く部分なのですが、クルトを殺したのは誰なのか? またクルトの死後に起こる殺人事件の犯人は誰なのか? という二つの殺人事件の犯人をめぐるサスペンスも同時に進行していきます。
 クルトを憎む父親のほか、使用人の老婆ジョルジアは、かって娘をクルトに誘惑されて自殺で失っています。また使用人のロザートも不審な行動をするなど、複数の登場人物に殺人の動機があるのです。更には、実はクルトは死んでおらず、城に潜んでいるのではないか?という疑いまで発生してきます。
 海辺の城館で展開される物語はゴシック趣味たっぷりで、雰囲気抜群なのですが、加えて殺人事件の犯人捜し的な興味もあり、非常に上手くまとまったホラー作品となっています。
 ネヴェンカ(ダリア・ラヴィ)とクルト(クリストファー・リー)のサドマゾ的な関係が描かれる部分も妖艶で、鞭打ちシーンは、一度見たら忘れられないインパクトがありますね。
 兄クルトがいなくなった後に、弟クリスティアーノは兄の婚約者ネヴェンカと結婚するものの、クリスティアーノは従妹のカティアを愛しており、ネヴェンカ自身も実のところクルトを愛し続けている…という複雑な愛情関係もあり、このあたりの人間ドラマ的な部分も面白く観れます。



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マリオ・バーヴァ監督『呪いの館』(1966年 イタリア)

 ポール医師は、地元の者も寄り付かない荒れた村にやってきます。クルーガー警視の依頼により、教会で遺体となって発見された若い女性イレーナの検視をするためでした。村では何年もの間、死亡事件が多発していました。クルーガーによれば、村人たちは何かを恐れており、まともな証言が得られないというのです。
 検視には立会人が必要だということで、たまたま幼いころに村を離れた看護学生のモニカに協力してもらうことになります。死体の心臓には銀貨が埋め込まれていることに、ポールは驚きます。
 ポールは、死体の解剖をしたことから、迷信に囚われた村人たちに殺されそうになってしまいます。彼を救ったのは、村の魔女ルースでした。
 クルーガーが、死んだイレーナが働いていたグラプス男爵夫人の邸宅に向かったことを知ったポールは、自らもグラプス邸に向かいますが…。

 過去に不遇の死を遂げた霊の呪いにより、次々と死者が発生する村を描いた、ゴシック風味豊かなホラー映画です。村人たちは霊の呪いを恐れていますが、主人公であるポールは最初はそれを信じません。しかし霊の仕業としか思えない事態が続き、自らも怪奇現象を体験するに及び、それを信じ始めます。
 幽霊が何度もはっきり姿を現すので、霊の存在は疑い得ないように描かれています。霊には人を自殺に追い込む力があるようで、その前に現れた人間は次々と殺されてしまいます。
 前半は、霊が現れ人々が死んでいく…という流れが描かれますが、演出があまり派手でないこともあり、ちょっと退屈してしまうところもありますね。ただ、バーヴァの持ち味である画面構成と色彩の美しさは素晴らしく、物語展開が遅い代わりに、そちらの興味でも観ていくことができますね。
 後半では、霊や呪いの根本原因がグラプス邸にあることが分かり、そちらに乗り込んでいくことになります。主人公が部屋から出られなくなるシーンはなかなかに怖いですね。ゴシック趣味豊かな屋敷内部の絵作りは大変に魅力的です。
 最終的には、霊や呪いだけでなく、事件に人の手が介在していることも分かることになります。オカルトだけでなく、「ジャッロ(イタリアの殺人劇ジャンル)」風味も加えられているという、面白い味わいの作品となっています。
 ちなみに、作中に登場する、毬を持つ少女の霊は、「世にも怪奇な物語」中のエピソード「悪魔の首飾り」の少女の元ネタになっているそうです。



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マリオ・バーヴァ監督『ブラック・サバス/恐怖! 三つの顔』(1963年 イタリア)

 トルストイ、チェーホフ、モーパッサンの短篇3作品を原作にした、ホラー・オムニバス映画です。

「電話」
 ロージーが住む部屋に何度も電話がかかってきます。電話の主の男は名乗らないながら、ロージーの行動を逐一監視しているようで、やがて彼女を殺すとまで宣言します。電話の主が、かって自分が密告し脱獄が報じられた男フランクではないかと考えたロージーは、絶交していた友人メアリーに電話をかけ、部屋に来てほしいと嘆願しますが…。
 閉鎖環境での恐怖を描くスリラーです。脅迫電話を続ける男は本当にフランクなのか? 絶交していたというメアリーとの関係についても詳しくは語られないので不穏な雰囲気が強いですね。捻った展開が面白いエピソードとなっています。

「ヴルダラク」
 馬で旅を続けるウラジミール伯爵は、首を切られ胸に短剣の刺さった死体を見つけます。たどり着いた民家の壁にかかっていたのは、死体に刺さっていたのと同じ短剣でした。
 現れた男ジョルジョによれば、短剣は父ゴルカのものであり、周囲を荒らすトルコ人の盗賊アリベクを殺すために出かけたといいます。死体はそのアリベクではないかというのです。
 すぐに立ち去るように言われたウラジミールでしたが、家の美しい娘ズデンカに惹かれ、一晩泊めてもらうことになります。
 ズデンカによれば、この地方ではヴルダラクが恐れられているといいます。彼らは愛する者の血を吸い、その愛が深いほどその欲望は強いというのです。
 家のものたちは、父ゴルカがヴルダラクになってしまったのではないかと危惧していました。やがて戻ってきた父ゴルカの様子はおかしく、短気で残酷になっていました…。
 いわゆる吸血鬼ものなのですが、積極的に身内を狙ってくる、というのが質が悪いですね。戻ってきた父親が吸血鬼になっているのか、半信半疑の状態になる家族が描かれる部分にはサスペンスがあります。父親ゴルカをボリス・カーロフが演じており、流石は名怪奇俳優。迫力があります。
 霧がかった夜の情景も素晴らしく、集中一番の力作エピソードでしょう。原作は、A・K・トルストイ「吸血鬼の家族」(栗原成郎訳 沼野充義編『ロシア怪談集』河出文庫 収録)で、割と忠実に映像化されているようです。

「水滴」
 看護師であるヘレンは、深夜突然の電話を受けます。女伯爵が急逝したために屋敷にすぐ来てほしいというのです。女伯爵は交霊術に入れこんでおり、その最中に亡くなったといいます。死体の着替えをさせている最中に、指にはまった美しい指輪に目を惹かれたヘレンは、密かにそれを抜き取って自分のものとしてしまいます。
 家に戻ったヘレンは、水滴の音が聞こえることに気が付き、水回りを確認します。しかし水道や風呂場など、水回りを全て確認しても、その音は聞こえ続けるのです…。
 女の死体から指輪を盗んだことで、その霊に祟られる看護師を描いたエピソードです。
 亡くなった女伯爵の死にざまの顔が強烈です。この女伯爵の霊が登場するのですが、この出現シーンは非常に怖いです。女伯爵の屋敷にしろ、ヘレンの部屋にしろ、室内の静かで暗い雰囲気がよく出ており、何も出ない段階でも既に怖いというのは、バーヴァならではの演出でしょうか。

 三話のエピソードを挟む形で、案内人としてボリス・カーロフが登場して語る形式になっています。最初はともかく、最後の登場では、かなりユーモラスな語り口とメタな描写が展開されており、本編のシリアスな雰囲気とのギャップが興味深いところです。今見ても面白いホラー・オムニバス映画で、特に二話目と三話目の恐怖感は絶品です。



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マリオ・バーヴァ監督『処刑男爵』(イタリア 1972年)

 オーストリアにいる叔父フンメル博士のもとを訪れた甥の青年ピーター・クライスト。一族の歴史に興味を持っているピーターは、先祖のフォン・クライスト男爵にも関心を抱いていました。男爵は、かってその残酷さから恐れられ”処刑男爵”と呼ばれていましたが、恐ろしい最期を遂げたと言われていました。
 祖父の家にあったという古文書には、男爵を蘇らせるという呪文が記されていました。男爵の宿敵であり、殺された魔女エリザベトが、男爵が死後も苦しむようにかけた呪いだというのです。
 現地で知り合った歴史研究者の女性エヴァと親しくなったピーターは、共に男爵の住んでいた古城を訪れ、呪文を唱えますが、ふとしたことから古文書を焼失してしまいます。その直後から、城の周辺で殺人事件が多発するようになります。蘇った男爵の仕業だと確信したピーターたちは、彼を止めるための方策を考え始めますが…。

 残酷さで恐れられ殺された17世紀の領主が呪文によって現代に蘇り、殺人を繰り返すという、ホラー作品です。
 蘇った処刑男爵は、身体が腐ってどろどろになったゾンビのような風体なのですが、知恵は人並み以上にあるため、なかなか追い詰めることができません。
 後半では、大富豪によって古城が買われ私有物になってしまい、城をめぐる探索もなかなかスムーズにいかなくなってしまいます。しかもこの富豪が猟奇趣味の持ち主で、男爵の残酷さを再現するためと称し、城を当時の姿に再生しようともするのです。
 残酷な男爵をなぜわざわざ蘇らす呪文があるのかというと、これはそもそも「呪い」の一環で、彼に苦しめられた魔女によって、蘇らした男爵をさらに苦しめるためにかけられた呪いだというのも、面白い設定ですね。
 実際クライマックスでは、その呪いが実現される光景が展開されるのですが、この部分の視覚的なインパクトは非常に強烈です。
 基本、怪物となった男爵が人を襲う、というのが繰り返されるオーソドックスなホラーなのですが、男爵の怪物的な造形や、舞台となる古城やそのギミックなどは観ていてとても面白く、怪奇ムードもたっぷりなので、ホラー好きとしては楽しめる作品ではないでしょうか。



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マリオ・バーヴァ監督『クレイジー・キラー/悪魔の焼却炉』(スペイン・イタリア 1969年)

 母親から引き継いだブライダル企業を経営するジョンは、妻のミルドレッドの資産によって会社を大きくし、豊かな生活をしていましたが、妻との仲は最悪の状態になっていました。離婚を持ち出すものの、ミルドレッドは絶対に別れないとはねつけます。
 母親を殺された経験をトラウマとして持つジョンは、ウェディングドレス姿の花嫁を何度も殺害していました。殺しを繰り返す度に、母親の死に関わる記憶が蘇り、その死の真相を探るために殺人を繰り返していたのです。
 いとこの元にしばらく出かけるというミルドレッドの言葉に安堵するジョンでしたが、気を変え、秘かに戻ってきたミルドレッドに激昂することになります。とうとう妻を殺してしまうことになりますが…。

 少年時代の母親の死のトラウマから、花嫁姿の女性の殺害を繰り返す殺人鬼の男を描いたホラー映画です。ウェディングドレス姿の女性を殺す度に、母親の死の真相に関する記憶が蘇ってくるらしく、それを知るためにジョンは殺人を繰り返すことになります。
 甦ったジョンの少年時代の記憶のシーンが挿入されるのですが、面白いのは、記憶を思い出している最中に、少年時代のジョンの姿が大人のジョンの目の前に現れるという趣向。少年と大人がお互いの姿を見つめ合う…というのは象徴的ですね。
 自身の会社のモデルが失踪(ジョンが殺害しています)していることから、刑事に付け狙われることになるのですが、その追求をかわしていくあたり「倒叙もの」の趣もあります。妻のミルドレッドを殺害した直後に、刑事が家を訪ねてくるあたりのサスペンスは強烈です。刑事の背後に、二階の妻の死体から流れた血が垂れてくるシーンなどは絶品ですね。
 映像美で知られるバーヴァ監督だけに、画面作りや色彩は非常に美しいです。ウェディングドレスをまとったマネキンだらけの部屋や、おもちゃだらけの子ども部屋のシーンは印象的です。
 シリアルキラーものとしても面白い作品なのですが、この作品の一番の特徴は、後半から幽霊の登場する超自然的なカラーが強くなること。殺した妻のミルドレッドが幽霊となって夫につきまとうのですが、妻の霊の姿は夫のジョンには全く見えず、逆に周囲には見えるのです。
 ジョンが精神異常を抱えているだけに、妻の幽霊も妄想の可能性があるのではないかと考えてしまうのですが、第三者である他の人間が何度もその姿を目撃しているだけに、客観的に幽霊が出現していることは明確になっていますね。
 周囲の人間は、ジョンの後についてまわるミルドレッドの姿を見て、逆に彼女が死んでいることに気付かない…という趣向は非常に面白いです。メイドが誰もいないはずのテーブルに飲食物を置き、不審に思ったジョンが問いただすと、奥様から言われた、と話すシーンはぞっとさせますね。
 非常に煽情的な邦題で、内容もかなり変態的な部分があるのですが、バーヴァの手腕というべきか、非常に品のある作りになっています。タイトルにもある「焼却炉」は、ジョンが所有するもので、実際死体の処分にも使われていますが、そこまで目立つアイテムにはなっていません。
 前半はサイコパスの男の連続殺人が描かれるスラッシャー、後半は妻の幽霊に悩まされるオカルト・スリラーという二つの味わいが楽しめる、異色のホラー映画となっています。



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マリオ・バーヴァ監督『リサと悪魔』(1973年 イタリア)

 トレドを観光に訪れた若い女性リサは、ふと一人でツアーを抜け出し、町外れの店に迷い込みます。店主と話している黒服の男の顔は、その直前に見た壁画の悪魔の顔とそっくりでした。店を出たリサは、町の中で迷ってしまいます。突然現れた口髭をはやした男はリサに「エレナ」と呼びかけますが、男に見覚えのないリサは彼を振り払うと、男は階段を転がり落ちて動かなくなってしまいます。
 夜になり、通りがかった車に乗せてもらうことになります。車にはレーン夫妻と運転手が乗っていました。車が故障してしてしまったため、電話を貸してもらおうと、目についた広大な屋敷を訪ねますが、屋敷の主の伯爵夫人に断られてしまいます。屋敷の執事レアンドロは、リサが店で会った悪魔そっくりの男でした。
 夫人の息子マッシミリアーノの取り計らいで、夫妻と運転手共々泊めてもらうことになりますが、マッシミリアーノもまた、リサのことを「エレナ」と呼びます。やがて、車の修理をしていた運転手が殺された状態で発見されますが…。

 古都を訪れた若い女性が、不思議な出来事に巻き込まれるという幻想的な映画作品です。明確な説明がないのと、茫洋とした雰囲気で進む物語なので、あらすじが説明しにくいのですが、不穏な味わいに満ちた魅力的な作品になっています。
 主人公リサは、たびたび「エレナ」という女性に間違われます。物語が進むうちに、エレナとは、屋敷の息子マッシミリアーノの結婚相手であり、すでに亡くなっているであろうことが分かってきます。リサはエレナの生まれ変わりなのか? また、度々現れる口髭をはやした男は何者なのか? 過去にエレナをめぐって何があったのか? といったところが物語の謎の中心となっていきます。
 屋敷の執事レアンドロは、得体の知れない怪人物で、タイトルにもある「悪魔」とは彼のことを指しているようです。冒頭の悪魔の壁画そっくりの姿であることもそうですし、物語で起きる出来事は、全て彼の手のひらで起こったこと、というような解釈もできそうです。事件が終息した後、彼がリサの前に現れるラストの情景は、不気味かつ幻想的で素晴らしいシーンとなっています。
 町全体が迷宮となってしまうようなアンニュイな雰囲気の前半、殺人が多発するジャーロ風の後半と、前半と後半のカラーが大分異なるのですが、それらが違和感なく同居しています。バーヴァ監督らしい、美しい画面構成も魅力ですね。
 マネキンがモチーフとして多く登場していますが、マネキンが死体に見えたり、逆に死体だと思っていたものがマネキンだったりと、幻覚的なシーンにも特色があります。このマネキンとも関係していますが、登場人物たちが、「悪魔」レアンドロの「操り人形」にすぎない…という「操り人形テーマ」的な作品とも見えます。
 それを象徴するかのように、複数の死体がテーブルの前に並べられるシーンには、強烈なインパクトがあります。
 悪魔、操り人形、生まれ変わり、繰り返される過去の惨劇、そして運命…、多数のテーマが混在するほか、サイコスリラーとオカルトが混ぜ合わされたかのようなトーンの物語も非常に魅力があります。怪奇幻想映画の傑作の一つといっていいのではないでしょうか。
 本作、様々な事情からお蔵入りになった作品だそうです。同時期にヒットした『エクソシスト』にあやかって、監督の意向を無視して、追加撮影・編集が行われ、『新エクソシスト/死肉のダンス』という別作品として公開されました。こちらはかなりヒットしたそうで、逆にオリジナル版がマイナーなバージョンとなってしまったそうです。



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マリオ・バーヴァ監督『新エクソシスト/死肉のダンス』(1975年 イタリア)

 トレドへの観光ツアーに参加していた若い女性リサは、ふとツアーを離れ、町の外れの店に迷い込みます。そこで店主と話していた黒服の男は、直前に見た壁画の悪魔にそっくりでした。黒服の男がマネキンの首をたたいた瞬間にリサは倒れ、ひきつけを起こしてしまいます。
 通りがかったミケーレ神父は一緒に病院に同行しますが、リサは暴れ続けていました。悪霊が乗り移ったと判断した神父は、取り憑いた者に何者かと問いかけますが、彼女は自らを「エレナ」だと名乗ります…。

 当時ヒットしていた『エクソシスト』にあやかり、バーヴァ監督のオリジナル映画『リサと悪魔』に悪魔憑きシーンを追加撮影・再編集して改変を加えた作品です。
 オリジナル映画には全くなかった、リサが悪魔(悪霊)に憑かれるシーン・神父が悪魔祓いをするシーンが追加され、『エクソシスト』風のオカルト映画に再編集された作品です。バーヴァは改変を拒否したため、プロデューサーのアルフレード・レオーネが追加映像を撮影しているそうです。監督はミッキー・ライオン名義になっています。
 執事レアンドロ(悪魔)の力によって、リサに悪霊が取り憑き、それを神父が祓おうとする、というのがメイン・ストーリーとなっています。神父が悪霊に対し、霊の出自や過去を問いただし、過去の惨劇が回想されていきます。
 その回想部分が、オリジナルの『リサと悪魔』の話になっているという作り。
 この悪魔祓い部分とオリジナル部分が交互に入れ替わるのですが、トーンが違いすぎて、かなり無理のある展開になっていますね。ただ、こちらの改変版にも見所はちょくちょくあります。
 まず、悪魔憑きのシーンが派手なこと。激しい変貌ぶりはもちろんのこと、口から汚物を吐き出したり、蛙を吐き出したりするシーンもあります。超能力で物を破壊したりするシーンもあります。主演の女優エルケ・ソマーの怪演には迫力がありますね。
 エロティックシーンがいくらか追加されているのもサービスなのでしょう。『リサと悪魔』よりも露出度が高くなっているほか、追加撮影部分でも、神父が悪魔の幻影によって死んだ妻と出会うシーンがあり、こちらの幻の妻がオールヌードで現れるという趣向があります。
 全くトーンの異なる物語を繋げようとした結果か、お話が説明的になっている、というのも特徴の一つです。リサに取り憑いた悪霊は、過去に殺された「エレナ」であり、そのエレナ(の霊)が過去に何が起こったかを説明する形になっています。
 オリジナルでは曖昧にぼかされていた部分が、はっきり説明されてしまう部分も多くなっています。結果として、オリジナルで起こっていた出来事が何を意味していたのかが、こちらの改変バージョンを見ると分かるという仕組みになっています。
 意図したものかどうかは分かりませんが、結果的に『新エクソシスト/死肉のダンス』『リサと悪魔』の物語の「絵解き」のような形になっています。そういう意味で、オリジナルを観てから、こちらの改変バージョンを観ると、答え合わせをするような意味でも楽しめますね。
 また、オリジナルの多少冗長な部分をカットしているため、意外とテンポが良くなっている、というのも怪我の功名的なところなのでしょうか。ただ、その「冗長」な部分も、物語の迷宮感を出すのに寄与しているので、これは評価の難しいところではありますね。
 オリジナルも改変版も、同じ「悪魔」を描いてはいるものの、そのタッチは全く異なっています。改変版ではグロテスクな悪魔憑きシーンによりシリアスな雰囲気が濃くなっており、オリジナルにあった「お茶目な悪魔」的な部分は弱くなってしまいました。
 オリジナルの魅力の一つであった、非常に幻想的なラストシーンも改変版ではなくなってしまっており、全体には「改悪」といってもしょうがない作品ではあります。ただ、この「擬似エクソシスト」テイスト、個人的には嫌いではありません。
 芸術性の高かったオリジナルが、俗悪で扇情的な作品に改変されてしまった…というと、その通りなのですが、編集次第で映画はいろいろな形に成りうる、ということを考えさせてくれるという意味でも面白い作品ではありました。


テーマ:映画感想 - ジャンル:映画

古典怪奇ドラマの楽しみ  『ミステリー・ゾーン/暗闇の影に誰かいる』
 1980年代前半イギリスで放送されたドラマシリーズ『ミステリー・ゾーン/暗闇の影に誰かいる』は、古典怪奇幻想小説を原作とした、落ち着いた雰囲気のゴースト・ストーリー集です。日本語字幕版として、VHS時代に二巻、全五話が収録されたものが発売されました。


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『ミステリー・ゾーン/暗闇の影に誰かいる1』

「美少女エリノアの怨霊」
 150年近くも空き家になっていたという屋敷を買い取った富豪のアンプルフォース。その屋敷にはある伝説がありました。かっての当主のもとに16歳で嫁いだ少女エリノアが、夫に虐待され死亡したというのです。それ以後彼女は幽霊となって出現するといいます。しかも、彼女を抱えて敷居をくぐった者が呪われてしまうというのです
 アンプルフォースに客として招かれていたマギーは婚約者のアントニーを待っていましたが、所用のため皆と共に屋敷を離れていました。その間に到着したアントニーは、見知らぬ娘が訪ねてきたと聞いて、応対に出ます。アントニーは、足が悪くふらついていた娘を抱えて敷居を跨いだというのですが…。

 憑りつかれると死んでしまうという少女の怨霊に憑かれた婚約者を救おうと奔走する女性が描かれる、ゴースト・ストーリーです。
 最初は気のせいだとするものの、段々とアントニーの容体は悪くなり、命も危なくなっていきます。伝説に詳しい庭師のウィルキンズに呪いの解除方法を聞くものの、
その条件は非常に難しいのです。マギーが考えた方法は上手くいくのでしょうか? 結末での急展開にもびっくりさせられますね。
 原作は、L・P・ハートリー「足から先に」(今本渉訳『ポドロ島』河出書房新社 収録)です。

「深夜に死霊のベルが呼ぶ」
 資産家のブリンプトン夫人のもとで20年近く勤めていた夫人付きのメイド、エマが亡くなり、その代わりとして屋敷にやって来たハートリー。夫人の優しい性格にほっとするものの、部屋にとりつけてある呼び鈴を使わずに、なぜか他のメイドに自分を呼ばせる夫人の行動に疑問を感じていました。裁縫室がないことについて訊ねると、ハートリーの部屋が元裁縫室であり、その隣の空き部屋はかってのエマの部屋であり、彼女の死後ずっと閉ざされているというのです。
 夫人の許には、近所に住む理知的な紳士ランフォードが出入りしていましたが、粗野な夫はそれを快く思っていませんでした。
 ハートリーは度々、エマの幽霊らしき存在を目撃することになりますが…。

 まるで姉妹のように扱っていた亡きメイドが、かっての雇い主の夫人の危機に幽霊となって現れる…というゴースト・ストーリーです。過去の事情を知らない新人メイドが一連の出来事を目撃していく、という語り口になっています。
 夫人と夫、そしてランフォードが三角関係にあることは明瞭で、いつか破綻が来ることは予想されています。しかし夫人はもともと心臓が悪く、ショックによっては命を落としてしまう可能性もある…ということと合わせると、結末は予想出来てしまうかもしれません。屋敷の中でハートリーが、エマの霊を目撃するシーンは非常に怖いですね。
 実際に19世紀に建てられた屋敷でロケが行われたそうで、舞台となる広壮な屋敷の描写が素晴らしいです。ゴシックな雰囲気たっぷりとなっていますね。
 原作は、イーディス・ウォートン「小間使いを呼ぶベル」(薗田美和子、山田晴子訳『幽霊』作品社 収録)です。

「ラビリンス(迷路園)での密会」
 弁護士の夫アーサーと娘のデイジーと共に、生家である屋敷に戻ってきたキャサリン。しかしその家では、デイジーが誕生したちょうどその日に、キャサリンの幼馴染であった庭師のフレッドが事故で命を落としており、その思い出から、キャサリン自身は家に戻ることに乗り気ではありませんでした。
 庭の迷路で遊ぶことをキャサリンは禁じていましたが、デイジーは約束を守らず出入りして遊んでいました。ある日、男の人と友達になったとデイジーは話しますが、その男は母親のこともよく知っているというのです…。

 生家の迷路の中で、幼い娘のみに見える幽霊が現れる…というゴースト・ストーリーです。幽霊は事故で亡くなった庭師であることに間違いはないのですが、幼馴染であったその男性フレッドとキャサリンの間に恋愛感情があったのではないかということが仄めかされます。
 一方、夫のアーサーは、後に登場するキャサリンのハンサムないとこマーヴィンに嫉妬しており、キャサリンとマーヴィンの仲とを疑っているのです。
 亡くなってしまったフレッドを含め、キャサリンをめぐる不思議な四角関係による心理サスペンスに、幽霊現象が絡んでくるという面白い味わいの作品となっています。
 幽霊が直接的に現れるシーンが全くなく、登場するのはあくまで幼い娘デイジーの間接的な話のみ、という趣向も効果を上げていますね。舞台となる、荒れた英国風迷路の雰囲気も抜群です。
 原作は、『伯母の死』で知られる英国作家C・H・B・キッチンの未訳の短篇「The Maze」です。



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『ミステリー・ゾーン/暗闇の影に誰かいる2』

「幽霊と共に消えて…」
 鉱山で一財産を築いたアメリカ人技師エドワードは、妻のメアリーと共にイギリスの古い 屋敷を買い取り、住み着くことになります。家の手入れをしている最中に、夫妻は屋上から奇妙な男性が歩いているのを目にしますが、後を追いかけたエドワードは見失ってしまいます。
 エドワードは著述、メアリーは絵を描いたり菜園の世話をしたりと、思い思いのことをして楽しく暮らしていましたが、手紙でエドワードが鉱山について訴訟を起こされていることを知ったメアリーは驚きます。エドワードの部下だったエルウェルという男が原告だといい、すでに訴訟は取り下げられたというのです。
 ある日家の門に現れた見知らぬ若い男から、エドワードの場所を訪ねられたメアリーは、彼の居場所を教えますが、その直後からエドワードは姿を消し、行方不明になってしまいます…。

 夫がある日突然行方不明になり、最後までその行方が分からないという不気味な作品です。
 不条理な要素が濃いのではありますが、結末寸前まで、エドワードの失踪はあくまで現実的な事件だという前提で話が展開します。結末で、エドワードが抱えていた問題の真実が明かされ、ここに至って、幽霊の存在が認識されることになります。その意味で原作のタイトル「あとになって」は何とも秀逸なタイトルになっていますね(ドラマのタイトルも原作と同様の「After ward」です)。
 夫妻が引っ越してきたイギリスの古い屋敷は、幽霊が出るという噂もあるとされていながら、実際に出現するのは、その屋敷のものではなく外から来た幽霊、というのも皮肉が効いています。
 物語は妻メアリーの視点から語られ、夫の仕事内容や過去の行状が全く分からないため、全篇不安に覆われたサスペンス感も強いです。
 原作はイーディス・ウォートンの短篇怪奇小説「あとになって」(橋本福夫訳 平井呈一編『怪奇小説傑作集3』創元推理文庫 収録)です。

「墓場の底から」
 ラトレッジ夫人から夫ソールのことで相談があると呼び出された、牧師とオーウェン、ブランドの三人の男たち。夫人が言うには夫は既に死んだブランドの娘オーラに憑りつかれているというのです。ソール本人によれば、オーラが度々海辺の小屋に誘いをかけてくるといい、それはオーラが病で亡くなってから一年近く続いているといいます。夫人はオーラの姿を目撃しており、彼女を退治するべきだと力説します。
 夫人は、かって同じ教区で数十年前に起こったジェイムズの事件を引き合いにだします。ジェイムズはハンナに憑りつかれ、ハンナの胸に杭を刺して退治したというのです。
 牧師やオーウェンは証拠を掴めなければならないと言い、三人の男たちは、実際にソールがオーラに会う場面も確認しようとします…。

 かって相思相愛だった女性が病で世を去り、その予告通り、愛する男性のもとにその霊が現れ続ける…というゴースト・ストーリーです。
 実際に霊と逢瀬を重ねているというソールと、それを目撃したという夫人は霊現象が真実だと確信していますが、相談された男たちは、それぞれその現象に対して違った態度を取るのが面白いところです。
 娘が霊となっているという話を侮辱だと捉えるブランド、霊現象を信じ魔女を滅すべきだとする牧師、霊現象を信じずに、精神疾患を疑うオーウェン…。牧師とオーウェンとの会話の中で、ブランド家の家系には狂気に憑かれた人々が多く、かって魔女として火炙りにされた女性もいたことが明かされます。ブランドのもう一人の娘、ベニーに関してもどこか狂気の兆候があることも示されています。
 どこか危ういブランド家の人々だけでなく、そもそもの問題を明らかにしたラトレッジ夫人もまた、その冷たさで評判の悪い女性です。ソールを誘惑するオーラ(の霊)を魔女と断定しますが、夫のソールにとっては純愛を貫き通した思い人であり、霊とはいいつつ、その逢瀬を望んでいる風でもあるのです。
 オーラの霊が現れる場面を確認しようとする面々ですが、思わぬ結末が訪れることになります。
 本当の「魔女」とは誰だったのか? 霊現象そのものよりも、それをめぐる人間たちの行動や心理に恐ろしさを感じる作品となっていますね。
 原作は、イーディス・ウォートンの短篇「魅入られて」(山内照子訳 山内照子編『化けて出てやる 古今英米幽霊事情1』(新風舎 収録)です。


 エピソードの舞台はイギリスの古い屋敷が多く、そのゴシック的な雰囲気もあいまって、しっとりとした物語になっているものが多いですね。幽霊や怪奇現象だけでなく、登場人物間の心理的なサスペンスや葛藤がテーマになっているものもあり、重厚な味わいです。
 日本版VHSは五話ですが、シリーズは全部で九話作成されたようです。調べたところ、ビデオに未収録のエピソードは、メイ・シンクレア「仲介者」、ウォルター・デ・ラ・メア「シートンのおばさん」、エリザベス・ボウエン「魔性の夫」、アガサ・クリスティー「最後の降霊会」が原作となっています。
 どれも怪奇幻想小説のマスターピースといっていい作品ですが、特に曖昧さの極致ともいうべき幻想小説「シートンのおばさん」がどう映像化されているのか、ちょっと気になるところではありますね。


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最近観たホラー・SF映画

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ステイシー・パッソン監督『ずっとお城で暮らしてる』(2018年 アメリカ)

 姉のコンスタンス、叔父のジュリアンと共に古く広壮な屋敷で暮らす少女メリキャット。そこはかって住んでいた家族の間に毒殺事件が起き、大量の死者が出たことで知られていました。コンスタンスが容疑者となったものの無実となり、毒の影響でジュリアンは半身不随、精神を病んでしまっていました。
 町の人々からは、彼らブラックウッド家の人々は嫌悪されていました。たまに買い物に訪れても囃し立てられ、からかわれてしまうのです。そんな生活にも関わらず、コンスタンスを愛するメリキャットは満足していました。その生活を守るために、庭で、多くのまじないじみた儀式を行ってもいたのです。
 ある日、疎遠だったいとこのチャールズが現れ、その静かな生活をかき乱すことになります。外の世界と触れるべきだとするチャールズは、コンスタンスを説き伏せ、屋敷と遺産についての経済的価値も気にしていました。彼を憎むメリキャットは、様々な手段でチャールズを追い出そうとしますが…。

 シャーリィ・ジャクスンの長篇『ずっとお城で暮らしてる』(創元推理文庫)の映画化作品です。全体に忠実な映画化となっています。
 溺愛する姉との生活のみを良しとする、いささか精神のバランスを崩した少女メリキャットの生活を描いた、サイコ・スリラー味の強いダークな作品です。
 ブラックウッド家は、過去の毒殺事件で大量の死者を出し、容疑者も家族内の一人コンスタンスとされていました。もともと亡くなった当主が横暴な人間だったことからも、その事件以後、彼らは町の人々から嫌悪され、忌避されることになります。
 また、ジュリアン叔父は毒の影響で精神を狂わせており、毒殺事件について本を書くと称して、毎日のように姉妹にその話を聞かせていました。しかしコンスタンスは何事もなかったかのような態度で、静かな日常生活を送ることを良しとし、メリキャットもそんな生活に満足していました。
 しかし、いとこのチャールズがその生活に闖入してくることによって、ブラックウッド家の生活は変わり始めます。彼が語る外界の話やその態度に魅了されたコンスタンスは、外の世界に出ていくことを考え始めるのです。
 チャールズを追い出そうとするメリキャットの手段は、最初はまじないをかける程度だったものが、段々と直接的なものとなっていき、最終的には破滅を迎えるほどのものとなってしまうのです。しかもそれがさらに、町の人々の悪意を呼び込んでしまうことにもなり、クライマックスシーンのダークさ、ブラックさはとんでもないことになっています。
 作品全体にあふれる悪意と狂気が強烈な作品です。明らかに狂気じみているメリキャットはもちろん、ブラックウッド家を非難する町の人々の悪意も強烈です。そんななか、唯一まともな神経を持つコンスタンスも、狂気の中に囚われていってしまうことにもなります。過去の毒殺事件の真相についても明かされますが、見方によっては、その時点からすでにコンスタンスも狂気に囚われていた、という考え方もできそうです。
 客観的には不幸のどん底といえる状態でも、最終的にコンスタンスと二人だけの「城」を手に入れたメリキャットが「幸福」を感じるようになる…という展開も空恐ろしさを感じさせますね。
 ブラックウッド家が暮らす屋敷と彼らの生活は、非常に美しく描かれており、それはある種の「おとぎ話」的な原作のトーンを再現したものといえるでしょうか。特にメリキャットがまじないを行う庭の情景は美しいです。
 メリキャットの異様な行動もさることながら、彼女や叔父の狂気を目の当たりにしながらも、ずっと笑顔で何事もなかったかのように振る舞うコンスタンスが描かれる部分にもある種の空恐ろしさがありますね。
 原作の味わいも強烈なものがありますが、実際に映像化されると、さらにきついシーンも多々ありますね。原作を読んで「ショックを和らげてから」鑑賞するのが吉かもしれません。



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ジャウマ・バラゲロ監督『ミューズ 悪に堕ちた女神の魂』(2017年 フランス、スペイン、アイルランド、ベルギー)

 自宅で共に過ごしていたところ、恋人のベアトリスに自殺されてしまった作家兼大学教授のサミュエルは、その後、見知らぬ女性が別の女性たちに殺される悪夢を何度も見るようになります。ある日、リディアと言う女性が殺害されるという事件が起こり、その女性が夢の中で殺されていた女性であることをサミュエルは確信します。友人のスーザンによれば、サミュエルが見たのは予知夢ではないかというのです。
 リディアの屋敷に侵入したサミュエルは、写真立ての中に古いもう一枚の写真があるのを見つけます。そこには数人の男性が映っており、裏面には「白い輪 1968年」と書かれていました。
 人の気配を感じたサミュエルは、屋敷内にいたレイチェルという女性を見つけます。彼女もまたサミュエルと同じ夢を見ていたというのですが…。

 恋人に自殺されてしまった大学教授サミュエルが予知夢を見て、その謎を探っていくうちに、古くから存在する邪悪な七人の女神たちの争いに巻き込まれていくという、ダークなホラー作品です。
 屋敷で見つけた写真の男たちが、かって七人の「女神(ミューズ)」たちについて研究していたことが分かります。彼女らは詩人や作家に霊感を与えてきたというのです。しかし研究者たちは皆変死していました。
 サミュエルとレイチェルが屋敷からある品物を持ち出すのですが、それを求めて「女神」の一人がサミュエルの前に現れることになります。殺されかけたサミュエルは、彼女たちが恐るべき力を持っていることを知ることになるのです。
 「女神」たちは、おのおの自らを象徴する権能を持っています。また「詩」を唱えることによって、人間を意のままに動かしたり殺したりすることもできるのです。「ミューズ」であるだけに、詩が能力開放の手段となっているところが洒落ていますね。超自然的な能力を持つ彼女たちに、サミュエルとレイチェルがどう対抗していくのか? というのが見どころになっています。
 また、女神たちの造形もユニークで、その容姿も美しい中年女性、幼い少女、老婆、アジア系女性と様々。女神が登場する前兆として、近くに虫が現れる…というのも面白い演出です。
 女神たちが詩を通して能力を使う、というのもそうですが、全体に「詩」がテーマにもなっています。過去に詩人たちに名作を書かせたのは女神たちであり、ミルトンの『失楽園』も女神たちが書かせたというのです。
 主人公のサミュエルもまた詩人であり、恋人ベアトリスの死によって書けなくなっていたものが、一連の事件を通して再び書けるようになる…というモチーフも盛り込まれているようですね。
 何より七人の女神たちが魅力的に描かれていて、その登場シーンや、詩を詠唱して能力を使うシーンなどが非常に格好良いのですよね。女神たちは非常に残酷であるので、人が死ぬシーンなども結構強烈です。グロテスクなスプラッターシーンも多いので、そのあたりが苦手な人は気を付けた方がいいかもしれないです。



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ガルダー・ガステル=ウルティア監督『プラットフォーム』(2019年 スペイン)

 ある日、ゴレンが目を覚ますと、中央に巨大な穴のあいた階層上の建物の中にいました。上の階からは巨大な台座に乗った食物が降りてきますが、それは食べ散らかした後の汚い食事でした。同じ階にいた老人トリマカシは、この建物内では上層階から食べ物が降りてきており、上から順番に食べていくため、下層階ほど食物がなくなってくるというのです。定期的に階層は移動させられ、上層階であれば食べ物にありつけますが、下層階では食物がほとんど残っておらず死んでしまう人間もいるといいますが…。

 上層階からの食べ残しを食べることが強制される建物に閉じ込められた男が、そこを脱出しようと試行錯誤する…という不条理SFホラー映画です。
 各階二人ずつが配置されるのですが、食べ物が十分にある上層階はともかく、下層階に配置された人間たちは食べ物をめぐって争い、時には人殺し、またカニバリズムまでもが発生してしまいます。主人公も、襲われたり、逆に人を殺してしまうという経験を経て、やがて無感覚になっていってしまいます。
 建物を作った「管理者」は何を考えて、この建物を作ったのか? 「管理者」の目的は何なのか? という謎と共に、建物内や行動のルールを探っていく過程が非常に面白いです。
 節度を守って、余分な食物を取らなければ、全ての階層の人間が生きていけるのではないか、とする人間もいますが、下層階の経験がある人間たちは、自らの利得のみを考え食べ物を食べつくしてしまうのです。主人公ゴレンは心優しい人物なのですが、自分だけが他人を思ってもどうにもならない…という過酷な構造の社会が描かれています。
 まさに「弱肉強食」なのですが、おそらく「搾取」や「利己心」といった、現実社会を諷刺・寓意的に描いた作品なのでしょう。ただ寓意的といっても、その描写はハードかつバイオレンスに満ちています。
 食物のために人を殺したり、生きるために他人を食べたりと、強烈かつグロテスクな描写も多いため、かなりショッキングな映像が多いです。飢えに苦しめられるという極限状況を描いた作品は過去にも多々ありますが、この作品では、食物自体は十分にあり、それが「搾取」されてしまうことによって人々の命が左右されるという形になっています。
 人間にとっては本能的な「食べる」という行為がこれほどクローズアップされた作品はそうそうないのではないでしょうか。ユニークな発想の作品といえますね。



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ロルカン・フィネガン監督『ビバリウム』(2019年 ベルギー、デンマーク、アイルランド)

 新居を探していたトムとジェマのカップルは、ふと入った不動産屋の男マーティンから、郊外にあるという住宅地ヨンダーを勧められ、そのまま車で見学に行くことになります。マーティンは挙動の不審な男でしたが、家自体はそれなりに魅力的でした。
 気が付くと、マーティンの姿が見当たらず、車もなくなっていました。そのまま帰ろうとするトムとジェマでしたが、車で走り続けても出口に辿り着けず、元の場所に戻ってしまいます。夜になり仕方なく二人はその家で過ごすことにします。
 何度も脱出しようと試みる二人でしたが、結局元の家に戻ってきてしまいます。やがて家の前には段ボール箱が置かれ、そこには誰の子かも分からない赤ん坊が入っていました。仕方なく二人は赤ん坊を育てることになりますが…。

 どこまでも同じような家の続く住宅街に閉じ込められたカップルを描く不条理スリラー映画です。その住宅地は見渡す限り全く同じ作り、同じ色の家で、地平線の果てまでその家が続いているのです。脱出しようとしていたカップルですが、やがてそれもあきらめてしまいます。
 途中からは置き去りにされた赤ん坊を託されてしまうことになるのですが、この子どもが異様な存在で、カップルの生活を脅かしていくことになります。
 食料のみは定期的に現れたり、家の基本的な機能は使えるものの、刺激はまったくなく単調な生活が延々と続きます。永遠につながるループ空間のような魅力的な設定ではあるのですが、その世界自体の探索はそう行われず、カップルの単調で退屈な生活が悪夢のように繰り返される…という部分がメインになっています。
 カップルが閉じ込められた原因については、冒頭の挿話で示唆がなされており、推測はできるようになっています。その意味でシンプルなお話ではあり、更に中盤にはあまり山場のようなものがないので、そこで退屈してしまう人もいるかもしれません。
 SF・幻想的な設定ではありながら、主人公のカップルの描写には、現実の人間の生活の寓意のようなものが感じられるようになっていますね。「面白いか」と言われると、微妙な作品ではあるのですが、観終えて作品についていろいろ考えていると、評価が上がってくるタイプの作品だと思います。



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クリストファー・スミス監督『サヴァイヴ 殺戮の森』(2006年 イギリス、ドイツ)

 研修のため、バスで山奥のロッジを目指していた、兵器開発会社のパリセイド社の社員たち。道が塞がれていたことから、森の中の道を通ることを提案しますが、運転手はそれを断り、社員たちを置き去りにしてしまいます。森の中に古びた建物を見つけた社員たちは、とりあえずそこに落ち着くことにします。
 放置されたバスと惨殺された運転手の死体を見つけた社員たちは逃げようとしますが、家の近くのあちこちには罠が仕掛けられていました…。

 兵器会社の社員たちが、山奥で謎の殺人鬼集団に襲われるという、いわゆる「スラッシャーもの」ホラーなのですが、ところどころでブラック・ユーモアが炸裂する、ホラーコメディのような作品となっています。
 実際、前半は、山奥の古びた建物に腰を落ち着けた社員たちの生活がゆるく描かれたコメディ調で展開します。それに比して、後半は緊迫度・バイオレンス度の上がったコテコテのホラーになるのですが、そこでも悪趣味なブラック・ユーモアが頻出して、妙な味わいを出しています。
 罠で足を挟まれた男性を助けようとして、何度も挑戦している内に足がもげてしまったり、放火しようとする殺人鬼のマッチがつかなかったり、殺人鬼を追い詰めた女性が岩で顔をつぶそうとして岩を持ち上げようとしても持ち上がらないとか、シリアスに展開していた中に突然現れる、ぶっとんだユーモアが特徴です。足がもげたり、首が飛んだりと、ホラー映画としての流血・ゴア描写はかなり強烈で、コメディ要素と合わせて面白い作品になっていますね。
 有能そうなキャラクターが真っ先に退場するのはお約束としても、脇役が突然活躍し始めたりするのにもびっくりします。結末も唖然とするような展開で「悪ふざけ」そのもののようなホラーとなっています。
 監督のクリストファー・スミスは、『0:34 レイジ 34 フン』とか『トライアングル』などを撮った人ですね。



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トラヴィス・スティーブンス監督『ガール・オン・ザ・サード・フロア』(2019年 アメリカ)

 モラルに欠け、問題をたびたび起こしていた男性ドンは、妊娠中の妻リズと改めてやり直すため、田舎の中古家を購入し、そこをリフォームすることになります。
 妻を置いて、先に飼い犬と共に新居に着いたドンは一人リフォーム作業を始めますが、家にはところどころ奇妙な現象が起きていました。壁や床からは謎の液体が吹き出し、奇妙なビー玉が転がっています。周囲の人々は家になにかいわくがあるような話をしながらも、詳細については話してくれません。
 突然家のそばに現れた美女サラに目のくらんだドンは、彼女と浮気をしてしまいます。後悔したドンは、再度現れたサラを追い返しますが、友人マイロがリフォームを手伝いに来た際に、サラが勝手に家に上がり込んでいることに気づき驚くことになります…。

 新しい家で妻との仲を修復するため、リフォームを始めた男性が家に起こる怪奇現象に巻き込まれていくという、いわゆる幽霊屋敷テーマを扱ったホラー映画です。
 この家に起こる怪奇現象が、生理的嫌悪感の強烈な現象ばかりなのが特徴で「汚らしさ」「気持ち悪さ」が徹底して追及されています。
 家自体が、住む人間の性質に応じて感応を起こしているようなのですが、主人公ドンがモラルのない「ろくでなし」と言って良い人物のため、それに対して起こる現象もまた嫌悪感を煽るような形になっています。
 アンモラルな人物が、怪奇現象に遭遇して改心する話かと思いきや逆で、ずぶずぶとマイナスの方向に行ってしまうのが、見ていてハラハラドキドキさせられますね。事態がエスカレートしていくのと呼応して、起こる怪異現象も露骨で派手になっていき、後半の展開は目が離せなくなります。
 いわゆる霊現象が発生しますが、そこに物理的な攻撃も付随していて、その味わいはまるでスプラッター。なおかつ、それが現実なのか幻覚なのか分からないという精神攻撃的なものもまとわりついていて、異色の幽霊屋敷もの作品となっています。
 家自体が霊と一体化して怪物化しているような描写もあり(これは幻覚なのかもしれないですが)、グロテスク度は強烈です。とにかく「絵面が汚い」作品ではあって、ホラー好きな方でも、好き嫌いは分かれるかと思います。
 怪奇現象の怖さとは別に、主人公ドンが何をしでかすか分からない危うさもあって、その点サイコ・スリラー的な風味もありますね。道徳的・宗教的なテーマも盛り込まれており、楽しめる作品となっていました。



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ニック・ヨンゲリウス監督『風泣村』(2016年 オランダ)
 ベビーシッターの仕事をしていた若い女性ジェニファーは、偽名を使っていたことを雇い主の男性に指摘され、彼を殴って逃走してしまいます。「ハッピー・オランダ・ツアー」の観光バスを見付けたジェニファーは、チケットを持っているふりをしてバスに乗ろうとします。運転手は何とか彼女を乗せてくれ、ツアーに紛れ込むことに成功します。
 風車を観光してまわる一行でしたが、バスが故障し、立ち往生してしまいます。そこは電波も圏外、近くの村までも遠い場所でした。やがて夜になり、乗客の一人、イギリス海兵隊員のジャックは、先ほど見た風車のところまで戻ることを提案し、ジェニファーと共に風車まで行くことになります。
 歩いていたジャックは急に大鎌で切りつけられ、殺されてしまいます。逃げ出したジェニファーは、大鎌を持った男がジャックを襲ったことを話しますが、以前から不自然な行動を繰り返していたジェニファーは怪しまれており、乗客たちは彼女の言うことを信じてくれません…。

 バスツアーの乗客たちが遭難し、謎の殺人鬼に襲われて殺されていくというホラー作品です。一見、単純なスラッシャーホラーに見えるのですが、この被害者たち(乗客たち)にある共通点があり、さらに殺人鬼側にも、彼らを殺す必然的な理由があるという、意外にも、かちっとした作りになっています。ただ、理由といっても現実的なものというよりは、宗教的なそれであって、殺人鬼の設定にも超自然的な要素が強くなっています。
 主人公ジェニファーには身分詐称のほか、後ろ暗い過去があることが示唆されており、他の乗客たちにも、何らかの事情があることが明かされていきます。殺人鬼が彼らを襲うのは何故なのか? 殺人鬼は何者なのか? といった面に関しても、徐々に明らかになっていくことになります。
 殺人鬼によるスプラッターシーン、乗客の一部が体験する幻覚シーンなど、ホラーとしての見せ場もなかなかで、純粋に娯楽ホラーとしても面白い作品なのですが、それらに加えて、登場人物たちの過去の行為やそれに対する後悔・贖罪の念など、宗教的・倫理的なテーマも盛り込まれていて、見応えのある作品になっています。
 邦題の『風泣村』は、某邦画作品の類似品みたいな印象を与えますが、原題は The Windmill Massacre で、全然関係ないですね…。



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ゴンサーロ・ロペス=ガイェゴ監督『オープン・グレイヴ 感染』(2013年 アメリカ)

 死体だらけの穴の中で目を覚ました男は、自分が記憶を失っていることに気付きます。謎のアジア人女性に助けられた男は、森の中の一軒家に辿り着きます。そこには助けてくれたアジア人女性の他に四人の男女がいました。
 彼らにもまた記憶がないことに驚きますが、四人は持っていたIDで自分の名前が分かったようなのです。数カ国語を話せるらしいネイサン、医療者らしきシャロン、銃器の扱いに長けたマイケル。リーダーシップを取るルーカス。何かを知っているらしいアジア人女性は口が聞けず、コミュニケーションを取ることもできません。
 マイケルとアジア人女性を家に残し、残りの人間は家の周辺を見て回ることになります。家は僻地にあり、周囲には何もないようでしたが、家を囲むように柵と死体が木に結びつけられていました。
 一方、悲鳴を耳にしたマイケルは外に飛び出し、有刺鉄線に絡め取られた奇怪な男を発見しますが…。

 邦題で分かってしまうとは思うのですが、ウイルス感染によって凶暴化した人間が登場するという、感染もの(擬似ゾンビもの)作品です。実際、感染者によって襲われるシーンもあるのですが、メインは記憶喪失になった複数の男女の過去に何が起こったのか?を探っていくサスペンス部分に重点が置かれた作品です。
 記憶の断片がフラッシュバックしたり、何となく知り合いであるような気はするものの、互いに自分たちの関係がどんなものであるのかは分かりません。
 誰かの陰謀である可能性や、何者かが記憶喪失のふりをしてグループ内に入り込んでいる可能性すらあるのです。家の中にいた他の人間と異なり、唯一、死体のいる穴に落ちていた主人公の男は、最も怪しい人物として疑惑を持たれてしまいます。
 互いが疑心暗鬼になるなか、さらに外では感染者たちが襲いかかってきます。いったい何が起こって、自分たちはなぜこんな状況に陥ったのか? 少しずつ情報を得て事件を推測していく過程はサスペンスたっぷりで楽しめますね。
 主人公の男に関しては、序盤から皆に疑われ、自分を知っているらしい人物と出会っても忌避されるなど、彼視点では不条理な要素が濃いですね。しかも調べていくうちに、自らが悪人・犯罪者である可能性も示唆されてくるなど、アイデンティティーに関する不安も表れてくるのも面白いところ。
 「ゾンビ」テーマではありながら、彼らに襲われたり撃退する部分に主眼が置かれていないので、その分派手さには欠けるのですが、記憶喪失の男女たちの心理サスペンスを描く部分だけでも充分に面白い作品になっています。逆に言うと、「ゾンビ」テーマを扱っていながらそちらに重心を置かず、登場人物たちの葛藤や心理のサスペンスをメインにしているのは、思い切った構成だと言えますね。



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アンディ・フェッチャー監督『アーバン・エクスプローラー』(2011年 ドイツ)

 ベルリンには、数万と言われる地下通路があり、その大部分は封鎖されているといいます。夜にその地下通路を案内するという違法ツアーに参加することになったアメリカ人のデニスとその恋人ルチア、韓国人ヨナとフランス人のマリエの四人。ドイツ人のガイド、クリスを加えた五人は地下の探検に出かけることになります。
 かってナチスが残したという壁画があるというクリスの話に惹かれ、皆はそこに向かいますが、道中でクリスが穴に落下し瀕死の重傷を負ってしまいます。デニスはヨナとマリエに救援を求めるよう頼み、看護師であるルチアと共にクリスの傍に残ることになりますが…。

 違法な地下通路探検ツアーに参加した少年少女が恐怖に満ちた体験をすることになるというホラー映画です。
 土地勘があり冷静なリーダー格の青年クリスが真っ先に動けなくなってしまい、他の四人は困惑することになります。さらに救援を求めて出て行ってしまった二人に関してはその後はほぼ出番がなく、残ったデニスとルチアのカップルがもっぱら中心に描かれることになります。二人には思わぬ助けの手が入ることになるのですが、それがまた恐怖の幕開けでもあったのです。
 前半は、一行が廃墟となった地下通路を探検するというパートで、雰囲気たっぷりの展開になっています。後半はある存在に襲われたカップルが逃げまどい、脱出を目指すという展開になり、ここからは王道のホラー展開になっていますね。
 ただ、ドイツ作品ゆえというべきか、ホラーの定石を外す展開が発生して驚かされます。流血描写はそんなにないのですが、一か所とんでもなくスプラッターな箇所があり、これだけでこの作品を記憶してしまうぐらい、強烈な描写がなされています。
 テンポも悪くなく、見やすい作品ではあるのですが、物凄く後味が悪い結末になっているので、ホラー耐性のあまりない人は見ない方が吉かもしれません。



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アンソニー・ドーソン監督『地獄の謝肉祭』(1980年 イタリア、スペイン)

 ベトナム帰還兵のノーマンは、帰国してから精神に問題を抱えていました。ベトナムで捕虜となっていた部下のチャーリーとトミーを救出する際に、彼らに手を噛みつかれて以来、生肉を見ると異常に興奮するようになっていたのです。
 チャーリーとトミーは、捕虜となっていた際に人肉を食べるようになり、それに取り憑かれていました。精神病院に入院し完治したかのように見えた二人でしたが、外出を許されたチャーリーが、映画館で会ったカップルの女性に突然噛みついたことからパニックが起こります。
 チャーリーは銃を持ってスーパーに立てこもり、殺人まで引き起こしてしまいます。事件を知ったノーマンはチャーリーを説得しようと、店の中に一人乗り込むことになりますが…。

 ベトナムで人肉食に取り憑かれた兵士の病が、伝染病として広まりパニックになるというホラー映画です。いわゆるゾンビ映画のバリエーションなのですが、ユニークなのはその病の描かれ方です。人肉を食べたいという欲望から手当たり次第に人を襲うものの、肉体的には普通の人間と変わらず、撃たれたり、内臓が傷ついたりすれば死んでしまいます。襲われた人間も出血が多ければ、感染に至る前にそのまま死んでしまうのです。そのため、感染自体は大きなスケールにまでは広がらず、小規模にとどまる…というのが特徴でしょうか。
 また、感染しても元からの知能や感情はそう変わらないらしく、場合によっては冷静に動ける、というのも特徴です。感染源といえるチャーリーとトミーはともかく、感染していながらも、それに対抗しようとする主人公ノーマンの逡巡が描かれる前半は、あまりホラー映画らしからぬドラマ展開で異色ですね。
 時折ショッキングなシーンはあるものの、作品の半分近くは、立てこもったチャーリーとそれを止めようとする警察との争いが描かれるサスペンス風の展開で、宣伝文句ほどのどぎついホラー展開は観られません。
 さらにその間には、ノーマンと芸能人の妻ジェーン、ノーマンを診ているメンデス医師、隣人でノーマンに憧れる若い娘メアリーとの微妙な四角関係が描かれる地味なメロドラマも展開されます。
 後半、感染が広がってからが見所でしょうか。感染者たちが下水道に逃げ込み、警察が銃と火炎放射器でそれを追い詰めていく、というシーンは迫力満点です。人肉食シーンはもちろんですが、銃で撃たれて人体に穴があいたりと、残酷シーンの見せ場も多数ありますね。
 カニバリズムが伝染病として広まるという、結構穴のある設定なのですが、あらすじから予想されるほどのトンデモ展開にはなりません。意外にも地道な人間ドラマ・メロドラマが描かれており、そのタッチとは見合わぬほど生彩のある流血・スプラッター描写と合わせ、妙な味わいのある作品となっています。



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ユージニオ・マーティン監督『ゾンビ特急"地獄"行き』(1972年 スペイン、イギリス)

 20世紀初頭、満州の氷壁で類人猿のミイラを発掘した考古学者のサクストン教授は、シベリア横断鉄道でそれを輸送しようとします。奇しくも旧知のウェルズ博士も同じ列車に乗車していました。荷物の中身を怪しんだウェルズ博士は、荷物係に密かに荷物の中身を確認するよう指示します。
 中身を開けた荷物係は、突然蘇ったミイラに見つめられた途端に、白目を向いて血を流し死んでしまいます。次々と死体が発見され、ミイラによる連続殺人と断定した刑事は、部下たちに見つけ次第殺すようにと命令を出しますが…。

 数百年前の類人猿のミイラが蘇り、人々を殺して回るというホラー作品です。B級ホラーそのもののような題材ながら、メインの役者がクリストファー・リー、ピーター・カッシング、テリー・サヴァラス、舞台が走行中のシベリア横断鉄道、セットも豪華になっており、無駄にお金のかかった怪作です。
 お話の方もぶっ飛んでいて、ミイラが蘇り人々を襲うのみならず、このミイラ、人々の目を見るだけで相手を殺してしまうという特殊能力の持ち主なのです。乗客たちも怪しげな人物ばかりで、狂信者のような神父を連れた伯爵夫妻、国際的な女スパイ、怪しげな医者とその助手、後半では傍若無人な騎馬隊長までも乗り込んできます。そもそも、主人公の、クリストファー・リー演じるサクストン教授がもっとも怪しい人物で、自分が持ち込んだミイラが原因で殺人事件が引き起こされるにも関わらず、後半ではしれっと探偵役のような活躍をするのにも笑ってしまいます。
 オカルトホラーかと思っていたら、段々とSF味が強くなっていくのも面白いところで、最終的に明らかになる「怪物」の正体には唖然としてしまうのではないでしょうか。
 列車内で密かに起こる殺人、また後半では、その内部での追跡劇やアクションシーンも派手に展開され、B級ながら、全編が飽きさせない作りになっています。
 いい意味での「馬鹿らしさ」「稚気」に満ちた作品です。残酷シーンやショッキングなシーンもありますが、「フィクション感」が強いので、見ていてもあまり気分が悪くなるようなことはないと思います。大真面目にB級ホラーをやったらこうなる、という見本のような作品で、とても楽しいホラー映画です。
 ちなみにタイトルには「ゾンビ」とあり、実際死体が蘇るのではありますが、現代で言うところの「ゾンビ」とはちょっと違う感触のモンスターなので、そのあたりはちょっと語弊があるかもしれないですね。



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ジェロルド・フリードマン監督『SF 白い恐怖』(1973年 アメリカ)

 常に吹雪の絶えない山頂の研究所から連絡が入ります。そこに滞在していたボーゲルは、錯乱したような言葉を残し、連絡を絶ちます。研究所では宇宙空間での極限状況での人間の状態を予測するため、サルを実験台として研究が進められていました。
 原因究明と研究の続きを行うため、研究所に赴いた二人の科学者フランクとロバートが、施設を調べたところ、ヒーターは切られ、サルたちは凍死寸前でした。ボーゲルは、通信機の前に座ったまま凍り付いて死んでいました。部屋はなぜか窓が開けっぱなしで極寒の状態でした。彼らはボーゲルが錯乱して、部屋に閉じ込められたと考えたのではないかと推測します。
 遺体を回収しヘリが帰還したため、フランクとロバートは二人きりで研究を再開することになります。サルたちには食事を減らしたり、寒さを感じさせたりと、極限状況を体験させる実験を行いますが、次第にサルたちは攻撃的になっていきます。新しく連れて来たチンパンジーのジェロニモは他のサルたちの様子におびえ始めていました。
 やがてロバートは、部屋に閉じ込められかかったり、計器が勝手に作動しているのを発見し、この施設には何者かがいるのではないかと考えます。その考えを伝えるものの、フランクはロバートを疑います。二人の仲は段々と険悪になっていきますが…。

 極寒の山頂の研究所で先任の科学者が謎の死を遂げ、後任として訪れた二人の科学者が、そこで不思議な現象に遭遇するものの、互いの間で反目していく…という、ホラーサスペンス作品です。日本では『恐怖の酷寒地獄・雪山宇宙研究所の謎』の題名でも知られるカルト的な作品ですね。
 二人しか人間の滞在していない施設で、機械が動かなくなったり、閉じ込められそうになったりと、不自然な現象が続き、二人が互いに疑心暗鬼になってゆきます。厳密に言うと、ロバートは終始冷静で、もう片方のフランクがロバートを疑っていく、という形でしょうか。
 ロバートは自分たち以外の何物かが存在するのではないかと疑いますが、フランクはそれは妄想だとつっぱねます。そうはいいながら、たびたび起こる事故やトラブルをロバートのせいではないかと疑い出し、その念はエスカレートしていきます。
 事故やトラブルは人間の仕業によるものなのか、人間だとしたらロバートかフランクの仕業であるのか、もしくは本当に第三者(人間以外も含めて)が存在して行っているのか、というところが不明なまま進む展開は、不穏な雰囲気とサスペンスに溢れています。
 吹雪の中、高度も高いという極限的な環境のため、水の材料になる雪を集めようと外に出ても短時間で凍死寸前になったり、機械の不調が少しでも起こると命の危機に直結したりと、ささいな事故やトラブルが命を左右する環境となっています。それだけに滞在しているロバートとフランクの緊張感も強く、特にメンタル面での弱さを抱えるフランクは、普段の温厚さとは異なる激しい態度をたびたび示すことになります。
 観ていて、事態が超自然的(SF的)な方向に向かうのか、サイコ・スリラー的な方向に向かうかも最後の方まで分からず、そういう面でもサスペンス感のある作品になっていますね。全体に、アイディアの優れた小粋なホラー・サスペンスといった趣です。


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現実と仮想  『フィリップ・K・ディックのエレクトリック・ドリームズ』
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 『フィリップ・K・ディックのエレクトリック・ドリームズ』(イギリス、アメリカ 2017年)は、アメリカの作家フィリップ・K・ディックの短篇小説を原作としたオムニバスのドラマシリーズです。一話当たり、それぞれ50分前後のドラマとなっています。
 未来の社会やテクノロジーの描写が多く登場するのですが、それらがテレビシリーズとは思えないレベルで描かれています。また、原作ではあっさりとしている主人公の内面や心理的な葛藤を深掘りしたりと、見応えのあるドラマとなっています。
 原作者のディック特有の、現実が揺らいでいくような浮遊感覚も上手く映像化されています。ただ、全体にシリアスに構成されたエピソードが多く、ディックの原作にはある、スラップスティックでブラック・ユーモア的な部分は抑えめにはなっていますね。
 かなり現代的に脚色されているので、原作短篇を知っていても楽しめるエピソードが多いと思います。一つのエピソードに、それぞれ一本の映画を観たような満足感がありますね。お勧めのシリーズです。
 以下、各エピソードを原作の短篇の内容も交えて紹介していきたいと思います。



エピソード1「真生活」(ジェフリー・ライナー監督、ロナルド・D・ムーア脚本)

 近未来、女性警官サラは、同僚を大量に殺された経験から精神的に病んでいました。妻であるケイティーから仮想世界で休暇を過ごす装置を勧められたサラは、それを試してみます。
 その世界では、サラは会社経営者の男性ジョージとなっていました。妻を殺されて苦しんでいた彼は、親友と共に犯人を探します。やがてサラとジョージ、二人はどちらの世界が現実なのか分からなくなっていきます…。

 仮想現実の世界に入った主人公が、どちらの世界が現実なのか分からなくなってくる…というエピソードです。どちらの世界にも同じ女性ケイティーが存在したり、犯人が同じコリンズという男だったり、登場する場所が同じだったりします。ただ片方は現代、もう片方はテクノロジーが発展した未来世界となっています。
 未来世界で暮らすサラが、自らの世界が上手く行きすぎることから、本来の自分が空想した妄想の世界なのではないかと思う一方、現代世界のジョージが妻を亡くした喪失感と罪悪感から、もう一つの世界こそ妄想なのではないかと考えたりと、どちらが現実であってもおかしくないように見える演出がされているのが上手いですね。

 原作は、フィリップ・K・ディックの短篇「展示品」(仁賀克雄訳『人間狩り』ちくま文庫 収録)です。
 未来社会が舞台。二十世紀の展示品の責任者ジョージ・ミラーは、自らもその時代の服装や品物を愛するなど、二十世紀に入れ込んでいました。
 ある時、展示品の二十世紀の住宅に入り込んだミラーは、その家の中に中年の女性と二人の子どもがいるのを見つけます。彼はいつの間にか二十世紀の世界におり、女性と子どもが、自らの妻と息子であることを認識しますが…
 過去の二十世紀を愛する未来の男が、時を超えて過去に入り込んでしまうという作品です。時を超えるだけでなく、自らがその時代の住人となってしまっているようで、過去そのものが改変されているような雰囲気がありますね。
 ディストピア的な未来社会に比べて、理想の市民生活として二十世紀が描かれるのですが、それを嘲笑うようなブラックな結末が待ち構えているところも面白い作品です。

 ドラマは原作を相当膨らませた設定になっています。当人の人格がそのまま過去に移行するという原作に比べて、ドラマ版は、記憶も朧げな別人格として別の時代に移行する形になっています。



エピソード2「自動工場」(ピーター・ホートン監督、トラヴィス・ビーチャム脚本)

 戦争が終結してから数十年、世界は荒廃し、ごくわずかになった人類は身を寄せ合って暮らしていました。しかし、かって作られた自動工場は生産をし続けており、資源を浪費して自然環境を汚染していました。
 このままでは人類の再起ができないと考える革命家のコンラッド、技術者のエミリーらは、自動工場から派遣されたアンドロイドのアリスのプログラミングをハッキングして、共に自動工場に侵入し、工場を破壊しようとします…。

 戦争が終わっても稼働し続ける自動工場を止めようとする人々が描かれています。口で説得しようとしても無駄なことを認識した人々が、力づくで工場を破壊しようとするのですが、そこには思いもかけない罠が潜んでいました。
 人間そっくりに作られたアンドロイド、アリスにどこか同情してしまう主人公エミリー。自分たちはそう違った存在ではないのではないか? といったところも伏線になっています。
 ディック的な「本物と偽物」テーマも盛り込まれています。主人公エミリーと恋人アヴィ、かっての恋人コンラッドとの三角関係も描かれ、アヴィは、エミリーに対して自分たちの愛情は本物なのかと問いかけます。それは人類たちの生活に関してもそうで、機械に支配された生活から、本当の自由を獲得するための戦いが描かれていくことになります。
 最終的には残酷な真実が明かされることになりますが、それでも自分たちの思いは真実なのではないか?というポジティブな結末になっていますね。

 原作は、フィリップ・K・ディック「自動工場」(大瀧啓裕訳『時間飛行士へのささやかな贈物』ハヤカワ文庫SF 収録)です。
 戦争終結後も稼働を止めず、物資を配送し続けてくる自動工場。彼らとコミュニケーションを取ろうとするオニール、ぺライン、モリスンたちは、わざと品物に対して不自然な行動を取ることになります。派遣されてきたロボットの融通が利かないことに怒った男たちはロボットを破壊してしまいます。しかし資源の採掘をめぐって、機械たちの間では区域ごとに争いが生まれ始めていました…。
 原作では、人類の意思を無視して暴走する機械たちの裏をかいて、いかに彼らを止めるか…という部分が描かれます。それに成功することにはなるのですが、結局はさらなる災難が待ち構えていた、というブラックなお話になっています。



エピソード3「人間らしさ」(フランチェスカ・グレゴリーニ監督、ジェシカ・メッケルンバーグ脚本)

 大気汚染が進む「テラ」で暮らすサイラスとヴェラの夫妻。ヴェラは冷たく打算的な夫との暮らしに息苦しさを感じていました。
 「テラ」に足りない水を奪うためレクサー星を襲撃したサイラスたちは、敵の襲撃を受けほぼ全滅してしまいます。ようやく「テラ」に帰り着いたのはサイラスとその部下の二人だけでした。帰ってきてからのサイラスは、別人のように優しく思いやりのある男性になっており、ヴェラは驚くことになりますが…。

 異星に行っていた夫が別人のようになっており、異星人に寄生された可能性があるというサスペンスSFです。ですが、打算的だった元の夫と異なり、今の夫は思いやり深く、もし異星人だったとしても、そこに愛情があるのではないか? という情感のあるお話になっています。
 後半で、夫と妻それぞれが、思いやりとは何なのか? 人間らしさとは何なのか? と人々に問いかける部分が見どころでしょうか。ヒューマン・ストーリー的な味わいが強いエピソードになっていますね。

 原作はフィリップ・K・ディック「人間らしさ」(友枝康子訳『時間飛行士へのささやかな贈物』ハヤカワ文庫SF 収録)です。
 ジル・へリックは夫のレスターが冷たい人間なのに嫌気がさしていました。甥のガスが遊びに来るのを楽しみにしていたジルですが、レスターはそれも台無しにしてしまいます。異星の「レクサーⅣ」にレスターが出かけている間、ジルは兄のフランクに離婚について相談していました。
 戻ってきたレスターは別人のようになり、明るく思いやり深い人間になっていました。また妙に古臭い言葉を多用するレスターを見てジルは不審に思います。ジルから話を聞いたフランクは、レスターを告発しますが…。
 原作では、体を乗っ取られた夫の本当の人格を戻すことが可能だという設定です。そのうえで妻の選んだのはどちらだったのか…? ドラマ版で扱われているような倫理的な問いかけはあまりなく、全体にブラック・ユーモア味のある作品でした。



エピソード4「クレイジー・ダイアモンド」(マーク・マンデン監督、トニイ・グリソーニ脚本)

 海岸の浸食で陸地が減少し、人間は常に短期間で移住を繰り返していました。妻のサリーと暮らすエド・モリスは、アンドロイドとその意識の元となる部品「QC」を作る会社で働いていました。
 ある日出会った魅力的な女性は、実は「ジル」と呼ばれる女性型アンドロイドでした。彼女の「QC」は劣化しており、もうすぐ寿命が来てしまうというのです。助けてほしいと頼むジルに同情したエドは、ジルが工場から「QC」を盗み出す計画に加担することになりますが…。

 その世界では、食品はすぐに駄目になってしまい、植物を育てることも禁止されています。侵食する海から逃れるために、決まった家に住み続けることもできないのです。
生の実感を感じられない男が、必死で生きようとするアンドロイドと出会ったことから、彼女に惹かれていきます。
 アンドロイドの他にも、六割が豚である合成人間が登場したりと、人間そのものの定義が問われるお話になっています。「生きるとは何か」「人間性とは何なのか」といったテーマがシリアスに追及されていくドラマとなっていますね。

 原作はフィリップ・K・ディック「CM地獄」(浅倉久志訳『変数人間 ディック短篇傑作選』ハヤカワ文庫SF 収録)です。
 仕事でガニメデと地球の間を往復しているビジネスマン、エド・モリス。エドは、通勤宇宙船に乗っている間中流れ続ける広告に嫌気がさしていました。妻のサリーに太陽系外への惑星への移住について提案しますが、よく考えるべきだとたしなめられてしまいます。
 そんな折り、家に押し売りのロボットがたずねてきます。「ファスラッド」という商品を売っているらしいロボットは宣伝をしている最中に家の内部を次々と壊してしまいます。なんと「ファスラッド」とはそのロボット自身であり、自らを客に売り込みにきたというのですが…。
 近未来、CMや広告で溢れかえった世界を舞台にした風刺的なSF小説です。日々CMに悩まされている男がその生活に嫌気がさし移住を考えたまさにその時に、さらに広告ロボットがやってくるという物語。
 押し売りロボットに対して、激怒した主人公が吹っ切れた行動をすることになるのですが、それも役に立たない…というブラックな展開が面白いですね。

 原作と比べてみると、ドラマ版の脚色がものすごいですね。CMだらけの未来世界を描いた風刺SFといった体裁の原作が、シリアスな問題意識を持ったドラマになってしまっています。共通点は、生きにくくなった世界から脱出したいという願望、というモチーフぐらいじゃないでしょうか。
 原作の押し売りロボットが、ドラマの女性アンドロイドになったと考えると、脚本家の創意が目立ちますね。
 ほとんどオリジナルに近い脚本で、これは原作とドラマを比べてみると非常に面白いエピソードかと思います。



エピソード5「フード・メーカー」(ジュリアン・ジャロルド監督、マシュー・グラハム脚本)

 その世界では人の心を読むことが出来る超能力者「ティープ」が恐れられ、嫌われていました。彼らを排斥しようとするデモが頻発し、暴動も起きかけていたのです。
 町では、ティープが心を読むのを妨害するフードマスクがどこからか現れ始めます。それをばらまいている「フード・メーカー」を調べていた捜査官ロスは、上司の命令でティープである女性オナーとコンビを組むことになります。
 一緒に行動するうちに、二人には互いに信頼が生まれ、やがて恋愛感情も芽生えることになりますが…。

 人の心を読むテレパスが忌避され差別される世界で、女性のテレパス、オナーとコンビを組むことになった捜査官ロスが、テレパシーを妨害する謎のフード・マスクの製作者を追っていく…という物語です。
 テレパスの能力がものすごく、表面上の考えていることが分かるだけでなく、その人間の過去やコンプレックス、秘められた欲望までも見透かしてしまいます。捕まった容疑者がその全てを見透かされて、精神的にダウンしてしまうシーンにはインパクトがありますね。
 心の声を聞きすぎて、人間に失望していたヒロイン、オナーが、相棒となったロスには不思議な信頼感を感じて彼に惹かれていくことになります。それと同時に人間に対する信頼、生きる希望を感じるようにもなっていきますが、その信頼は本当に正しいものだったのか? というあたりが問われていくことになります。
 ロス以外の人間は、ほとんどが偏見や差別に満ちた人間として描かれています。またテレパスが差別される被害者として描かれる一方、テレパスに見透かされる通常人もまた「弱い存在」ではあることが示されるなど、テレパスと通常人どちらもが、弱い被害者であるともいえそうです。
 二つの「種族」は分かり合えるのか? というのが主人公オナーとロスのカップルを通して示されるのですが、それを明確に示さずに終わるラストも余韻がありますね。
 ただ彼らのコミュニケーションが上手くいかなかった、という風に取れるラストではあり、それを示すように、ルネ・マグリットの絵画「恋人たち 」の複製画が部屋にかけられているシーンが写されます。こちらの絵画は布を顔にかぶった男女が、その状態のままキスをしている場面を描いた作品で、コミュニケーションの不可能性を象徴しているように見えますね。

 原作は、フィリップ・K・ディックの短篇「フード・メーカー」(大森望訳『トータル・リコール ディック短篇傑作選』ハヤカワ文庫SF 収録)です。
 突然変異によって生まれ、人の心を読むことのできるテレパス、いわゆる「ティープ」が誕生し、政府は忠誠心を試すために、彼らを利用するようになっていました。
 巷では、心を読み取るのを邪魔するフードが現れ始め、政府の人間を悩ませていました。フードをかぶっていた容疑で捕らえられた連邦資源委員会のフランクリン博士は、走査の結果、危険思想の持主とされて、指名手配されてしまいます。やがて謎の少女に助けられることになりますが…。
 全体主義的な社会が舞台で、テレパスはその政府の走狗となっているという設定です。テレパスを邪魔するフードは、彼らの支配をはねのける象徴のように使われていますね。
 政府の手先であるテレパスもまた、独自の思惑にのっとって動いているようなのです。複数の勢力のそれぞれの動きが描かれ、近未来を舞台にしたSF陰謀サスペンスといった感じの作品となっています。

 ドラマ版は、原作の陰謀劇的なトーンは残したまま、あくまで人間同士のコミュニケーションや信頼といった面をクローズアップした脚色となっているようです。



エピソード6「安全第一」(アラン・テイラー監督、カレン・イーガン&トラヴィス・センテル脚本)

 田舎町バブルスから、母親アイリーンと共に都会にやって来た女子高校生フォスター・リー。学校では、皆がデックスと呼ばれるウェアラブル装置を身に着けていました。
 親の許可がなければ入手できないデックスを手に入れるため、フォスターはクラスメイトのカーヴェにハッキングをしてもらい、母親の口座から無断でデックスを購入してしまいます。デックスを手に入れたものの、フォスターは学校で孤立し、友達のできないままでした。
 デックスのカスタマーサービス要員イーサンとやり取りをしていくうちに、フォスターは彼のいうことに耳を貸すようになっていきます。イーサンは、カーヴェが不審な行動をしているため、彼のことを調べてほしいとフォスターに頼みますが…。

 テロリストの被害が多発し、安全を確保するためのセキュリティシステムが日常と化している世界を舞台にしたSF作品です。田舎からやってきた少女が、皆の仲間入りをしたいとデックスと呼ばれる装置を身に着けたがりますが、それは支配の一端だと母親から否定されてしまいます。
 デックスを通して友人となった青年イーサンから「真実」を知らされた少女フォスターは、それを信ずるべきなのか混乱することになります。世界は本当に「安全」なのか? 自分がすべきなのは何なのか?
 フォスターの父親が精神的に問題があったことも判明し、フォスターは自分が正常なのかも疑っていくことになります。誰の言っていることが正しいのか…? 現実感覚と共に、自らのアイデンティティーも揺らいでいくような展開には、ディック的な味わいが強いですね
 最終的に明かされる真実にはディストピア感覚も強烈です。「依存」や「支配」についての寓話とも読める刺激的なエピソードになっています。

 原作は、フィリップ・K・ディックの短篇「フォスター、おまえはもう死んでるぞ」(若島正訳『人間以前 ディック短篇傑作選』ハヤカワ文庫SF 収録)です。
 ソヴィエトとの冷戦が続くアメリカ、人々の第一の関心は安全にありました。学校では子供たちが生き残るための技術を学んでいました。
 いざというときのためのシェルターをほぼどの家庭もが購入しており、それも毎年のように新製品が登場するのです。経済的な理由と父親の信念からシェルターを持っていない家庭の息子マイク・フォスターは、皆から馬鹿にされつつも、シェルターに憧れを抱いていました。
 息子と妻からの懇願に負け、父親はようやくシェルターを買うことを決心します。最新型のシェルターを購入し、誇らしさを抱くマイクでしたが…。
 ソヴィエトからの攻撃を恐れる国民たちが、競ってシェルターを導入しており、それらがステータスにもなっているという、歪んだ社会を舞台にした作品です。製品を買わなければ死んでしまうため、買わざるを得ないという恐るべき搾取構造が描かれており、考えると空恐ろしいテーマの作品です。
 少年が皆と同じ物に憧れる、というテーマはあれど、その対象がシェルターであるというのもユニークなところです。そのシェルターに対して、少年の憧れと失望が描かれる部分が、豊かな情感をもって描かれているのも、面白いですね。

 ドラマ版は、原作のテーマを敷衍して、管理社会の恐ろしさと、そうした環境に依存・支配されてしまう人間の弱さを描いています。きわめて現代的な脚色といえましょうか。



エピソード7「父さんに似たもの」(マイケル・ディナー脚本・監督)

 野球好きの少年チャーリーは、趣味を同じくする父親を愛していました。ある日、大量の流星群が落ちた後に、チャーリーはガレージの中で、父親が光と共に何者かに吸収される場面を見てしまいます。直後に部屋に入ってきた父親が、いつもの父親でないことにチャーリーは瞬時に気が付きます。母親にそのことを話しても信じてもらえません。
 ネットでは、家族や友人がにせものにすり替わっているのではないかという書き込みが多数現れていました警官に相談するものの、彼らの中身もすでに「にせもの」にすり替わっているようなのです…。

 地球が異星人に侵略され、人間の中身が「にせもの」に入れ替えられている…という侵略SF作品です。
 父親が何者かと入れ替わっていることは、主人公チャーリーにとっては明確なのですが、周囲の大人たちにはそれが分かりません。もともと父と母の仲が上手くいっていなかったこともあり、「にせもの」の父親が家族に親身に行動するのを見て、母親は逆に、夫婦の再構築に対して努力していると解釈してしまうのです。
 友人の助力を得たチャーリーたちは、子どもたちだけで侵略者を撃退しようとしますが、その策略は上手く行くのか…というのが見どころですね。
 父親の中身が入れ替わっているのは明確なので、本物か偽物か分からない…というディック特有の味わいは控えめです。少年の目線で、いかに敵を撃退するか…という流れが、かっての父親に対する愛情と共に展開されていくという、冒険SF的なエピソードになっていますね。

 原作は、フィリップ・K・ディックの短篇「父さんに似たもの」(大森望訳『時間飛行士へのささやかな贈物』ハヤカワ文庫SF 収録)です。
 少年チャールズは、ガレージで父親のテッドが二人いるのを目撃します。直後に目の前に現れた父親が本物でないことを直感し、出て行けと叫びます。ガレージで、本物の父親だったらしき残骸を見つけたチャールズは、父親が完全ににせものと入れ替わっていることを確信します。
 近所に住む大柄な不良少年トニー・ペレッティ、さがしものの名人ボビー・ダニエルズに協力を打診し、父親のにせものを動かしている何かを探すことになりますが…。
 原作でも、父親がにせものであることはすぐに判明し、仲間と共に、彼を撃退するための方策を探す…という正統派の侵略SF作品になっています。

 ドラマ版は原作に割と忠実な作りなのですが、主人公の少年と父親との絆や親子愛を丁寧に描いており、それだけに、にせものに対する憎しみが深くなるという、説得力のある展開となっています。原作では描かれなかった世界規模での侵略の広がりについても描かれていて、スケールが広がっています。



エピソード8「ありえざる星」(デイヴィッド・ファー脚本・監督)

 宇宙への観光旅行を提供しているアストラル・ドリーム社のノートンとアンドリュースは、ある日ロボットを連れた、耳の不自由な老婦人イルマの訪問を受けます。
 彼女は「地球」に行きたいというのですが、すでに「地球」という星は消滅しており存在していないのです。断ろうとするノートンでしたが、高額の現金を提示されたアンドリュースは、地球に似た惑星を探し出し、そこを地球だと偽ってごまかそうと考えます。
 恋人バーバラのために現金の欲しいノートンも計画に加担することになりますが、ツアーを勧めるうちにイルマと心を通わせるようになり、良心の呵責を覚え始めます…。

 地球が消滅してしまった未来、自らの祖父母が住んでいたという地球にノスタルジーを覚える老婦人と、彼女の心情に入れ込んでいく男を描いた、幻想的なエピソードです。
 もともと旅行ツアーに際して、外に見える星や宇宙の画像や音響をコントロールして演出するなど、演出過剰なことを行っていたノートンとアンドリュースが、老婦人が地球と錯覚するように、偽のツアーを実行するという計画を実行することになります。
 飽くまで金のためと考えるアンドリュースに対して、ノートンは老婦人イルマの心情に共感していき、だましていることに良心の呵責を覚え始めます。恋人バーバラの冷たい言動を思い返しながら、300歳以上だというイルマに対して、恋心に似たものさえ、そこには生まれてくるのです。
 地球に対する憧憬の念、祖父母に寄せる親愛の念、そしてイルマ自身の純粋さ…。ドレスを着るイルマが描かれるシーンでは、彼女が少女のように見えてくるから不思議です。
 最後までイルマを欺くのか、それとも真実を打ち明けるのか? ノートンの決断が描かれるクライマックスには驚きと感動がありますね。最後に現れる神秘的な情景は、幻影なのかそれとも真実なのか…。
 宇宙を舞台にした遠未来SFのような道具立てで描かれる物語ながら、その本質は幻想的なラブ・ストーリーです。これはシリーズ屈指の傑作エピソードでは。

 原作は、フィリップ・K・ディックの短篇「ありえざる星」(仁賀克雄訳『地図にない町 ディック幻想短篇集』ハヤカワ文庫NV 収録)です。
 アンドリュウス船長とノートンの元に、ロボットの使用人と一緒に現れた高齢の老婦人イルマ・ヴィンセント・ゴードン。リガ星系からやってきた三百五十歳だという彼女は、死ぬ前に「地球」を見てみたいというのです。
 「地球」は伝説か神話であり、実在しないとされていました。しかし高額の報酬を提示されたアンドリュウスは、「地球」の特徴とされる環境に似たエムファー星系の星に案内して、ごまかそうと考えます。
 着陸した星は荒廃して、汚れ切っていました。考えていたのとは全く異なる環境に失望する老婦人でしたが…。
 「地球」だと称して老婦人を案内したのは荒廃した惑星だった…という物語です。失望した老婦人には救いも示されずに終わってしまうという非常にブラックな物語になっています。皮肉に満ちたラストにも強烈なインパクトがありますね。

 ドラマ版は、シニカルでブラックな原作を、ロマンティックで幻想的なラブ・ストーリーに作り替えています。同じような設定を使いながら、これだけ違う物語に仕立てられるのはすごいですね。



エピソード9「地図にない町」(トム・ハーパー監督、ジャック・ソーン脚本)

 駅に二〇年近く勤める初老の男性エド。彼の勤務する切符売場のカウンターに現れた女性は「メイコン・ハイツ」なる駅への切符を買いたいといいます。
 しかしその路線にそんな名前の駅は存在しないのです。しかも、女性はいつの間にか姿を消していました。再度現れた女性にメイコン・ハイツの町について話を聞くことになりますが、またもや女性は消えてしまいます。
 気になったエドは勤務中にもかかわらず電車に乗り込みますが、途中で乗客が扉を開けて飛び降りてしまいます。つられて飛び降りたエドがたどり着いた近くの町は、存在しないはずの町メイコン・ハイツでした。その町の美しさとたたずまいにエドは魅了されます。夜になり、家に戻ったエドは、その世界が元いた世界とは微妙に異なることに気が付きます。
 心の病を抱え、問題を起こしていた息子のサムが、生まれていないことになっており、彼は妻と二人暮らしになっていたのです…。

 電車の駅と駅の間にある、存在しないはずの町メイコン・ハイツに魅了された男が、従来とは異なった世界に入り込んでしまうという、ファンタジー作品です。
 心の病を抱え、その暴力性で人々との間に軋轢を起こしていた息子のサム。サムの扱いで妻と共に悩んでいたエドは、理想の町メイコン・ハイツを通して、サムがいない世界に入り込みます。正直ほっとしていた自分に罪悪感を感じつつも、穏やかで暮らしやすい生活に溶け込んでいきます。
 しかし、その安寧な生活に疑問を抱き始めることにもなります。メイコン・ハイツとは何なのか?ここにいる人々は何者なのか?探っていくうちに、町の秘密、そしてその町の虜になった人々の悲しさにも気づいていくことになります。
 全ての障害のない安寧な世界に浸るのか、困難があるとしても家族との愛情の存在する世界に戻るのか? 単純な現実逃避、ノスタルジーに終わらないテーマが描かれていて、意欲的なファンタジーとなっています。
 メイコン・ハイツが美しく調和のとれた場所として描かれるの対照的に、地元の町はスラムじみた汚い場所として描かれています。ただメイコン・ハイツを訪れた後、「変化後」の地元の町では、そこに住む人々が親切で思いやりのある人間になっているなど、明らかにいい方向に変化しています。
 主人公エドにとってマイナスなのは、息子サムがいないことだけで、他に関しては皆いい変化ではあるのです。「愛情」のためといえば聞こえはいいですが、それは本当に「綺麗事」ではないのかという問題提起がなされるなど、テーマ性も強いエピソードになっています。

 原作は、フィリップ・K・ディックの短篇「地図にない町」(仁賀克雄訳『地図にない町 ディック幻想短篇集』ハヤカワ文庫NV 収録)です。
 駅員エド・ヤコブスンは、メイコン・ハイツなる聞いたこともない駅への切符を求めて現れた小男が、目の前で消えてしまうのを目撃します。
 報告を受けた上役のペインは、再び現れた小男クリチェットからメイコン・ハイツの話を聞いた直後に、再度男が消えてしまうのを目撃し驚きます。町の名前にかすかに聞き覚えがあったペインは、恋人のローラにその町について調査を頼みます。
 電車に乗っていたペインは、ある男が途中で電車から飛び降り、霞の層の中へ消えていくのを目撃します。車掌によれば、その場所こそがメイコン・ハイツだというのです。
 ローラの調査の結果、メイコン・ハイツが、新興住宅地として計画があったものの、取りやめになってしまった場所だということを聞いたペインは、自らもその町を訪れようとしますが…。
 あり得たかもしれない理想の町メイコン・ハイツと、その町が現実に影響を与え変容させるという、幻想的なファンタジー小説です。メイコン・ハイツは魅力的な町ではあるのですが、主人公のペインにとっては、そこに憧憬の念が抱くというよりは、町の影響によって現実世界が変容させられてしまう(時空の歪みとでもいうべきでしょうか)という、「災厄」のような形で認識されているようです。
 事実、後半では現実世界そのものが変わってしまうという、<奇妙な味>風味の強い作品となっています。

 ドラマ版でも、原作同様、メイコン・ハイツが現実世界に影響を与える(パラレルワールドに入り込んだという解釈もできそうです)という部分は描かれていますが、どちらかというと、個人が選べるとしたならば、どんな世界を選ぶべきなのか、人間の幸福とはどこにあるのか? といった倫理的なテーマが中心に置かれているようです。



エピソード10「よそ者を殺せ」(ディー・リース脚本・監督)

 近未来、一党独裁の政府が支配するアメリカ。選挙も政府が選んだ「候補者」を追認するという、形骸化したものになっていました。
 工場で働くフィルバートは、テレビ放送中に候補者から「よそ者を殺せ」という言葉が出たのを聞き、耳を疑います。しかしその言葉について話題にしている人間が全くいないことに疑問を抱きます。
 工場から見える広告看板には「KILL ALL OTHERS」という言葉が書かれ、そこには死体のようなものが吊り下げられていました。それについても誰も気にしようとしないのです…。

 最新技術で自動化され生活は便利になっているものの、始終周りで広告が流れ、政府は一党独裁、それでいて民主主義を標榜するという、全体主義的な社会が舞台となった作品です。人を殺せというスローガンや、死体(かどうかははっきりしないのですが)が吊り下げられていることなど、非日常的な事件や事態にも関心を抱かなくなった人間たちに、主人公フィルバートは疑問を抱き始めます。
 「よそ者」は排除してよいという論理をフィルバートは否定することになりますが、その意思自体が、彼を「よそ者」にカテゴライズすることになってしまうのです。
 自らの意思とは無関係に、誰もが「よそ者」に仕立て上げられる可能性があるという恐怖、皆が単一の論理に従うという社会的な狂気が描かれています。
 硬直し、洗脳された全体主義社会を舞台に「魔女狩り」が描かれるという、社会的テーマの強いサスペンス・ホラーとなっています。

 原作は、フィリップ・K・ディックの短篇「吊るされたよそ者」(大森望訳『トータル・リコール ディック短篇傑作選』ハヤカワ文庫SF 収録)です。
 テレビ販売店を経営するエド・ロイスは、店に向かう途中に街灯から死体がぶら下がっているのを見て驚愕します。周囲の者に訴えるものの、誰もがそれを気にしていないようなのです。
 やって来た警官たちにも当局の指示だと言われてしまいますが、彼らの顔に見覚えがないエドは、とっさに逃げ出してしまいます…。
 公衆の面前に吊るされた死体に対して反応もしない町の人々。彼らに何が起こったのか? 不条理な雰囲気で始まるスリラーですが、やがて町全体が何者かに侵略されつつあることが分かるという、侵略SFホラーとなっています。
 「吊るされたよそ者」が、なぜ「よそ者」だったのかが分かるシーンは非常に怖いですね。序盤に現れた「吊るされたよそ者」のシーンが、結末でも同じ形で現れるというリフレインが見事です。

 はみだし者となり社会から追われるというテーマは同じくしながらも、完全に侵略SFとして書かれた原作に対して、ドラマでは、人間が人間に与える組織的な圧力とその狂気を描いていて、現代的な脚色になっているように思います。


テーマ:テレビドラマ - ジャンル:テレビ・ラジオ

最近観たホラー・ファンタジー映画

ゴーストランドの惨劇 [DVD]


パスカル・ロジェ監督『ゴーストランドの惨劇』(フランス 2018年)

 変わり者で知られた叔母の家を相続して、そこに越してきたシングルマザーの母親と双子の娘。引越しの当日、突然家を暴漢二人組が襲撃してきますが、母親の必死の抵抗で二人組は殺されてしまいます。
 16年後、ホラー小説家として成功した妹ベスは、姉ヴェラからの助けを求める電話を受け、実家に帰ることになります。ヴェラはあの惨劇の夜から精神を病み、ずっと家に閉じこもっていたのです。ヴェラの言動、そして母親の態度からも何か不穏な気配を感じるベスでしたが…。

 暴漢に襲われた夜から心を病んでしまった姉を見舞う妹、何やら心の病だけではない何かを、姉は恐れているようなのです。なかなか先の読めない展開の作品で、殺された暴漢の霊が悪さをしているのかとも予測しましたが、それとはまた違う方向の展開でちょっと驚かされます。
 主人公の妹娘が、人見知りながら作家志望で、しかも好きなのはホラー小説、敬愛するのはラヴクラフトという、ホラーファンには楽しい設定になっています。後半ではラヴクラフト本人も登場するのは、ホラーファンには嬉しい趣向ですね。
 お話自体は非常にハードで、精神的にも肉体的にもダメージが来るので、そうした描写が苦手な人にはきつい作品かもしれません。ただ少女が「現実」を受け入れ「成長」するというテーマも強調されていて、観終わってみると、ある種「いい話」だとも思えるところが、なかなか面白いですね。



ムーンプリンセス 秘密の館とまぼろしの白馬 [DVD]


ガボア・クスポ監督『ムーンプリンセス 秘密の館とまぼろしの白馬』(イギリス 2009年)

 父を亡くし孤児となった少女マリアは家庭教師のヘリオトロープ先生とともに、おじであるベンジャミン・メリウェザー卿の領地ムーンエーカーに引き取られることになります。メリウェザー一族と、隣り合った森で密猟をして暮らすド・ノワール一族には、数百年に及ぶ因縁がありました。
 月と自然の力を得たことから<月姫>と呼ばれた女性が持ってた強大な力を持つという月の真珠、それをめぐってメリウェザーとド・ノワールは仲たがいをし、それを悲しんだ<月姫>は谷全体に呪いをかけます。5千回目の満月の夜までに魔法を解かないと呪いは現実のものになってしまうというのです。
 代々伝わる本によって、その呪いを知ったマリアは、二つの一族を和解させるために、消えてしまったという真珠を探し始めます。捜索の過程で、マリアは、謎の女性ラブデイ、ド・ノワール一族の当主の息子である少年ロビンらの手を借りることになりますが…。

 エリザベス・グージ『まぼろしの白馬』が原作で、美しい舞台とロマンティックな物語が魅力のファンタジー作品です。
 「王道」と言えるほどロマンティックなお話で、そのあたりは原作の雰囲気をかなり忠実に再現していますね。ヒロインとなるマリアが非常にポジティブなキャラクターで、事態を打開するために積極的に動くという展開にも爽快感があります。
 舞台となる古い館や周囲の森林、部屋の調度や主人公の衣装などを含め、全体に絵作りが美しく、それらを見ているだけでも楽しいです。
 CGが使われているらしい魔法のシーンも浮き立っておらず自然な感じです。特にクライマックス、魔法の白馬が登場するシーンは美しいですね。
 基本的には原作を踏襲した映画化なのですが、大きく変えられているのは、ロビンとラブデイの設定でしょうか。原作ではこの二人が親子という設定だったと思うのですが、映画版では姉弟で、かつ敵方のド・ノワール一族の人間、ということになっています。
 良質なファンタジー映画作品で、原作ファンも安心して観れる作品になっているかと思います。



カラー・アウト・オブ・スペース―遭遇― [DVD]


 リチャード・スタンリー監督『カラー・アウト・オブ・スペース 遭遇』(ポルトガル・アメリカ・マレーシア合作 2019)
 水文学者ワード・フィリップスは、水質の調査のためアーカム郊外の田舎を訪れます。ワードは、ガンになった母の回復を祈って魔術の儀式を行っていた娘ラヴィニア・ガードナーと、森の中で出会います。彼女は、父ネイサン、母テレサ、ベニーとジャックの2人の弟と暮らしていました。
 テレサの病気はあるものの、幸せに暮らしていたガードナー一家の庭に、ある日、隕石が落下します。悪臭を放つ隕石はしばらくして消えてしまいますが、それから一家の人々に異常が起き始めます。テレサは料理中に放心状態になり指を切り落としてしまいます。 ジャックは井戸の中にいる男と会話していると話し、庭に長時間たたずんでいました。やがて、父ネイサンの精神状態も尋常でなくなっていきますが…。

 H・P・ラヴクラフトの短篇「異次元の色彩」の映画化作品です。隕石と共に降り立った何物かにより、周辺の土地や生物のみならず、居住している人間にも異様な影響が及んでいく…というホラー作品です。
 序盤は家族の日常生活やキャラクターの描写が主で、なかなか出来事が起こらないのですが、隕石が墜ちて以降、ガードナー家の人々が異様な状態になっていくのが見所でしょうか。ヒロインのラヴィニアと弟ベニーは、後半まで比較的まともな精神状態を保っているのですが、両親とジャックに関しては、すぐに異様な状態になってしまい、何を起こすのか分からない状態が続くところにサスペンスがありますね。
 土地に降り立った何物かによる影響で、周囲の土地や生物は異様な変容を遂げていきます。昆虫、動物、果ては人間まで。ガードナー家の人々も精神だけでなく、肉体も変容を遂げていくことになるのです。
 変容を遂げた人間の造形は怪物そのもの。『遊星からの物体X』を思わせるような強烈な印象のクリーチャーも登場します。
 序盤が静謐な雰囲気だっただけに、後半の展開は非常に強烈。「色」によって歪む空間や時間、変容を遂げた怪物と、インパクトたっぷりの画面が展開されることになります。

 ついでに、新訳版で原作も読み直してみました。「異次元の色彩」(南條竹則訳『インスマスの影 クトゥルー神話傑作選』新潮文庫 収録)です。
 原作では、事件が起こった随分後に、事件を知る男に経緯を聞くという、間接的な語りになっています。隕石が墜ちた影響により、土地や人々に異様な影響が及ぶ、という大枠は同じですが、被害を受ける家族の構成やその行く末なども異なっていますね。
 ラヴクラフト作品の通例で、影響を受けた人間の肉体的な変容が匂わされてはいるものの、具体的な描写はなく、読者の想像力にまかされています。

 映画版では原作には少なかった視覚的な効果が、具体的に描写されていて迫力があります。
 魔術に傾倒しているラヴィニアが持っている本は「ネクロノミコン」、水文学者ワードが読んでいる本はアルジャーノン・ブラックウッドの「柳」だったりするのも、怪奇小説ファンには楽しいところですね。
 さらに言うなら、登場人物の一人ワード・フィリップスは、ハワード・フィリップス・ラヴクラフトから取った名前なのでしょう。
 ラヴクラフト作品の現代における映画化として、非常に良く出来た作品なのではないかと思います。



ビハインド・ザ・マスク [DVD]


スコット・グロサーマン監督『ビハインド・ザ・マスク』(アメリカ 2006年)

アメリカの小さな町グレン・エコー、そこで20年前ある事件が起こります。悪魔の子供だとされた少年が滝に落とされ死んだというのです。その少年は甦り、町の住民に復讐するという噂が流れていました。レスリー・ヴァーノンはその少年こそ自分であり、ジェイソンやフレディの正統な後継者だと話します。
レスリーは、ターゲットを決め、連続殺人鬼として自分をプロデュースするための計画を着々と進めていました。女性レポーターのテイラー率いる取材班は、レスリーに密着し、準備段階から彼の行動を記録することになりますが…。

 連続殺人鬼の行動の裏側を追う…というフェイク・ドキュメンタリー風に描かれたホラー作品です。ホラー映画において、なぜ殺人鬼に裏をかかれてしまうのか? 犠牲者が都合よく殺人鬼に捕まってしまうのはなぜなのか?といった理由が描かれていきます。
 その理由とは、殺人鬼が綿密に計画を練っているから、という人を食ったものでした。 殺人の舞台となる家にさまざまな仕込みをしておくのはもちろん、犠牲者を不安にするようなささいな演出を細かく実行したり、複数の犠牲者たちが逃げるときの導線を検討したりと、その行動は非常に合理的。
 普段から体を極限まで鍛えていたり、奇術師を師匠としてトリックの準備も怠らなかったりと、準備万端なのです。殺人犯の青年自体も気さくな性格で、取材にも協力的だったりと、好青年に描かれているのがユニークです。
 青年の熱意にほだされて、取材クルーも純粋に彼を手伝うようになっていく、というのも面白いところですね
 前半は、青年レスリーの計画の舞台裏が彼の苦労とともに描かれていき、そのまま最後まで計画の実行がなされるのかと思いきや、後半思わぬ展開になっていきます。しかも、前半で描かれた殺人計画そのものが後半の伏線になっているという凝った作りになっています。
 連続殺人鬼の舞台裏を取材するという、メタフィクショナルな着想の、非常に面白い作品になっています。全体はコメディタッチで描かれるのですが、クライマックスでの殺人シーンは意外に本格的だったりするのも面白いところです。
 ミステリ的な趣向もあるので、そちらのファンにも楽しめる作品だと思います。



ドント・ゴー・ダウン(字幕版)


トム・パットン監督『ドント・ゴー・ダウン』(イギリス 2020年)

 とある紛争地帯、機密書類を奪うために派遣された傭兵部隊は敵の野営地を奇襲します。奇襲は成功しますが、テントのなかには一般人らしき女性がとらわれていました。女性の正体は分からず、つぶやいた現地の言葉は「ドント・ゴー・ダウン」(決して降りるな)という意味のようでした。
 隊長のスタントンの命令により、クラークは女性を銃殺してしまいます。基地に帰還した部隊は上層階に向かおうとしますが、エレベーターが故障していたため、階段を上がることになります。しかし、上がり続けても一向に部屋には到着することができません。
 突然サイレンが鳴り響きます。状況を確認しようと階段を下りた仲間は何者かに襲われて、逃げろと言い残して絶命します。階段を上り続けて、ようやく外につながるらしいドアを見つけた一行でしたが、ドアの外に広がっていたのは、奇襲して殲滅したはずの敵の野営地でした…。

 戦場で無限のタイムループに巻き込まれた傭兵部隊の運命を描いたSFアクション・ホラーです。
 部隊は、基地の無限に続く階段に囚われてしまい、そこから抜け出せなくなってしまいます。どうやら任務中に殺した捕虜の女性の呪い(?)のせいで、ループに囚われてしまっているようなのです。
 一定時間ごとにサイレンが鳴り響き、その階に留まっていると、下の階から怨霊のような存在に追いつかれ殺されてしまいます。階段を上り続けていると定期的に現れるドアから過去に戻り、捕虜を殺させないようにするしか打開策はないようなのです。何度も過去に戻る一行ですが、何度やっても上手くいきません。
 過去に戻って捕虜を殺させないようにしなければ抜け出せない。しかし毎回蘇る敵の勢力と過去の自分たち、多人数を相手に対抗しようとするものの、だんだんと味方は怪我をして脱落していき、体力は減る一方という、悪夢のようなミッションが描かれていきます。
 襲い来る怨霊とループ現象、そして軍事アクション、様々な要素を組み合わせた、意欲的なホラー作品です。ループ現象や怨霊について、明確なルールが最後まで分からないのですが、それにより不条理感が強い作品になっていますね。
 もともといつ死んでもおかしくないという軍事行動に加えて、減る一方の味方、削られる体力など、主人公たちの疲弊感が強烈で、悪夢のような空気が満ちています。
 過去の自分を殺した場合どうなるのかなど、タイム・パラドックス的な面に関しては多少曖昧にしている感はあるのですが、今までにないタイプの要素の組み合わせで、非常に面白い作品だと思います。




プロフィール

kazuou

Author:kazuou
男性。本好き、短篇好き、異色作家好き、怪奇小説好き。
ブログでは主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。twitterアカウントは@kimyonasekaiです。
怪奇幻想小説専門の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。twitter上の怪奇幻想ジャンルのファンクラブ「 #日本怪奇幻想読者クラブ 」主宰。
『ミステリーズ!vol.96』(東京創元社)に怪奇小説の翻訳概況を書きました。
同人誌『海外怪奇幻想小説アンソロジーガイド』『物語をめぐる物語ブックガイド』『迷宮と建築幻想ブックガイド』『イーディス・ネズビット・ブックガイド』『夢と眠りの物語ブックガイド』『夢と眠りの物語ブックガイド 増補版』『奇妙な味の物語ブックガイド』『海外怪奇幻想小説ブックガイド1・2』『謎の物語ブックガイド』『海外ファンタジー小説ブックガイド1・2』を刊行。「海外怪奇幻想作家マトリクス・クリアファイル」も作成しました。



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