3月25日の日曜日、JR巣鴨駅前のカフェにて「怪奇幻想読書倶楽部 第13回読書会」を開催しました。出席者は、主催者を含め10名でした。 テーマは、第1部「物語をめぐる物語」、第2部「作家特集 ステファン・グラビンスキ」です。参加してくださった方には、お礼を申し上げたいと思います。
それでは、当日の会の詳細について、ご報告したいと思います。
今回も、参加者全員のプロフィールをまとめた紹介チラシを作りました。チラシをPDFにしたものを、メールにて事前に配信しています。
第1部「物語をめぐる物語」では、本や物語をテーマにした作品、作家を主人公にした作品、枠物語、メタフィクションや実験小説などについて話しました。もともと作家自身がこのテーマを好む傾向が強く、該当作品も本当にたくさんあるといった印象ですね。 主催者による作品リストのほか、参加者のshigeyukiさんによるリストも配布されました。
第2部は「作家特集 ステファン・グラビンスキ」。近年邦訳が続き、話題を呼んだポーランドの怪奇小説家ステファン・グラビンスキについて話し合いました。 ポオやホフマン、ラヴクラフトといった作家たちとの共通点を感じながらも、グラビンスキならではの特徴というのも浮かび上がってきました。
それでは、以下話題になったトピックの一部を紹介していきます。
●一部
・ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』について。 前半は純粋なハイ・ファンタジー、後半はメタフィクション的な展開になる。子供のころ読むと、後半はちょっと難しいかもしれない。作中の本を模した装丁は素晴らしい。 「それはまた別のお話…」的な部分がところどころにあり、サイドストーリーを想像させるという趣向は面白い。 映画版は中途半端な映像化でがっかりした。
・ヤン・ポトツキ『サラゴサ手稿』について。 アラビアン・ナイト風のエキゾチックな枠物語。背景にキリスト教とイスラム教の争いも描かれる。主人公が気がつくと、何度も処刑台のそばで目を覚ます…という展開が楽しい。映画版ではこのあたりはコミカルに描かれていた。 邦訳は抄訳で、映画版では未訳の後半部分が描かれるのだが、物語の中の語り手の話の中の語り手が…という具合に、多重構造になっているところがすごい。 作者はポーランドの人だが、フランス語版やポーランド語版など、未だに定本とされる形はないらしい。
・ジャン・レー『新カンタベリー物語』について。 チョーサー「カンタベリー物語」をモデルに描かれた怪奇幻想版枠物語。ジャン・レー作品の中でも傑作だと思う。
・小田雅久仁『本にだって雄と雌があります』について。 本に雄と雌があり、本の子供ができる…という設定のファンタジー。結末ではひっくり返しがあったり、壮大なスケールの物語に。
・レイ・ブラッドベリ『華氏四五一度』について。 本が焚書される世界で「本」そのものになってしまう人々が描かれる。記憶力の問題はどうなっているのか気になる。同じ題材でもブラッドベリが書いたからこそ詩的に感じられる面があるのではないか。
・ジーン・ウルフ『書架の探偵』について。 近未来、過去の作家がクローンとして再生され、図書館に保管されているという作品。「作家」の扱いが雑なのがすごい。クローンの技術的な問題や倫理的な問題はスルーされている部分が多く、突っ込みどころも結構ある。
・ジョン・ヴァーリイの作品について。 ヴァーリィの小説世界では、クローンや脳移植が非常に手軽に行われる。倫理的な部分に引っかかる人もいるのでは。
・松本零士『銀河鉄道999』について。 機械の体で永遠の命を得るために旅をするという話。
・機械の体を手に入れた人間からは人間性が失われる? 日本人的な感性では、ロボットに対しても感情移入をするし、機械化されても人間性は残る気がする。サイボーグの悲しさを描くというような作品があったとして、その悲しさはあくまで「すれ違い」の悲しさで、根本的に「理解できない」というわけではない。
・コミュニケーションの不可能性について。 スタニスワフ・レムの作品では、人類とは根本的に理解できない存在が描かれることが多い。『砂漠の惑星』など。
・アンソロジー《怪奇幻想の文学》について。 今でもこれでしか読めない作品が多数ある、マニアックな怪奇アンソロジー。奇跡譚を集めた巻など、後半の巻が特に面白い。
・『ロアルド・ダールの幽霊物語』について。 ダールがテレビシリーズ企画のために選んだ怪談から精選されたアンソロジー。名作だけでなく、エイクマンやヨナス・リーといった珍しい作品も入っている。
・最近のアンソロジーについて。 最近は、海外のアンソロジーがめっきり出なくなった。
・小説の登場人物の名前について。 ありふれた名前だとイメージがわかないし、かといってあまり凝った名前でも難しい。横溝正史の小説の登場人物名は変わっているのが多いが、イメージはすごく掴みやすい。
・ミロラド・パヴィチ『ハザール事典』について。 事典形式の幻想小説。幻の国ハザールに関わる歴史や人物に関わる物語。3つの宗教からの項目に分かれている。男性版と女性版が存在する。ハードカバー版はスピンが3つついていて楽しい。
・マーク・トウェイン『アダムとイヴの日記』について。 同じ日常をアダム側とイヴ側からのそれぞれの日記形式で描いた小説。アダムは非常に頭のからっぽな男として描かれるが、イヴのパートは非常に叙情豊かになっていて、その対比が面白い。
・アラスター・グレイ『哀れなるものたち』について。 科学者によって死から蘇った女性の人生を、その夫となった人物と、本人両方の面から描く作品。夫側の物語を女性側の物語が否定するという構造になっている。ただお話的には夫側の物語の方が面白い。
・泡坂妻夫『しあわせの書』について。 トリックや仕掛けはものすごいと思うが、物語自体がそんなに魅力的でないのが弱点。
・筒井康隆『残像に口紅を』について。 世界から一文字づつ文字が消えていくという、実験的な作品。初版は袋とじになっていた。校正が大変そう。
・西澤保彦のSF的な作品について。 『七回死んだ男』『人格転移の殺人』『複製症候群』『ナイフが町に降ってくる』など。 ・パトリシア・ハイスミス『イーディスの日記』について。 不幸な生活を送る主婦が妄想の日記をつづるという作品。精神的に「来る」作品。
・筒井康隆『敵』について。
・パトリシア・ハイスミス『殺人者の烙印』について。 妻殺しを疑われた作家が、天邪鬼な性格からどんどん自分の首を絞めてしまうという物語。
・新井素子『…絶句』について。 小説を書くことについての物語。途中で人称が変わるという趣向が面白い。
・ウィリアム・ゴールドマン『プリンセス・ブライド』について。 作家ゴールドマンが、子供の頃に父親に読んでもらった物語を自分の息子にも読ませようと本を手に入れるが、父親が読んでくれた物語は面白いところだけを抜き出したものであることがわかる。ゴールドマンはその本「プリンセス・ブライド」の娯楽抜粋版を書こうと考える…というメタフィクショナルな作品。 本編は非常に面白いファンタジーになっているのだが、それに対するゴールドマンのつっこみ部分が赤のインキで印刷されているという、凝った作り。 ゴールドマンの語り部分も、実話ではなくかなりフィクションが混じっていたりと、一筋縄ではいかない作品。
・フィリップ・ホセ・ファーマー『貝殻の上のヴィーナス』について。 カート・ヴォネガットの登場人物キルゴア・トラウト名義で書かれた作品。ヴォネガットは迷惑したらしい。
・ジェイムズ・ブランチ・キャベル『夢想の秘密』について。 キャベルの長大なシリーズ作《マニュエル伝》の最終巻。なぜこの巻だけが邦訳されたのかは疑問。 作家を主人公にしたメタフィクション的作品で、ちょっと難解だが、面白いことは面白い。
・スタニスワフ・レム『完全な真空』について。 架空の本の書評集。小説にするよりは楽だからこういう形式になった? ただレムにしか書けない作品だと思う。
・阿刀田高作品について。 後年の作品は、完全に技術だけで書かれていて、読めはするがあまり面白くなくなっている 。 ・ネクロノミコンをモチーフにして書かれた作品について。 本家のラヴクラフトが作中の本について具体的な描写が少ないせいもあって、後続の作家が書きやすくなった? 『魔導書ネクロノミコン』など。 中では、ウェルウィン・W・カーツ『魔女の丘』に登場する魔導書は、非常にユニークだった。
・ヴァーナー・ヴィンジの短篇「七百年の幻想」について。 創刊700年の雑誌をめぐる物語。雑誌の揃いを守ろうとする青年を描く。馬鹿馬鹿しいが楽しい作品。
・E・T・A・ホフマンについて。 『セラーピオン朋友会員物語』は、数人の仲間たちが物語を語り合うという形式の物語。作中作は面白いものが多いのだが、途中にはさまれる議論部分が退屈してしまう。 創土社の全集はなかなか完結せず、集めている内に途中の巻が絶版になってしまった。 小林泰三の近刊の作品にホフマンがモチーフとして使われていた。
・フランツ・ロッテンシュタイナー『ファンタジー』について。 オーストリアの評論家ロッテンシュタイナーが評価する三大作家は、ポオ、ホフマン、ゴーゴリ。
・ミルチャ・エリアーデ『ムントゥリャサ通りで』について。 取り調べを受けた校長が話す物語が脱線を繰り返していく…という作品。物語の「余白」がものすごい。
・久世光彦『一九三四年冬―乱歩』について。 乱歩の人生をモデルにした小説。動きは少ないが雰囲気のある作品。
・ノーマン・スピンラッド『鉄の夢』について。 ヒトラーがアメリカに渡りSF作家になっていたら…という作品。SF作家ヒトラーが描いたSF小説「鉄の夢」が丸ごと収録されるという大胆な構成になっている。作中作は非常なB級作で、正直読むのはつらい。
・改変歴史ものがナチスばかりテーマになっている気がする。翻訳されるのは話題性のあるもの中心で、その意味でナチスものが多いが、欧米ではいろいろなタイプの改変歴史ものが書かれている。
・レーモン・クノー『イカロスの飛行』について。小説の登場人物が逃げ出してしまうというメタフィクション。
・木犀あこ『奇奇奇譚編集部 幽霊取材は命がけ』について。 連作になっているが最終話「不在の家」がジャクスン『丘の屋敷』のオマージュになっている。典型的な「幽霊屋敷もの」をひねった発想で一読の価値がある。
●二部
・グラビンスキには、変に論理にこだわることがあって、それがまた奇妙な味を生み出している。
・短篇「シャモタ氏の恋人」について。憧れていた女性から恋文をもらった男が、実際に女性と恋人関係になる…という物語。一見、オーソドックスなゴースト・ストーリーかと思わせて非常にひねりのある作品。「分身」テーマでもあり、無生物に生命が宿る…というグラビンスキお得意のモチーフも見られる。
・エッセイやインタビューで、グラビンスキは自身の作品について「汎神論的」という表現をする箇所がある。土地そのものに不思議な力があるとか、無生物に生命がやどる…というモチーフの作品はそのあたりを指しているのかも。
・グラビンスキ作品では、伝統的な怪奇小説のテーマ、幽霊、悪魔、妖精などはほとんど出てこない。
・グラビンスキ作品には、宗教的なバックグラウンドがほとんど感じられない。「怪物」が出てきても、異次元からやってきた得体の知れないものという感触が強い。この辺がラヴクラフトとの共通点を指摘される部分だろうか。
・グラビンスキが影響を受けた作家について。ポオ、マイリンク、スティーヴンソンなど。ホフマンの影響は否定しているが、影響はあると思う。
・別の世界や異次元らしき存在が描かれる、という点では巷間言われるラヴクラフトよりもホジスンの方が近いのではないか? ホジスン作品では、怪異に対して登場人物たちの精神が狂うことは少なく意外に健全なので、やはりラヴクラフトの方が近いかもしれない。
・ホジスン作品では、怪異や怪物に対して「戦う」ことが多い。『〈グレン・キャリグ号〉のボート』など。
・怪異に対して、グラビンスキはわからないなりに解釈する。そのあたりを「疑似科学」と呼ぶのだろうか。
・ポーランドの幻想画家、ズジスワフ・ベクシンスキーの画の紹介。グラビンスキと通じるところもある。
●『動きの悪魔』について。
・鉄道をテーマにした怪奇小説集。全体に「ウルトラQ」を思わせる要素が強い。
・鉄道は当時としては最新のテクノロジーで、事故が起これば大量の死者も出る。それがゆえに恐怖の対象となるという面もあるのではないか。
・怪奇小説とテクノロジーが結びつくと、思いもかけない作品ができることがある。例えば『リング』の「呪いのビデオ」は最初は斬新だった。それに比べると「呪いの本」は古くなっていない感がある。
・鉄道自体が当時の人々にとって、巨大で恐ろしいイメージを持っていたのではないか? もともと、鉄道が「怪物的なイメージ」を持っているとすると『動きの悪魔』という作品集に対するイメージも変わってくる。
・車掌がおかしくなる話、事故が起こる話が時折出てくるが、実際の通勤電車内で読むといっそう怖い。
・意外にサイコサスペンス的な要素が強い。
・グラビンスキ作品では、怪異が起こるにしても、明確な「怪物」という形は少なく、異次元からの侵入であるとか、それらの影響で人間がおかしくなる…というパターンが多い。
・「永遠の乗客(ユーモレスク)」について。 列車に乗り降りして、旅をするふりを続ける男を描いた作品。非常に味わいがある。ポオの「群集の人」を思わせる。
・精神的におかしい車掌がよく登場するのが面白い。「汚れ男」など。
・「車室にて」について。 突然の暴力的な展開に驚く。当時の列車の構造は車室が独立している?
・「機関士グロット」について。駅に列車を止めたくない男を描いた作品。エッセイによれば実話が元になっているとか。『動きの悪魔』の発想元になった作品。
・「奇妙な駅(未来の幻想)」について。 駅の造詣がすごく変わっている。
・「待避線」について。 「待避線」と呼ばれる別世界が登場する。パラレルワールドと言っていいのだろうか?
・「トンネルのもぐらの寓話」について。 トンネル内でしか生きられなくなった男が、洞窟内で奇妙な生きものに出会う…という作品。何やらラヴクラフト的。
●『狂気の巡礼』について。
・「薔薇の丘にて」について。 耽美的な要素の強い怪奇作品。ポオを思わせる。
・「狂気の農園」について。 非常に凄惨な印象を受けるサイコホラー作品。
・「接線に沿って」について。 主人公が奇妙な論理に従って死を選ぶという物語。理屈はよくわからないが、凄みがある。
・「海辺の別荘にて」について。 殺されたらしき友人の振る舞いが、別の人間によって再生される…という面白い趣向の作品。これも「場所」の力なのだろうか?
・「灰色の部屋」について。 引っ越した先で、前住者の影響力に悩まされる話。影響を振り切るために、語り手が取る手段が非常に面白い作品。意図せざるユーモアが感じられる。
・「チェラヴァの問題」について。 分身テーマの作品。二重人格ものと思わせて…というSF的な作品。江戸川乱歩的な要素も感じられる。ポオ「ウィリアム・ウィルソン」的?
・「煙の集落」について。 インディアンの文化をモチーフにした作品。グラビンスキ作品としては、変わったテーマの作品だと思う。
・「領域」について。 作家の想像力をテーマにした作品? クライマックスに登場する「怪物」はラヴクラフトを思わせる。
●『火の書』について。
・「赤いマグダ」について。 火に呪われた娘を持つ消防士を描く作品。非常に視覚的なイメージが強くて面白い。
・「白いメガネザル」について。 煙突に潜む「怪物」を描いた作品。「怪物」の造詣が非常にユニーク。
・「ゲブルたち」について。 妄想を行き着くところまで放任するという方針の精神病院がやがて拝火教のカルトになってしまうという作品。ポオの「タール博士とフェザー教授の療法」を思わせる。
・「煉獄の魂の博物館」について。 煉獄の魂が残した手の跡が登場する作品。本の装丁のモチーフになっている。
・「有毒ガス」について。 遭難した山小屋で出会う怪異を描いた作品。男とも女ともつかない謎の存在が登場する。邦訳されている作品の中では、もっとも「妖怪」に近い存在?
・フィオナ・マクラウドについて。 作品のカラーがとにかく暗い。『ケルト民話集』は非常に暗かった。 フィオナ・マクラウド、ウィリアム・シャープ『夢のウラド』について。マクラウド部分に比べ、シャープ部分はユーモアのある作品も。『ケルト民話集』に比べると、まだ暗くない。
・アイルランドとスコットランドの作家について。 同じケルトでもアイルランドとスコットランドの作家のカラーは違う。 アイルランド、アイスランド、ベルギーなど、小国でも芸術家を大量に排出する地域があるのはなぜなのだろうか?
・荒俣宏さんの昔の訳書では、全然関係ない画家の絵を表紙に使っていたりした。フィオナ・マクラウド『ケルト民話集』の表紙画は「青い鳥」だったり。
・ジョー・ウォルトン作品について。 『図書室の魔法』、《ファージング》シリーズ、『アゴールニンズ』など。
・野崎まど『2』について。 複数の作品の続編になっているという意欲的な作品。単なる趣向倒れになっていないところがすごい。
・桜庭一樹作品について。 『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』『赤朽葉家の伝説』など。
●二次会
・T・S・ストリブリングの《ポジオリ教授》シリーズについて。超自然的な要素もある、異形のミステリ。
・《晶文社ミステリ》と《KAWADE MYSTERY》について。 どちらもほぼ絶版? 同時期に出た論創社の《ダーク・ファンタジー・コレクション》はまだよく見かける。論創社の刊行本はなかなか絶版にならない?
・ロバート・トゥーイの作品について。 奇妙な味の短篇作家。《KAWADE MYSTERY》で一冊だけ傑作集が出てそれっきりなのが残念。
・フィオナ・マクラウドの詩と小説について。 小説が最近話題になっているが、詩にも素晴らしいものがある。
・怪奇小説の三大巨匠(アルジャーノン・ブラックウッド、M・R・ジェイムズ、アーサー・マッケン)について。 創元推理文庫で出ていた彼らの本はほぼ絶版? 『M・R・ジェイムズ怪談全集』はいずれ復刊するような気がする。
・アーサー・マッケン作品のお勧めは? 衆目の一致するのは『怪奇クラブ』「パンの大神」など。『夢の丘』は好みが分かれると思う。
・ブラックウッド作品について。 なんだかんだで、コンスタントに紹介の続いている作家で根強い人気があるのでは。『王様オウムと野良ネコの大冒険』などの小品まで訳されている。 代表作は《ジョン・サイレンス》『ケンタウロス』『人間和声』、短篇では「ウェンディゴ」「柳」など。
・E・F・ベンスンの作品について。 すごく面白い作品を書く作家という印象。アトリエサードから出た2冊の短篇集は面白かった。
・W・H・ホジスン作品について。 秀作はいろいろあるが、代表作は『ナイトランド』だと思う。この作品がなかったら、ホジスンは二流の怪奇作家になっていた気がする。『ナイトランド』において、ホジスンは独特の世界観を構築している。
・欧米怪奇小説のオールタイムベスト1を選ぶとしたら何になる? 長篇ならメアリ・シェリー『フランケンシュタイン』かブラム・ストーカー『ドラキュラ』だろうか。短篇ならジェイコブズ「猿の手」。怖さで言うなら、シャーロット・パーキンズ・ギルマン「黄色い壁紙」やH・R・ウェイクフィールド「赤い館」なども。
・子供の読書感想文について。子供のころの感想文の上手さ(?)と大人になってからのそれとは直結しないと思う。
・子供時代の読書遍歴について。 江戸川乱歩の児童物→ミステリ一般→怪奇幻想もの、という流れを経る人は多いのではないか。
・ディーノ・ブッツァーティ作品について。 岩波文庫に2冊ブッツァーティ作品が入ったのは、古典と見なされた証拠だろうか。長篇『タタール人の砂漠』は傑作か? 結末を知った上でも読めるとする人と読めないとする人が。最近出た短篇集『魔法にかかった男』(東宣出版)は、上質の作品集だった。
・マシュー・ディックス『泥棒は几帳面であるべし』(創元推理文庫)について 。決まった家ばかりに侵入する泥棒を描いたユーモア・ミステリ。非常に楽しい作品。 | ・ウラジーミル・ナボコフ『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』について。 主人公が亡き作家の伝記を書こうとする「巡礼」型の物語だが、作中で言及される作家の架空の作品が風変わりで面白い。
・ナボコフ作品は難しくて読み通せないものが多い。 『青白い炎』など。『ロリータ』は読みやすい。
・読んだけれど全然理解できなかった作品について。 レイモン・クノー『はまむぎ』、ホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』、フリオ・コルタサル『石蹴り遊び』など。
・スティーヴン・キング『ミザリー』について。 ハードカバー版の内側の表紙には、作中作の「ミザリー」を描いたイラストが書かれているなど、造本が凝っている。
・中島らも作品について 。死後は急速に読まれなくなっているようだが、非常にいい作品を書く作家だと思う。怪奇幻想的には『ガダラの豚』『人体模型の夜』『白いメリーさん』などが秀作。
・芥川龍之介作品について。 幻想文学的にも重要な作家だと思う。
・太宰治作品について。 はまる人は非常にはまる作家。岩波の太宰治短篇集のセレクションは良い。
・「アンチ・ミステリー」について。
・文学フリマについて。 造本に凝っている人が多いが、特に詩関係の本を出している人は、美しい造本が多い。
・原書を読むことと翻訳について。 外国語がすらすら読めるレベルでなければ、少しづつでも自分で翻訳してから読んだ方が内容は頭に入る。
・稲垣足穂について。 代表作は『一千一秒物語』。後年の作品が哲学とエッセイが入り混じったもので、非常に難解。
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