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妖異と法悦  『アーサー・マッケン作品集成』
 イギリスの作家アーサー・マッケン(1863-1947)は、アルジャーノン・ブラックウッド、M・R・ジェイムズと共に、近代の怪奇小説の三大巨匠の一人とされる人です。
 マッケンの作品に現われるのは、牧神であったり妖精であったりと、人ならざるものたち。しかもそれらは「可愛らしい」ものではなく「邪悪」なものなのです。触れてはいけない超越的な存在に触れてしまった人間はどうなるのか? そんなテーマに憑かれた作家です。しかし作者自身、それらのものたちへの「官能性」に惹かれているところに、一種なまめかしい魅力もあります。
 宗教的、秘教的な面が強い作品もあり、そうした要素が強く出てしまっている作品に関しては、読者を選ぶところもありますね。
 幸い、彼の作品に惚れ込んだ訳者、平井呈一により、主要な作品がほぼ邦訳紹介されました。その訳業は『アーサー・マッケン作品集成』(牧神社)としてまとめられています。
 なお、この『アーサー・マッケン作品集成』は、1973~1975年に牧神社より初刊。1994~1995年に沖積舎より箱入り本として新装復刊されています。また、2014~2015年にはソフトカバー版として、同じく沖積舎から新装版が刊行されました。



アーサー・マッケン作品集成 (1) 白魔
アーサー・マッケン『アーサー・マッケン作品集成1 白魔』(平井呈一訳 沖積舎)

「パンの大神」
 クラークの立ち合いのもと、異端的な医師レイモンドによって脳手術を受けたメリーは、その結果、白痴になってしまいます。クラークは後にフィリップ博士からある事件の顛末を聞き取り手記にまとめます。そこにはヘレンという娘が何か不思議な存在と一緒に森で過ごしていたこと、ヘレンの女友達が恐ろしい体験をしたことなどが記されていました。
 一方、記者のヴィリヤズは、街中で浮浪者に落ちぶれたかっての友ハーバートに出会います。彼の話によれば結婚したヘレン・ヴォーンという女性によって破滅させられたというのです。
 また友人のオースチンから、かってハーバート夫妻の家の前で恐怖のためショック死した男がいることも耳にします。その後も資産家や貴族の男性が次々と自殺するという事件が相次ぎ、その影にはボーモント夫人と名乗る一人の女性がいるらしいことが分かってきます。
 ヴィリヤズは複数の事件の影にいる女性こそ、かってのハーバート夫人ことヘレン・ヴォーンではないかと考え、調査を進めることになりますが…。

 脳手術によって「牧神」が見えるようになった少女の娘ヘレンが魔性の力を発揮し、次々と男たちを破滅と死に追い込んでいくという物語です。ヘレンが、序盤で手術を受けた少女メリーとどういう関係なのかはすぐには明かされないのですが、物語の流れから推測できるようにはなっています。
 物語の語り口も独特です。複数の人物や書簡などがつなぎ合わされ、容易に全体像がつかめないようになっています。クラークとヴィリヤズという登場人物が語る部分が多いのですが、この二人を含め、それぞれの人物がどの程度まで情報を知っていて、何を知らないのかがはっきりしません。
 語られる事件の時系列もあまりはっきりせず、全体が靄に包まれたかのような感覚になっていきます。実際、最初の実験の際にもクラークは眠気のため、実験の詳細を見ていないことになっているあたり、作者も意図的に描いているのかもしれません。
 最後までヘレンが具体的にどういう能力を持っているのか、手術を受けたメリーが具体的にどうなったのか、パンの大神がどういう存在なのかについても明かされません。直接的な語りの部分にせよ、書簡などの間接的な表現の部分にせよ、肝心の真相の手前で記述が打ち切られてしまうことが多いのです。
 ただそうした曖昧な表現が、逆に不気味さと気色悪さを高めている面もあります。
 結末のヘレンの最期の場面のインパクトは強烈で、『三人の詐欺師』中の「白い粉薬のはなし」と並び、マッケン作品の白眉といっていいのではないでしょうか。

「内奥の光」
 チャールズ・サリスベリは数年ぶりに旧友のダイスンと再会し話をするうちに「ハールズデン事件」のことを知ります。それはブラック医師が夫人殺害を疑われたものの結局自然死とされ、無実になった事件でした。しかも解剖の結果、夫人の脳髄は人間とは思えない状態になっていたというのです。ひょんなことからブラック医師と知り合いになったダイスンでしたが、事件の詳しい話を聞くまえに医師は亡くなってしまいます。やがて医師の残した手帳を手に入れたダイスンは事件の真相を知りますが…。

 オカルティックな手術を施した結果、何らかの悪しきものに体を乗っ取られてしまった妻を殺害することになった医師を描いた物語です。第三者であるダイスンがその事件を追っていくという推理小説仕立ての作品になっています。
 解剖の結果、ブラック夫人の脳細胞が人間ではないものに変貌しているとわかる部分や、ダイスンが窓から除く夫人の顔を見て驚愕するシーンなど、ところどころでぞっとさせる、恐怖小説の名品です。夫の邪悪な手術にしぶしぶ同意する妻が描かれる部分も非常に不穏ですね。

「輝く金字塔」
 上京してきたヴォーンは、友人のダイスンに相談を持ちかけます。田舎にあるヴォーンの自宅のそばに火打石のような石が並べてあったというのです。しかも見るたびにその配列は変わっていました。折りしも現地では、裕福な農家のトレヴァ家の娘アニーの失踪が話題になっていました。
 地元の人間たちはアニーは妖精にさらわれたのではないかと噂をしていました。ヴォーンの話に関心をそそられたダイスンは現地に飛び調査を開始しますが…。

 古代の民俗学的なモチーフを背景に、邪悪な「妖精」が描かれる作品です。石が表す「ピラミッド」は一体何を表しているのか?
 クライマックスでは邪悪な生き物が明確な形で登場します。曖昧な形で描かれることはよくあるものの、この作品のようにはっきりと実体を持った「妖精」が登場するのはマッケン作品では珍しいのでは。伝奇的要素の濃い佳篇です。

「白魔」
 独自の思想を持つアンブローズ散人を訪れたコトグレーヴは、彼の「悪」に対する認識を聞いて感銘を受けます。例証としてアンブローズが持ち出してきたのは、ある少女の手記でした。そこには、幼いころに出会った「白い人」の話、乳母から聞いたという様々な不思議な話が記されていました…。

 人間ではない魔のものらしい存在に出会ったこと、何やら妖術を使うらしい乳母、そして彼女から聞いたという妖しい昔話や妖術…。現実と幻想が混濁するような少女の日記部分が、人間の悪について議論する二人の男の枠物語で挟まれるという体裁の物語です。
 外枠の物語、少女の手記、少女が聞いた話、と段階ごとの入れ子構造になった物語ですが、奥にいくにしたがって幻想性が増していくという構造。特に少女が乳母から聞いたといういくつかの挿話は、おとぎ話風でありながら、血の出るような妖しさに満ちています。少女の書いていることがどこまで本当なのか、それとも妄想なのかははっきりしないのですが、描かれる幻想世界の雰囲気は素晴らしく、マッケン怪奇小説の傑作の一つといっていいのではないかと思います。

「生活の欠片」
 銀行員エドワード・ダーネルは、妻メアリの裕福な叔母マリアンから、いくらかの小切手をもらいます。夫婦はそのお金で家具を買うことを考え、相談するのを楽しんでいました。そんなある日、メアリは叔母から叔父が若い女と浮気をしているという話を聞きます。これ以上夫と一緒にいられない、ダーネル夫妻と一緒に暮らしたいという叔母の相談を受けたダーネルでしたが、叔母の様子がいささかおかしいことに気がつきます…。

 無理にあらすじを要約すると上記のような話にはなるのですが、実際のところ非常に要約しにくい物語です。
 前半は若い夫婦の日常生活が、経済的な問題を含めて淡々と語られるリアリズム風の展開なのですが、終始、妙な妖気が漂っていたりと、雰囲気は妙なのです。
 例えば、夫婦が使っている女中が、つきあっている男の母親に会うエピソード。特に超自然味はないようなのですが、その母親が豹変する箇所など、かなり不気味です。
 淡々とした話が動き出すのは、叔母マリアンが実際に夫婦に会いに来るあたりから。本格的に物語の空気が変わってきます。
 叔母が語っていた叔父の浮気の証拠だという話がすでにしておかしいのですが、叔母が新興宗教のような紙片を落としていったり、叔父が現れ叔母について語るなどして、違和感は最高潮に達します。
 しかし逆にダーネルは、古い書物に耽溺し、自らのルーツを振り返りはじめるなど、様子が変わっていきます。そしてそれを受け入れていく妻メアリ…。
 明確な解釈や真意は示されないものの、読者に居心地の悪さを覚えさせるような作品になっています。
マッケン作品の中で最も「難解」な作品といってもいいのではないでしょうか。



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アーサー・マッケン『アーサー・マッケン作品集成2 三人の詐欺師』(平井呈一訳 沖積舎)

「赤い手」
 文士のダイスンと友人のフィリップスは、夜の散歩中に、男の死体を発見します。死体のそばには凶器らしき古代の石斧が落ちており、近くの塀にはチョークで謎の符丁が描かれていました。死体の身元は医師のタマス・ヴィヴィアンであることが判明します。
 ヴィヴィアンの死体の下からはナイフが発見されたものの、それが使われた形跡はありません。しかも彼が持っていた手紙は妙な書体と暗号文のような文章が書かれていました。奇妙な殺人事件に関心を惹かれたダイスンとフィリップスは事件を調べ始めますが…。

 『三人の詐欺師』にも登場するダイスンとフィリップスが、奇怪な殺人事件の真相を探るという、ミステリ的な要素の強い作品です。先史的な石器や記号が登場するなど、民俗学的なモチーフも強いですね。
 割と真っ当に犯人探しをする物語で、ちゃんと犯人も捕まります。しかも犯人探しにはシャーロック・ホームズ的な名推理(?)も使われるという趣向。ただ、一番面白いのは犯人が捕まってからのその告白部分で、そこで一気に伝奇的な展開になるのはマッケンならではでしょうか。

『三人の詐欺師』
 ロンドンで暮らす有閑紳士ダイスンは、ある日通りすがった男が落としていった金貨を拾います。その金貨は、幻と言われるティベリウス金貨でした。その事件を発端に、ダイスンは友人フィリップスともども不思議な事件の話を耳にすることになりますが…。

 ロンドンで二人の紳士が出会う不思議な事件を、枠物語の形で描いた連作短篇集です。ダイスンとフィリップス(主にダイスン)が、街中で出会った男女から不思議な話を聞く…というのが大まかな構成になっています。エピソードは、明確な怪奇小説でないものも混じっていますが、どれも妖しさにみちた話ばかりです。
 そもそも、エピソードを語る男女たちが、そろいも揃って「胡散臭い」のです。そしてそれらの話を聞くダイスンやフィリップスも、どこか真面目に取り合っていないような態度を取っており、この作品自体をシリアスに取っていいものかどうか、読者も迷ってくるような感じなのが、何とも不思議な味わいになっています。
 挿話のうち、「黒い石印」「白い粉薬のはなし」の2つのエピソードは、傑作短篇といっていいかと思います。
 「黒い石印」は、古代の石印を見つけた大学教授が古代の人間ならざる種族を追って行方不明になってしまうという話です。「怪物」が直接登場することはなく、仄めかしにつぐ仄めかしで怪奇ムードを高めるという技巧的な作品になっています。
 「白い粉薬のはなし」は、ふとしたことから、謎の薬を飲み続けることになった青年の恐るべき末路を描いた物語。こちらの作品では、かなりグロテスクな描写がありますね。
 怪奇な事件が語られるパートももちろんですが、ダイスンやフィリップスが登場する「日常パート」(といっていいのでしょうか)も、意外と味わいがあります。このあたり、訳者は解説で「ロンドン綺譚」という表現をしていて、なるほどという感じです。何気ない日常部分でも、何やら禍々しさが感じられるのは、マッケンならではというべきでしょうか。



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アーサー・マッケン『アーサー・マッケン作品集成3 恐怖』(平井呈一訳 沖積舎)

第一次世界大戦中に書かれた作品を集めた巻です。

「恐怖」
 ウェールズの西のはずれの片田舎、メリオンで、事故や殺人が多発していました。崖からの転落、沼での溺死、ウィリアムズ家では五人の家族が頭を砕かれて殺されていました。メリオンの住民内には恐怖が蔓延します。時局柄、ドイツのスパイによるものではないかとの噂も流れ始め、やがてそれを浴びると殺人狂になってしまう「Z光線」という殺人兵器の存在を語り始めるものも現れる始末でした。そんな中、姿を見せなくなったグリフィス家の様子を心配した住民たちが彼の家を訪れると、主人は滅多突きで殺され、家の中では家族と居候の画家が渇水死していました。
 死んだ画家セクレタンが残した書き置きを読んだ、知り合いの医師ルイスは、彼らが何者かに襲われて家に篭城していたことを知ります。ルイスは、周辺で起こっていた「恐怖事件」の真相について調査を重ねますが…。

 一地方で起きた大量の事故と殺人。状況も被害もバラバラな事件に共通するものは何なのか? 犯人は人間なのか狂人なのか、それとも超自然的な存在なのか? まったく推測がつかないまま、どんどんと発生していく事件の推移は非常に不気味で、マッケン作品の中でも戦慄度が高い作品になっています。
 特に主人公的な人物は登場しませんが、作者の分身とおぼしいルイス医師がメインの登場人物となって事件を探っていきます。他にレムナントという人物が登場するのですが、こちらは犯人が二重人格の人間ではないかとか、殺人光線のせいではないかとか、ちょっと変わった意見を出す人物として描かれておりなかなか興味深いです。
 超自然的な決着を迎える作品ではあるのですが、当時の戦争や切羽詰った状況と絡んで語られている面もあり、現実的な意味での「恐怖」も描かれています。マッケンの傑作の一つといっていいのではないでしょうか。

「弓兵・戦争伝説」
 戦争をモチーフにした幻想小説・奇跡譚の連作短篇集です。イギリス軍の危機に聖ジョージが弓兵を連れて救援に現れるという「弓兵」、ドイツ軍に包囲されたイギリス人兵士が身を挺して死に天国で酒を振舞われるという「兵隊の宿」、かって殺害した老僧の姿を幻視したドイツ人曹長が命を尾落とすという「聖体顕示台」、甲冑をつけた兵隊の群れを幻視した男がその光景を現実の兵隊の行進と重ね合わせるという「眩しい光」、現実の紛争箇所そっくりに作られた庭で二種の蟻たちが戦争を繰り広げる「小さな民族」、トルコ兵との戦いの中、古代の神々が救援に訪れるという「トロイから来た兵隊」の6篇から構成されています。
どれも短くシンプルな奇跡譚になっていますが、ゴースト・ストーリーの変種的な味わいの「聖体顕示台」、ユーモアもある「トロイから来た兵隊」などが印象に残りますね。

「大いなる来復」
 ラントリサントに奇妙なことが起こっていることを記す記事を見た「わたし」は、現地でいろいろな「奇跡」が起こっていることを知ります。人々の健康状態が改善するのはもちろん、死病にとりつかれた娘が突然回復する、犬猿の仲の人間が和解したりと、その現象は様々でした。
 一部の人間たちは、不思議な鐘の音が聞こえたり、赤い光を目撃したといいます。そしてある日決定的な奇跡が顕現しますが…。

 いわゆる「聖杯」を扱った幻想小説です。ある町に様々な奇跡が起こり、クライマックスではついに「聖杯」が出現するという作品です。そうした不思議な現象に対して、語り手がルポ風に事態を語っていくのですが、語り手の「わたし」は必ずしもこれらの現象を信じているわけではないようなのがポイントでしょうか。最終的にも、語り手はこれらの奇跡がどういうことなのかわからないという形で小説は閉じられています。

 この巻の解説によると、訳者の平井呈一は「恐怖」を高く評価していたようで、「パンの大神」「夢の丘」「恐怖」を三つの代表作としています。



アーサー・マッケン作品集成〈4〉夢の丘
アーサー・マッケン『アーサー・マッケン作品集成4 夢の丘』(平井呈一訳 沖積舎)
 文学を志す青年の彷徨を描いた、幻想的な青春小説です。
 田舎で育った牧師の息子ルシアン・テイラーには、夢想癖があり、山や廃墟を訪れては空想に耽っていました。作家になる夢を持つルシアンでしたが、経済的な問題のために学業を途中で放棄せざるを得ず、たびたび書き物をしながらも、なかなか物にはなりません。ひょんなことから親類が残してくれた遺産が入り、ルシアンはロンドンに下宿を借りて、ひとり創作に打ち込むことになりますが…。

 筋らしい筋はあまりなく、夢想家で作家志望の青年ルシアンの人生とその彷徨とを描いた作品といえるでしょうか。夢想家である主人公の目には、故郷である田舎でも、ロンドンの雑踏でも、そこに幻想的な情景が映りこむのです。小説中でも、主人公の日常的な描写の中に、幻想・空想的な描写が入り混じっており、現実と空想とが切り離しにくい状態で描かれます。かといって主人公ルシアンが完全に「異界」に囚われてしまった人間かというとそういうわけでもなく、経済的な状況であるとか、自分が世間にどう見られているか、という客観的な認識はしっかりと持ってはいるのです。
 小説の前半では、そうした夢想家としての側面と、周囲から見た現実的な自分の評価とのギャップに悩む姿が描かれます。理解がある父親やいとこなどはともかく、隣人たちからの評価はひどいもの。ルシアンが夢見る空想世界とは対比的に、隣人たちは利己的な「俗物」として描かれます。容姿は美人だけれども中身は「俗物」として描かれる隣人の令嬢たちと比べて、農婦の娘である純朴なアニーに、ルシアンは恋をし賛美するようにもなります。
 後半では、ようやく資産を得て、ロンドンで創作に打ち込むことができるようになったルシアンですが、そこでは今度は「孤独」が彼を蝕むことになります。ロンドンの街でもサバトの幻想を見るなど、変わらず夢想家としての性質を発揮するものの、故郷にいたときほどのものはすでにありません。やがて肉体的にも精神的にもルシアンは衰えていってしまうのです。
 客観的な超自然現象はまったく起こらないといっていいのですが、主人公ルシアンの眼が「夢想家」のそれであるため、彼が見る現実がみな幻想的な風景に見える…という類の作品になっています。そこで現れるのは異教的な風景であったり、黒ミサのサバトの風景であったりします。そのあたりの幻想的な描写は作者マッケンの面目躍如といったところでしょうか。
 それと同時に現実に適合できない青年の悩み・苦しみを描いた青春小説としての面もあり、こちらは現代日本でも共感できる読者が多いのではないでしょうか。
 主人公ルシアンの世界が破綻してしまう最終章は圧巻で、最後に、第三者から見たルシアンが客観的に描写されるのが痛々しいですね。
 結末では「溶鉱炉」を使った比喩的な描写が使われるのですが、「溶鉱炉」の比喩は物語の始まりにも使われており印象的です。



アーサー・マッケン作品集成〈5〉秘めたる栄光
アーサー・マッケン『アーサー・マッケン作品集成5 秘めたる栄光』(平井呈一訳 沖積舎)
 舞台はイギリスのラプトンという公立学校(パブリック・スクール)、感受性豊かな生徒アンブローズ・メイリックは、学校生活に馴染めないでいました。成績は問題ないものの、他の生徒との付き合いは悪く、彼の伯父でもある教頭のホーベリからはきつい躾をされていました。彼の慰めは、今は亡き父親とともに見た聖杯の情景を思い返すことでした。
 ある時、ノルマン人の作ったというアーチを見にセルドン寺院に出かけたメイリックは門限に遅れてしまいます。その結果、ホーベリから鞭による体罰を受けてしまいます。直後に決意を固めたメイリックは人が変わったように、成績優秀、スポーツにも取り組む学校の模範生となります。
 しかし数年後、ネリー・フォーランという使用人の娘を連れ出しロンドンに出奔してしまったメイリックは、学校に戻らずにそのまま姿をくらましてしまいます…。

 訳者解説によれば、当時の学校制度を風刺した作品だとのことで、確かにそうした趣は感じられます。主人公以外の生徒や、伯父である教頭ホーベリなど、現実主義者であり「俗物」である印がこれでもかと描かれるのです。
 特に集中的に描かれるのがホーベリなのですが、この人物、出世のことや学校をビジネスとして考える「俗物」ではあるのですが、それなりに善人であり、子どもの教育についてもそれなりに考えている、ある種の「善人」なのです。
 このホーベリが後年に失脚してしまうことになるのですが、風刺小説ではありながら、その描き方が「俗物」が失敗するのを笑いのめす…という感じにはなりません。上にも書いたように、ホーベリが、笑いのめす対象というよりは同情すべき対象として読めてしまうからです。
 画一的な学校教育に反抗するロマンティスト、メイリックと、現実主義者で俗物である他の生徒や教師(特にホーベリ)を対比的に描こうとした作品だと思うのですが、正直、作者の狙いはあまり達成されてはいません。
 年齢が幼いということもあるのでしょうが、主人公メイリックが精神的に幼く、あまり「孤高の存在」だとは感じられないこと。「俗物」であるべきホーベリがそれほど「俗物」には感じられないこと。要するに、作中に存在する「聖・俗」の要素がどちらも中途半端な感が強いのです。
 また、出来事の時系列がバラバラであること、物語にまとまりがないことなども作品の狙いをわかりにくくしています。「聖杯」をめぐるシーンは、流石にマッケン流の美しさが感じられるのですが、この物語の中ではやはり浮いてしまいます。
 ただ、学校という場になじめない少年の自意識を描く部分には味わいがあり、そうした少年小説的な面では面白い作品だとも思います。後半、学校から逃げ出したメイリックが、同行したネリーの生涯を知り、自分の未熟さを知るという流れも悪くありません。
 風刺小説としては失敗作なのでしょうが、部分的には、画一的で個性を押し込めようとする学校制度というものがよく描かれており、そうした面では、現代日本でも通じるところがあり、読者の共感が得られるのではないでしょうか。



アーサー・マッケン作品集成 第6巻 緑地帯
『アーサー・マッケン作品集成6 緑地帯』平井呈一訳 沖積舎)
 連作中篇「緑地帯」と短篇集「池の子たち」を収録しています。どちらも最晩年の作品で、派手な趣向はないものの、細心に綴られた趣のある作品群になっています。

「緑地帯」
 孤独な生活から来るストレスから転地療養を勧められたロレンス・ヒリヤーは、保養地であるポースに滞在することになります。友人も出来て快適に暮らしていたヒリヤーでしたが、現地で起こった女性殺人事件の犯人との関係を疑われ、土地を追われてしまいます。ロンドンに戻ってきてからも、下宿のあちこちで物が破壊されたりと、不可解な事件は続きます。やがて彼は、奇妙な小人を目撃するようになりますが…。

 何らかの邪悪な力に囚われてしまったらしい主人公が、様々な事件に遭遇するという連作中篇です。やがてその正体が「小人」のような存在であることが明らかになっていきます。面白いのは、主人公が憑かれている「小人」が主人公自身には見えないことで、周囲の人間のみに見えているようなのです。
 たびたび、第三者の目から主人公のそばに何者かがいるような描写が積み重ねられていきますが、当人は全く気付いていないというのが不気味です。
 「小人」の正体は最後まで明らかにならず、ただ「忌まわしさ」のみが残るという怪奇小説です。

「池の子たち」は、マッケン晩年の短篇を集めた作品集です。

「ω (オメガ)」
 前半は老紳士マンセル氏のぼんやりとした日常生活の描写、後半は霊媒ラディスロー夫人の降霊会における事件が描かれるという作品です。二つの出来事をつなぐのは、「ω (オメガ)」の文字。降霊会で現れた「ω (オメガ)」の文字は、かってマンセル氏がよく描いていた文字でした。両者の関係がはっきりしないまま幕を閉じるという、奇妙な味の作品です。

「池の子たち」
 メイリックは山を散策している途中、休ませてもらおうと目に付いた家を訪ねますが、奇しくもそこには旧友ジェイムズ・ロバーツが滞在していました。話をする内に、ロバーツは過去に犯してしまった罪を責めるような声を度々耳にしていることを知ります。
 メイリックは、家のそばにある不気味な池がロバーツに何らかの影響を与えているのではないかと考えますが…。

 邪悪な意思を持つ「悪い土地」をテーマとした作品です。

「神童」
 高い教育を受けた青年ジョゼフ・ラストは、知り合いからある少年の家庭教師の職を斡旋されます。資産家であるマーシュ夫妻の息子ヘンリーを教えてほしいというのです。ラストは、美少年であるヘンリーの学習能力の高さに驚き教育の成果に満足しますが、
 ふとしたことからマーシュ夫妻の後ろ暗い部分を知り、衝動的に逃げ出してしまいます。数年後三人の凶悪犯が裁判にかけられたことを聞いたラストは、その三人がマーシュ夫妻とその息子であることを知って驚きます…。

 マッケンお得意の邪悪で忌まわしい秘密が明らかになるかと思いきや、不気味ではありながら、何ともブラック・ユーモアに富んだ展開に。これは読んだ人はびっくりするのでは。「奇談」と言いたくなるような作品ですね。

「生命の樹」
 領主の落とし胤として領地を引き継いだテイロ・モーガンは体が弱く、外にろくに出ることもできない青年でした。しかしテイロは農業に興味を持ち、領地の農地を改革しようといろいろな施策を考えることになります…。

 体の弱い青年が農地改革をする話と思いきや、後半ではその青年の人生が客観的に語られ、物語の裏面が明らかになります。それ自体味わいのある物語なのですが、最後に突如現れる神秘的な描写が、妙な味を添えていますね。

「絵から抜ける男」
 記者である「わたし」は、かって書いた批評文をきっかけに、奇怪な絵を描く画家のマッカルモントと知り合いになります。折しも「小人」による忌まわしい犯罪が世間で騒ぎになっている中、画家は突如失踪を遂げますが…。

 二面性を持つ奇妙な画家を描く物語、といっていいと思うのですが、物語の焦点が奇妙にずれていく面もあり、かなりバランスの歪な作品です。ただ、作品に漂う怪奇ムードは非常に魅力的ですね。
 サブのお話として、ポルターガイストを起こす少年の話が出てきます。こちらも面白いのですが、本筋とはあまりつながらず終わってしまうのは残念。

「変身」
 ブラウン家の子どもたちの保母兼家庭教師として雇われた、色黒の美人アリス・ヘイズ。彼女の有能さを見たスミス家とロビンソン家の母親たちは、彼女に共通の保母として子どもの世話を頼むことになります。子どもたちも彼女になつきますが、子どもたちを連れたピクニックの最中に、子どもの一人が行方不明になってしまいます…。

 いわゆる「取り替え子」を扱った怪奇小説です。子どもが本当に「取り替え」られてしまったのか、家庭教師は一体何者だったのか、はっきりとしたことはわかりません。「取り替え」られてしまった子供の描写は非常に不気味で、マッケンの筆も冴えていますね。
 マッケンの後期作品、日本では知名度があまりないと思うのですが、これはこれで味わいがありますね。もっと読まれてもよい作品群だと思います。



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「幻想文学4 特集A・マッケン&英米恐怖文学事始」(幻想文学会出版局)
 マッケンの短篇やコラムの翻訳、マッケンについてのエッセー、評論など、盛り沢山の特集号です。日本語で読めるマッケン関連本では、未だにこれが一番では。

 直接マッケンに接した著者による、マッケンの人柄を描くエッセー「アーサー・マッケン回想」(ロバート・ヒリヤー)が興味深いです。とくに、アメリカの女流作家に招かれるものの、その作家の目当てはマッケン自身ではなく、当時有名だった彼の義兄弟と姪だった…というエピソードは面白いですね。
 ちなみに、マッケンの義兄弟はT・F・ポウイス(1875-1953)、姪はシルヴィア・タウンゼント・ウォーナー(1893-1978)です。

 この号に収録されたマッケン作品より、短篇「地より出でたる」(南條竹則訳)とコラム「帰ってきた兄の話」(保坂泰彦、並木二郎訳)も紹介しておきます。

「地より出でたる」
 ウェールズの海岸地方に現れる邪悪な子供たちを描く作品です。その地方では手のつけられない悪さをする子供たちがいることが語られていました。語り手は、彼自身も現地に滞在したことがあることから、噂は根も葉もないのではと考え、現地の人間も噂を否定しますが、噂は一方的に膨れ上がっていきます。語り手は、友人モーガンが異様な光景を目撃したことを聞きますが…。

 語り手はおそらくマッケン本人で、序盤では彼自身の作品「弓兵」が異様な反響を呼んだことについても書かれています。
 今でいうところの「都市伝説」的な題材を扱っていて、短めながら戦慄度は高い作品ですね。

「帰ってきた兄の話」
 舞台中のグリマルディのもとを訪ねてきた二人の男。それは十数年も行方不明だった船乗りの兄ジョンでした。再開を喜ぶグリマルディでしたが、目を離したすきにジョンは姿を消してしまいます。
 知り合いや母親に先に会いに行ったのかと、彼らの家を回るグリマルディでしたが、一足違いで兄は行ってしまった後でした…。

 19世紀初頭の俳優グリマルディに関する奇談を描いたコラム。行方不明だった兄が突然現れ、再び行方不明になってしまうという奇談です。兄が本物だったのか、連れの男は何者だったのかなど、不思議なことがそのままに終わってしまうという、奇妙な味の話になっています。

 マッケンの邦訳作品のガイドである「[ブックガイド]マッケンを読む」、南條竹則氏による未訳のマッケン作品のガイド「[ブックガイド]未訳書篇」も参考になります。主要作品は大分訳されてると思うのですが、未訳のものもまだ結構あるのですね。



架空の町 (書物の王国)
アーサー・マッケン「N」(高木国寿訳東雅夫編『書物の王国1 架空の町』国書刊行会 収録)
 好事家であるペロット、アーノルド、ハーリスの三人組は、40~50前のロンドンについてあれこれ話を交わしていました。ペロットは友人からストーク・ニューイントンにあるという、景色の素晴らしいキャノン公園の話を聞いたと言いますが、ハーリスによれば、そんな場所はないというのです。
 アーノルドはふと手に取ったハンポール牧師の古い本の中に、著者が友人の部屋から都会とは思えない幻想的な光景を見せられる箇所を発見し驚きます。アーノルドは実際の現地を調べてみようと考えますが…。

  都会の窓から異世界を垣間見るという、怪奇幻想小説です。都会の真ん中で、ある特定の人間に特定の間だけ見える異世界のような光景を描いた幻想小説です。「異世界」とはいっても、マッケンの他作品に表れるような邪悪なものではなく、ユートピアのような描かれ方がされています。
 マッケンお得意の技法で、友人からの聞き語り、古書の中の描写など、間接的に異世界の存在が仄めかされていきます。結局のところ、主人公の三人は誰もその異世界を見ることができない…というのも、奥ゆかしいところですね。


 ついでに、スティーヴン・キングがアーサー・マッケンの「パンの大神」より影響を受けて書いたという短篇もついでに紹介しておきましょう。


夜がはじまるとき (文春文庫)
スティーヴン・キング「N」(安野玲訳『夜がはじまるとき』文春文庫 収録)
 精神科医ジョニー・ボンサントは「N」という強迫性障害の患者を診ることになります。彼は数を数えること、物の秩序を整えることに対して、異様な強迫観念を持っていました。その症状の原因となったのは、ある場所にあった複数の石を目撃したことだというので最初は八つに見えた石がよく見ると七つになっており、カメラを通して見ると再び八つに見える。物を数えたりと、秩序だった行動をすることにより、その岩が七つになってしまうのを防いでいるというのです。岩の数が奇数になってしまうと、そこからこの世の世界のものではない何かが出てきてしまうと…。

 ストーンサークルのような岩と異次元の怪物、それに強迫神経症をからませたという、ユニークなホラー小説です。全体を読むと、マッケンというよりは、ラヴクラフト、またはクトゥルー神話的な味わいが強いですね。作中でも実際に「くとぅん」という、クトゥルーを思わせる単語が出てきます。
 作品の構造は入れ子状になっており、このあたりは確かに「パンの大神」を思わせるところもありますね。医師ジョニーが死んだことを知らせる手紙を、その妹シーラがジョニーの親友チャーリーにあてて書き出すというところから始まり、ジョニーの診察記録が続きます。
 そしてその中で、さらに患者「N」が自らの体験を語り、それに医師が影響されてゆく…という体裁になっています。
異次元の怪物も直接的には描かれず、ちらりと姿を覗かせるにとどめているのも、マッケン的といえますでしょうか。
 古典的な骨法の怪奇小説として、傑作短篇といっていい作品かと思います。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

怪奇小説の伝統  ブラックウッド他『怪奇小説傑作集1英米編1』
怪奇小説傑作集 1 英米編 1 [新版] (創元推理文庫)
 刊行以来、我が国の怪奇小説の基本図書となってきたアンソロジー『怪奇小説傑作集』。その第一巻『怪奇小説傑作集1英米編1』(ブラックウッド他 平井呈一訳 創元推理文庫)には、英米の怪奇小説の巨匠の作品や名作が集められています。以下、それぞれの内容について紹介していきたいと思います。


エドワード・ブルワー=リットン「幽霊屋敷」

 ロンドンのどまんなかに幽霊屋敷があるという話を友人から聞いた「余」は、屋敷の持ち主J-氏にかけあい、怪奇現象を見極めようと下男のF-と愛犬とともに、屋敷に泊り込むことになります。
 しかし、屋敷に入った直後から怪奇現象が相次ぎ、下男は恐怖のあまり飛び出していってしまいます…。

 いわくのある幽霊屋敷に泊り込んだ男が様々な怪奇現象に遭遇する…という正統派の幽霊屋敷小説です。この怪奇現象がかなり派手で、霊的な存在が姿を現すだけでなく、ポルターガイスト的な現象も付随して発生します。しかもどうやら物理的な力まで発揮するようで、事実、愛犬は骨を折られて殺されてしまうのです。
 後半は屋敷のとある部屋に元凶があるのではないかと考えた「余」が、あるものを発見し、そこからはオカルト的な展開になります。超自然的な原因ではあるものの、怪異に人の意思が介在しているという意味で、疑似科学的な面もあり、「ゴースト・ハンター」ものの先駆的な作品と捉えることも可能でしょうか。


ヘンリー・ジェイムズ「エドマンド・オーム卿」

 美しい母子、マーデン夫人とその娘シャーロットと知り合いになった「わたし」はシャーロットに恋をするようになります。ある日教会で、若い青白い男がそばにすわったのを見てマーデン夫人は顔色を変えます。
男を怖がる夫人を問い詰めると彼女は理由を話します。その男エドマンド・オーム卿は、かってマーデン夫人が婚約を破棄した後に自殺してしまい、その後復讐のために、シャーロットに恋をする男が現れると、その場に現れるのだと…。

 かって男を死に追いやった夫人と、その娘に恋する男にしか見えない幽霊という、ユニークなテーマのゴースト・ストーリーです。見える人たちにとっては、生者と区別がつかないぐらい実体を持った霊というのが、面白いところですね。


M・R・ジェイムズ「ポインター氏の日録」

 伯母と暮らすデントン氏は、古書でポインター氏の日録を入手します。本に貼り付けてあった珍しい柄の布を気に入った伯母は、その模様を再現してカーテンを作りたいと話し、デントン氏もそれに賛同します。
 しかし、出来上がったカーテンをかけた部屋にいると、何か落ち着かない気分になるのにデントン氏は気がつきます…。

 古書や古物を媒介に怪異が起こるという、M・R・ジェイムズお得意のテーマによる怪奇作品です。


W・W・ジェイコブス「猿の手」

 レイクスナム荘のホワイト家を客として訪れたモリス曹長は、インドで手に入れたという猿の手について話します。行者がまじないをかけ、三人の人間に三つの願いが叶えられるようになっているというのです。猿の手を欲しがるホワイト氏に、モリスはそれは使わないようにと忠告します。無理に猿の手を手に入れたホワイト氏は、息子のハーバートの提案に従い二百ポンドが手に入るように願ってみますが…。

 「三つの願い」をテーマにした作品の中で、もっとも名の通った作品といってもいいでしょうか。読んだことがなくても何となく話を知っている人も多いかと思います。
 作中で描かれる三つの願いそれぞれが、物語の進行と有機的に結びついているという点で、完璧に近い構成といってもいいぐらいです。
 前の持ち主がすでに死んでいるというモリス曹長の話、モリス自身も猿の手によって不幸な事態に出会っているであろうことを暗示する序盤からして、素晴らしい書き出しになっています。また、結末の寂寥感あふれる余韻も良いですね。怪奇小説史に残る名作といっていいかと思います。


アーサー・マッケン「パンの大神」

 レイモンド医師が孤児の少女メリーに行った脳手術の結果、少女は白痴となってしまいます。数十年後、ヴィリヤズは資産家だったはずの友ハーバートが浮浪者に落ちぶれているのを知ります。彼は結婚した素性の知れぬ女ヘレン・ヴォーンによって破滅させられたというのです。折りしも社交界では貴顕紳士の自殺が相次いでいました。彼らの自殺の影に一人の女が関係していることを察知したヴィリヤズは、女の正体について調査を開始しますが…。

 脳手術により「パンの大神」を見てしまった少女の娘が、長じて男たちを自殺に追い込んでいくという怪奇作品。書簡や間接的な証言によって物語が構成されており、肝心の妖女へレンが具体的に何を行っていたのか、という部分に関しては曖昧になっています。
 ただ、そこが逆に想像力をかきたてるようにもなっていて、その書きぶりがいい方向に作用している作品でしょうか。


E・F・ベンスン「いも虫」

 イタリアのカスカナという別荘に滞在することになった「ぼく」は、二階を借りている知人のスタンリ夫妻が、ある寝室をあき部屋にしているのを不審に思っていました。深夜目を覚ました「ぼく」はあき部屋に、光る大きないも虫が大量にいるのに気がつきます…。
 いも虫の幽霊という、ユニークな題材のゴースト・ストーリーです。その気色悪さだけでなく、「病」という形で人間の肉体に害をなすという意味でも、非常におぞましい話になっています。


A・ブラックウッド「秘書奇譚」

 雇い主である社長サイドボタムの命令で、社長のかっての相棒ガーヴィーのもとに書類を届けることになった秘書ジム・ショートハウス。用向きを済ませたジムはしかし、列車を逃してガーヴィーの屋敷に一泊を余儀なくされます。
 ジムは、だんだんと、ガーヴィーの様子がおかしくなってくるのに気がつきますが…。
 明らかに様子のおかしい狂人との一泊を余儀なくされると言うサイコ・スリラー作品。主人公は無事に帰ることができるのか?
 怖い話ではあるのですが、クライマックスのシーンでは、どこかブラック・ユーモア味もありと、妙な味わいの作品ではありますね。


W・F・ハーヴィー「炎天」

 絵かきのジェイムズはある暑い日に、ふと着想を得てスケッチを描きあげます。それは裁判で被告席にいる太った犯人を描いたものでした。散歩に出たジェイムズは意識せず見つけたアトキンソンという石屋の店に入っていきます。
 そこで作業をしている店の主人は、自分が書いた絵の男にそっくりでした。しかも彼が作っている墓碑銘には自分の名前が掘ってあったのです…。

 奇妙な暗示と暗合が積み重ねられて構成された、非常に技巧的な作品です。結末がどうなるのかは明示されていないものの、それまでの暗示的な描写で惨劇が起こるであろうことが読者にはわかるようになっています。
 「予知」を扱ったSF的な解釈も可能な作品ですね。


レ・ファニュ「緑茶」

 碩学マルチン・ヘッセリウス博士は、人柄もよく教養もあるジェニングズ師と知り合います。彼は何か問題を抱えているようで、演説の最中にいつも途中で動揺し最後まで演説をできないというのです。
 やがて彼が告白するには、数年前から黒い小猿が目の前に現れ、自分の邪魔をするといいます。小猿は彼自身にしか見えないのです。しかもただ邪魔をするだけでなく、最近では自殺をそそのかす言葉まで話しはじめたというのですが…。

 緑茶の飲みすぎから、小猿の幻覚を見るようになった男を描く物語です。後ろ暗いところもない善人がなぜ邪悪な幻覚を見るのか? 精神分析的な解釈やキリスト教的な寓意など、いろいろな解釈が可能な名作短篇です。

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最近読んだ本(評論・ガイドブックを中心に)
 最近読んだ評論・ガイドブック本について、まとめてレビューを上げておきたいと思います。


ゴシック小説をよむ (岩波セミナーブックス (78))
小池滋『ゴシック小説をよむ』(岩波セミナーブックス)

 イギリスで生まれた「ゴシック小説」について、生まれた背景や、主だった「ゴシック小説」の紹介、その特徴について丁寧に語った本です。
 ホレス・ウォルポールの『オトラント城』からゴシック小説は生まれた…と説き起こすのは定番なのですが、そういう作品が生まれ、受け入れられた土壌がその時代のイギリスにはあるとして、当時の文化背景を丁寧に解説していく部分が非常に分かりやすいです。
 具体的には、次のような点が重要だと書かれています。文化では比較的後進国だったイギリスが「グランド・ツアー」などにより、大陸の先進国フランスやイタリアの異文化を輸入したこと、特にイタリアへ入国する際のアルプス山脈を通じて大自然の厳しさ・美しさを知ったこと。クロード・ロランやサルヴァトール・ローザの絵画などの人工的な自然風景、いわゆる「理想風景」を通じて「ピクチャレスク」という考え方が普及したこと、結果として、建築や庭園にそうした「ピクチャレスク」趣味が生まれてきたこと、などがゴシック小説誕生の下地にはあったと言います。
 ゴシック小説の背景として、そうした文化的背景があった…ということは何となく知ってはいたのですが、この本でようやく納得の行く形の説明に出合えた気がします。この本、講演が元になっているため、話し言葉で書かれていて、それも読みやすさの一因でしょうか。
 『オトラント城』を初めとして『イギリスの老男爵』『マンク』『ヴァテック』『放浪者メルモス』『ケイレブ・ウィリアムズ』『フランケンシュタイン』『ウィーランド』『悪魔の霊液』などの代表的なゴシック小説の紹介のほか、ゴシックの影響が見られる主流文学についてや、アメリカやフランスなど、他国への影響などについても語られています。特にバルザックやメリメについての影響を語ったフランスの章は面白く読めますね。
 非常に読みやすく、ゴシック小説について一通りの知識が得られる優れた本です。「ゴシック小説」入門として、日本語文献の中でも最もわかりやすい本ではないかと思います。



アメリカ・ゴシック小説―19世紀小説における想像力と理性
ドナルド・A・リンジ『アメリカ・ゴシック小説 19世紀小説における想像力と理性』(古宮照雄ほか訳 松柏社)

 アメリカのゴシック小説について書かれた研究書です。専門書ではありますが、丁寧な記述で読みやすい本になっています。
 アメリカにおいてゴシック小説がどう発展を遂げていったのかが丁寧に書かれています。イギリスやドイツのゴシック小説が一方的に輸入されていた段階から始まり、「アメリカ小説の父」と呼ばれるチャールズ・ブロックデン・ブラウンによるアメリカ・ゴシック小説の実作の出現、そしてその影響、作家単位では、ブラウンの他、ワシントン・アーヴィング、エドガー・アラン・ポー、ナサニエル・ホーソーンにスポットが当てられています。なかでもチャールズ・ブロックデン・ブラウンの評価が非常に高いようです。
 アメリカの作家だけでなく、彼らに影響を与えたイギリスやドイツの作家についても詳しく記述されているのが特徴です。ブラウン、ポオ、アーヴィング、ホーソーンの作品に具体的に影響を与えている作家や作品について細かく見ていくのは、非常に実証的ですね。ポオの章を例にとると、「メッツェンガーシュタイン」には、ウォルポール『オトラント城』、「約束ごと」にはアン・ラドクリフ『ユードルフォの謎』、「陥穽と振子」にはマチューリン『放浪者メルモス』が影響を与えているとしています。
 また、ポオにはウォルター・スコット経由でホフマンの影響があるのではないかとか、ポオはフケー『ウンディーネ』を高く評価していたとか、そのあたりの影響関係についても詳しく書かれています。
 ウォルポールやラドクリフ以外の「群小」のゴシック作家・作品についても多く触れられますが、それらに対してもあらすじやテーマを含め丁寧に解説がされるので、非常に参考になります。
 アメリカ・ゴシック小説についての本ではありますが、本家のイギリス・ゴシック小説についても一通り解説がされていますので、ゴシック小説一般の入門書としても読めると思います。また、日本語文献では情報の少ない、チャールズ・ブロックデン・ブラウンについてまとまった情報が得られるという意味でも貴重な本です。



アメリカン・ゴシックの水脈
八木敏雄『アメリカン・ゴシックの水脈』(研究社出版)

 アメリカにおけるゴシック小説についての研究書です。開拓時代の回想録や記録などの「アメリカ文学」以前から説き起こし、C・B・ブラウン、ワシントン・アーヴィング、フェニモア・クーパー、ポー、ホーソーン、メルヴィルらの作品におけるゴシックについて論じています。
 ユニークなのは、開拓時代の回想録や記録などを取り上げ、小説ではない文章に「ゴシック」の要素を見て取るところです(中には魔女狩りに関する記録も)。さらにアメリカの建国事情(移民したピューリタンが中心となって作った国であることなど)からして、ゴシックを受け入れやすい余地があったこと、アメリカ文学史では、イギリスのそれとは異なり、文学史上の主要な位置をゴシック的な要素を持つ作品が占めていることなど、読んでいてなるほど、という指摘が多いです。
 ポーやホーソーンのゴシック的な面を見ていく章も興味深いですが、個人的に一番興味を持って読んだのが、C・B・ブラウンを中心に展開される「アメリカン・ゴシックの誕生」の章。C・B・ブラウンはイギリスのゴシック小説の強い影響からアメリカン・ゴシック小説を生み出し、それがアメリカ文学の母体となっていく、というのは興味深いですね。 具体的なタイトルで言うと、イギリス・ゴシック小説の中でも「変り種」とされる、ウィリアム・ゴドウィン「ケイレブ・ウィリアムズ」が、C・B・ブラウンの『ウィーランド』につながるというのです。
 全体に論理的に構築された感のある本で、アメリカ・ゴシック作品を考える上で非常に示唆に富む本ではないかと思います。ただ、著者の語り口にかなり癖がある(冷めているというか、ちょっとシニカル?)ので、そこが気になると読みにくいと感じる人もいるかもしれません。



クトゥルー神話大事典
東雅夫『クトゥルー神話大事典』(新紀元社)

 タイトル通り、クトゥルー神話に関する事典です。何度も版を重ねていて、本書はその最新版になりますが、かなり面目を一新しています。事典部分は、用語と作家の項目が一緒に並んでいます。非常に整理されていてわかりやすい印象です。
 神話作品に登場する固有名詞やアイテム、神話作品を書いた作家の作品概説や作家自身の経歴や代表作、ダンセイニ、マッケン、ブラックウッドなど、ラヴクラフト自身が影響を受けた作家の紹介などもあります。
 巻末には、ラヴクラフトの生涯を語った「異次元の人」、ラヴクラフトと神話作品の拡がりについて語った「それからのクトゥルー神話」、日本におけるラヴクラフト作品の受容と日本における展開を語った「ラヴクラフトのいる日本文学史」も収められています。
 特に「ラヴクラフトのいる日本文学史」は、ラヴクラフトと夢野久作との比較から始まり、乱歩によるラヴクラフト紹介、本格的な翻訳書の登場、日本における神話作品の展開など、要領よくまとめられており、非常に参考になります。
 ラヴクラフト及びクトゥルー神話に関しては、この『クトゥルー神話大事典』と『All Over クトゥルー クトゥルー神話作品大全』(森瀬繚 三才ブックス)の2冊があれば、大抵のことは足りるんじゃないでしょうか。



路地裏の迷宮踏査 (キイ・ライブラリー)
杉江松恋『路地裏の迷宮踏査』(東京創元社キイ・ライブラリー)

 海外ミステリについてのエッセイ集です。作家自身の人生や、有名人同士の意外なつながり、著者自身による大胆な推測など、取り上げられている話題が本当に幅広く、楽しんで読める本になっています。
 全体に古典的な作家・作品がメインになっている感じでしょうか。ただ古典的な作家が話題に取り上げられている場合でも、思いもかけなかった解釈や意見が出されていて、なるほど!と思わせる章が多いです。
 個人的に面白く読んだのは、パット・マガー作品の特徴について語った「パット・マガーの『アメリカの悲劇』」、ウッドハウス作品が後続作家に与えた影響について語る「ウッドハウスという鋳型」、ストリブリングの社会問題的な作品について語る「ストリブリング、交わらない線」などでしょうか。
 いわゆるプロパーのミステリ作家だけでなく、ジェイムズ・ヒルトン、O・ヘンリー、ヴィッキイ・バウムなど、隣接領域の作家についての章もあり、このあたりも非常に面白く読みました。
 取り上げている作家・作品について、ある程度の知識が前提とされている章もあり、そういう意味ではあまり初心者向けではないのかもしれません。ただ、この作家はこんな風にも読めるのかとか、芋づる式に読書の関心を広げてくれるような本で、ミステリファンに限らずお勧めしたいところです。



ミステリの辺境を歩く
長谷部史親『ミステリの辺境を歩く』(アーツアンドクラフツ)

 邦訳された海外小説の中から、ミステリ要素の強いもの、ミステリの萌芽を含むものなど、36作を紹介したブックガイドです。
 ジェーン・オースティン、ヴォルテール、バルザックなど、ミステリジャンルが生まれる前の古典文学作品の中でミステリの萌芽が見られる作品、コンラッド、フォークナー、エリザベス・ボウエンなどの現代作家におけるミステリ要素が強い作品、はてはウーグロン、シャギニャンといった日本では知名度の低い作家の作品など、従来ミステリとは認識されていなかった作品をとりあげています。その作品自身の紹介のほか、作家自身の生涯や別の作品などについても、それぞれ紹介されているのが特徴です。
 個人的に面白く読んだのは、ゴシック・ロマンスとの関係を軸にした「ジェーン・オースティンの『ノーサンガー・アベイ』」、少年探偵の元祖と言える童話作品「E・ネズビットの『宝さがしの子供たち』」、モームの甥が実在の幽霊船事件に材をとったという「ロビン・モームの『十一月の珊瑚礁』」、実際に起こった冤罪事件を擁護するという「ヴォルテールの『寛容論』」、暗号解読が登場するミステリ要素の強い「ジュール・ヴェルヌの『ジャンガダ』」、人間と動物の権利について描かれたSF味の強い「ヴェルコールの『人獣裁判』」の賞などでしょうか。
 有名な作家も、日本では知名度のあまりない作家も、それぞれの紹介が非常に詳細に触れられており、参考になりますね。ただ、有名作家はともかく、そうでない作家の作品に関しては、取り上げられた作品それ一冊しか邦訳紹介されていないことも多く、本の入手に関しては難しいものも多いようです。



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高井信『日本ショートショート出版史 ~星新一と、その時代~』(ネオ・ベム)

 星新一がデビューした1957年から亡くなった1997年までを中心に、日本におけるショートショート関連書籍を編年体で紹介していくという面白い本です。
 日本における唯一のショートショート専門家(?)である高井さんの労作です。ショートショートであればジャンルもSFにこだわらず、多くの分野の本が取り上げられています。非常にマイナーな部類の本が沢山取り上げられているのが特徴で、ブックガイドとしても有用な本といえますね。
 叢書やシリーズについても触れられており、出版史としても面白く読めます。
またこの本の魅力の一つとして膨大な書影が上げられます。あとがきによれば画像の数は1000枚を超えているそうです。怪奇・幻想系の本についても多く取り上げられています。 この本、著者の高井さんによる自費出版(オンデマンド出版)なのですが、ショートショートや海外短篇小説に関心のある人にはとても面白い本だと思います。



フィクションの中の記憶喪失 (世界思想ゼミナール)
小田中章浩『フィクションの中の記憶喪失』(世界思想社)

 タイトル通り、小説や演劇や映画などのフィクションに登場する記憶喪失についてまとめた本です。
 研究書ではなくて、あくまで主眼はフィクションにあり、その題材についての「記憶喪失」について語られています。古典的な小説や映画に始まり、ウィリアム・アイリッシュやラヴクラフト、果ては韓流ドラマにまで言及されます。個々の作品のあらすじがしっかり書かれており、記憶喪失ものブックガイドとしても使えそうです。



キリスト教と死 最後の審判から無名戦士の墓まで (中公新書)
指昭博『キリスト教と死 最後の審判から無名戦士の墓まで』(中公新書)

 キリスト教における死生観について、非常にわかりやすくまとめられている本です。キリスト教における天国と地獄、煉獄など、概念的なものだけでなく、疾病・災害・処刑・葬儀・モニュメントなど、死にかかわる様々なトピックが語られていて参考になります。 著者はイギリス史が専門ということで、イギリスの事例が中心になりますが、他の国との比較、現代日本との比較などもされています。
どの章も興味深いのですが、やはり白眉は一章「キリスト教の来世観」と二章「幽霊の居場所」でしょうか。
 「キリスト教の来世観」では、キリスト教において来世がどう考えられていたかを、天国と地獄、煉獄、往生術などを中心に解説されています。面白いのはカトリックとプロテスタントでも来世についての考え方がかなり異なること。
 「最後の審判」が行われるまで死者の魂はどこにいるのか? ということについても、宗派によって考え方がかなり違うようです。
 「幽霊の居場所」では、キリスト教において幽霊がどう捉えられていたのかについて語られています。幽霊=悪魔説や、煉獄が否定されたプロテスタントの幻覚説など、幽霊といえども、宗教的に理屈の通った解釈がされているのだなあと、思わされます。
キリスト教において「死」や「神」や「来世」がどう考えられていたのかがコンパクトにまとめられており、欧米の怪奇小説やファンタジー小説などを読む際にも、非常に参考になる本だと思います。論旨も明快で読みやすく、お薦めしたい本ですね。

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イーディス・ネズビットの魔法世界
 昨年末から集中的に、イーディス・ネズビット(1858-1924)の作品を読んでいました。ネズビットはイギリスの作家。児童文学・ファンタジーの祖ともいうべき作家で、名作をたくさん残しています。〈砂の妖精〉シリーズ三部作の『砂の妖精』『火の鳥と魔法のじゅうたん』『魔よけ物語』とタイムトラベル二部作『アーデン城の宝物』『ディッキーの幸運』、長篇『魔法の城』に関しては既にこのブログでも紹介していますので、その他の邦訳作品をまとめて紹介しておきたいと思います。


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イーディス・ネズビット『魔法!魔法!魔法! ネズビット短編集』(八木田 宜子訳 講談社青い鳥文庫)

 「魔法と恋」をテーマにした作品を集めたファンタジー短篇集です。
 職業紹介所で紹介されて王様になる少年を描いた「キング、募集中」、日曜日だけ美人になる呪いをかけられたプリンセスを描く「日曜日だけ美人」、プリンセスのための寄宿学校から誘拐事件が起こる「プリンセスたち失踪事件」、願いのかなう魔法のリンゴを手に入れた青年の物語「魔法のリンゴと白い馬」、元王族のエレベーター会社の跡取り息子がプリンセスに恋をする「エレベーター=ボーイはだれ?」、魔法使いによっておろかさを与えられたプリンスとみにくくされてしまったプリンセスが恋をするという「魔法使いの心臓」の6篇を収録しています。

 基本的には、ファンタジーの約束事を逆手にとって捻ったりおちょくったりするタイプのお話が多いです。王や女王が職業紹介所で斡旋される「キング、募集中」や、王位を追われた王が機械会社を設立してしまうという「エレベーター=ボーイはだれ?」などは、非常にモダンなファンタジーになっています。
 「エレベーター=ボーイはだれ?」では、主人公の青年が身分違いの恋をした罪で死刑を宣告されてしまいます。しかし青年は「不死身の心臓」を持っているという設定なので、何度殺そうとしても殺せない…という何ともシュールな展開で、モダンであるとともに面白い物語になっていますね。

 どの短篇にもユーモアがあふれているのも特徴ですね。「日曜日だけ美人」では、日曜日だけ美人になるという呪いをかけられたヒロインが登場しますが、このヒロインのお相手が日曜日だけみにくくなる呪いをかけられたプリンスという、ユーモラスな設定です。
 収録作はモダンな印象が強いものが多いなか、古典的な印象を与えるのが「魔法のリンゴと白い馬」
 運探しの旅に出た青年が手に入れたのは、何でも願いが叶うという魔法のリンゴ。しかしそれを手に入れた青年が故郷へ戻ると、長い時間が経っており、家族も恋人も既に死んでいた…という話です。
 モダンで、時折パロディ的な要素もはさみながらも、物語の面白さはしっかり味あわせてくれるという点で、非常に面白いファンタジー作品集になっています。



ドラゴンがいっぱい! (講談社青い鳥文庫)
イーディス・ネズビット『ドラゴンがいっぱい!』(八木田宣子訳 講談社青い鳥文庫)

 魔法の本から飛び出したドラゴンを退治しようとする「本からドラゴンが…」、生きものの大きさが独自である島に邪悪な紫色のドラゴンが現れるという「紫色のドラゴン」、鍛冶屋の一家が住む廃墟になった古城の地下牢にドラゴンが現れるという「地下牢のドラゴン」、魔法使いの父親によりドラゴンによって守られた島に囚われたプリンセスを描く「うず潮の島のドラゴン」、いとこによって王国を奪われてしまったプリンセスのいる国がドラゴンに襲われるという「火をふくドラゴン」、ありとあらゆる大きさのドラゴンが国中にあふれるという「国じゅうがドラゴン」、最後のドラゴンを自分の剣術で倒したいと考えるプリンセスがドラゴンのもとに向かうという「最後のドラゴン」の7篇を収録しています。

 収録作すべてがドラゴンをテーマにした作品なのですが、それぞれ一捻りがされており、どれ一つとして単なるドラゴン退治のお話になっていないところが凄いですね。
 なかでも面白いのは「紫色のドラゴン」「うず潮の島のドラゴン」「国じゅうがドラゴン」などでしょうか。

 「紫色のドラゴン」は、ロタンディアという島国が舞台。この島ができたときの影響で、この国で生まれる動物は、ほかの国とは違った大きさで育つのです。モルモットはゾウぐらいの大きさ、ゾウは逆にモルモットぐらいの大きさ、ウサギはサイぐらいの大きさ、という具合。
 ここに紫色のドラゴンが現れるのですが、邪悪なドラゴンを利用しようと考えたプリンセスのおじは、プリンセスをドラゴンの生贄にしようと考えます…。
 物語序盤に、この島国の由来や動物の大きさがなぜ他の国と違うかが語られます。単なるファンタジー的な舞台設定だと思って読み進むと、後半とんでもない展開に。ものすごい伏線であるのみならず、奇想に満ちたアイディアで唖然としてしまいます。

 「うず潮の島のドラゴン」では、魔法使いである父親により島に幽閉されてしまったプリンセスが描かれます。彼女はドラゴンとグリフィンに守られており、彼女を救い出せる男が現れるまで、年をとらないというのです。勇敢な少年ナイジャルはプリンセスを救い出そうと考えますが…。
 少年ナイジャルは非常に賢いという設定なのですが、プリンセスを救い出すためには数学的な問題を解く必要があるというユニークな展開です。
 「もし、うず潮がとまり、潮が引くのが二十四時間に五分間で、それが二十四時間ごとに五分間ずつ早くなり、また、ドラゴンが毎日五分間ずつねむり、それが毎日三分間ずつ遅くなるとすると、いったい何日めに、そしててその日の何時に、潮が引くのがドラゴンがねむるより三分間早くなるか?」
 読んでいて笑ってしまうような展開で、しかも少年が賢いといってもそれほどではないという描写があるのが楽しいですね。

 「国じゅうがドラゴン」では、突然国中に大小さまざまなドラゴンが現れ、人々に害をなします。少女エフィーと兄のハリーは、ドラゴンを倒してもらおうと、英雄セント=ジョージを復活させようとしますが…。
 とんでもない設定のドラゴン小説です。何しろ冒頭でヒロインの目の中に虫が入ったと思ったらそれがドラゴンだった…という始末なのです。つぶされたドラゴンの死体が積まれている描写があるなど、ドラゴンがほとんど害虫のような扱い。主人公の兄妹が英雄を起こそうとするものの上手くいかず、災害を止めるために新たな手段を探すことになるのですが、ここも非常にナンセンスな展開で開いた口がふさがりません。
 100年近く前の物語とは思えないほど、モダンでナンセンスな物語が多く、児童向けの本ではありますが、大人にもお薦めしたい作品集になっています。



メリサンド姫: むてきの算数! (おはなしメリーゴーラウンド)
イーディス・ネズビット『メリサンド姫 むてきの算数!』(灰島かり訳 高桑幸次絵 小峰書店)

 妖精に呪いをかけられることを恐れた王とおきさきは、娘のメリサンド姫の誕生祝いの会を開かないことにしますが、逆に妖精にうらまれて、いじわるな妖精ワルボラに呪いをかけられてしまいます。それは姫が一生、つるつるのはげ頭になるようにとの呪いでした。美しく成長した姫でしたが、やはり髪は生えてきません。王は、かって自分が名付け親の妖精からもらった、願い事が一つだけかなう魔法の小箱を使おうと考えます。おきさきの言葉通りに姫がかなえた願いは、一メートルの長さの金色の髪が生え、毎日三センチ伸び、切るたびに倍の長さになるように、との願いでした。皆は姫に髪が生えたのを喜びますが、その髪は際限なく伸びていました…。

 髪の伸びるのが止まらなくなった姫を描く、ユーモアたっぷりのファンタジー作品です。最初はちょこちょこ切っていた髪ですが、やがて収拾がつかなくなっていきます。髪の毛を国民の服「姫さま肌着」にしたり、それでも余った髪を他国へ輸出したりするようになるのです。
 やがて智恵と勇気をもった王子が現れ、メリサンド姫の髪を伸ばさない方法を考え出しますが、それによって新たな困難が持ち上がります。

 ネズビットのファンタジーは、魔法によって起こった事件のエスカレートの仕方が面白いのですが、本作品のそれもスケール感が豊かです。
 タイトル通り、髪の毛が切るたびに倍々になっていってしまう展開は抱腹絶倒。いろいろな製品に加工したり、輸出品になってしまうという展開は非常に楽しいです。髪を伸ばさない方法を見つけたと思ったら(その方法自体もナンセンスなのですが)、また別のトラブルが発生してしまいます。

 有名な古典童話作品、例えば「ラプンツェル」だとか「ガリヴァー旅行記」などのエッセンスがところどころにパロディ的に使われているのも楽しいですね。ほぼ毎ページに挿絵が入っており、こちらもユーモラスかつキュートなタッチで楽しいです。
 ナンセンスなユーモア・ファンタジー童話作品で、大人が読んでも充分に楽しい作品です。



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イディス・ネズビット作、リスベート・ツヴェルガー絵『国をすくった子どもたち』(猪熊葉子訳 太平社)

 小さな女の子エフィは、目のなかにゴミが入ったことに気がつき、医者である父親にゴミを取ってもらいます。しかしそのゴミはよく見ると小さな竜だったのです。その日から、虫のようなサイズに始まり、人間を食べてしまうような大きなサイズのものまで、竜が国中にあふれてしまうようになります。
 エフィと兄のハリーは、伝説の聖ジョージならば竜を退治できるのではないかと考え、聖ジョージ教会に向かいますが…。

 竜をモチーフにしたネズビットの短篇童話にツヴェルガーが絵をつけた絵本です。
 竜が大量に発生するという作品なのですが、ここでの竜はロマンティックなものではありません。目のなかに入ってきたり、スープに混入したりと、ほとんど害虫扱いなのです。大きいサイズのものでも、知能はあまりないようで、人に害を与える一方。退治するといっても、すさまじい数の竜が発生しているのです。子どもたちは竜を退治できるのでしょうか?

 聖ジョージに願いをしにいくあたりまでは、普通の童話のフォーマットなのですが、その後の展開が何ともナンセンス。ホラ話すれすれの味わいで、楽しい作品になっています。ツヴェルガーの挿絵も繊細ながらユーモラスなタッチになっています。ネズビットの作中で「竜」というよりは「トカゲ」的なイメージが強いのを考慮したものか、絵に描かれた竜も、爬虫類感が強いですね。

 このお話、「国じゅうがドラゴン」のタイトルで『ドラゴンがいっぱい!』(八木田宣子訳 講談社青い鳥文庫)という短篇集にも収録されています。



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イディス・ネスビット『緑の国のわらい鳥』(猪熊葉子訳 大日本図書)

 原著の1901年刊の童話集『九つのありそうもない話』から二篇を翻訳した本です。ファンタスティックな味わいの強い作品集になっています。

「緑の国のわらい鳥」
 ばあやのプリッドモアと共に、大嫌いなウイロビー大おばの元を訪問することになったマチルダは、ふくれっつらになっていました。乗り込む馬車を間違えてしまった二人は、見たこともない国に辿りつきます。そこは緑にあふれ、親切な王さまのいる国でしたが、いろいろとおかしな点があるのです。そして、ばあやは突然自動販売機になってしまいます。王さまが言うには、姫が可愛がっている鳥オオムハシが笑うたびに、国や人に何か不思議なことが起こるというのです。マチルダは王さまに協力して、鳥の笑いの秘密を探ろうとしますが…。
 魔法の力を持つ鳥によって国が滅茶苦茶になってしまうという不条理ファンタジー。鳥自身も何が起こるか分からず、ばあやが自動販売機になったり、総理大臣が小さくなったり、王様が肉屋になったりしてしまいます。
 たまたま鳥の力によって賢くなったヒロインが、頭が働くうちに対策を立てようとするのも可笑しいです。

「図書室のなかの町のなかの図書室のなかの町」
 家の図書室で留守番をしているロザマンドとフェービアンは、母親が出かける際に開けてはいけないといいつかったビューローの引き出しが気になってしまい、とうとう開けてしまいます。ビューローの上につみ木やブロック、本などでお城を作った二人は、自分たちがいつの間にかお城の中の町に入ってしまったことに気がつきます。その町の中にも自分たちの家を同じような家があり、そこに入っていった二人はその家の図書室にも同じようなお城があることに気がつきます。更にそのお城の中に入っていく二人でしたが…。
 幼い兄妹が、自分たちの作ったおもちゃのお城の町に入ると、その中に同じような家があり、更にその中に入っていってしまうという、入れ子状(空間的に)の物語です。どんどん深い層に入っていってしまい、そこから抜け出すことができるのか、というハラハラドキドキ感もありますね。
 人間の大きさが加速度的に小さくなるに従って、周りの世界は大きくなり…。眩暈がしてくるようなファンタスティックな作りで、これは実に魅惑的なお話です。



ネズビットきみのいきたいところ159
イーディズ・ネズビット『きみのいきたいところ』(吉田新一訳 学習研究社)

 原著『九つのありそうもない話』から二篇、同じく『まほうのせかい』から一篇、ネズビットのファンタジー短篇を収録しています。

「きみのいきたいところ」
 嫌いなおじさんとおばさんがやってきて、退屈していたセリムとトマシナのきょうだい。彼らに突然話しかけてきた赤と緑のゴムまりのあとをついていくと、そこは世界中でいちばん楽しい「きみのいきたいところ」でした。
 しかし、きょうだいが不満を抱くたびに、「きみのいきたいところ」の環境は悪くなっていきます…。
 ゴムまりに導かれ訪れた別世界は子どもの理想の場所でしたが、その環境にだんだんと満足できなくなってしまうという物語。序盤からおとぎ話的な雰囲気の濃い作品なのですが、クライマックスでは結構残酷なシーンもありますね。

「青い山」
 気みじかで色黒な人間ばかりが住む国アンテオケ。そこに住む少年トニーは、祖父である同名のトニー同様、穏やかな性格ゆえにその国では浮いていました。ある日亡き魔術師バーベックの墓石に予言が書かれているのを見つけたトニーは、王にそれを報告します。
 予言には「トニー」が青い山のミルクを飲むと巨人となり国を支配すると書いてありました。ミルクを入れた茶碗を持った巨人の少女を見つけたトニーは、そのミルクこそ予言のものと考え、それを手に入れようとしますが…。
 何やら思わせぶりな特徴を持つ国で、不思議な出来事が起こるのですが、この国や、後に登場する巨人の少女の意味合いが判明するシーンは見事ですね。
 少年が体験した出来事は、夢だったのか現実だったのかわからなくなるという結末にも味わいがあります。
 中国の有名な古典物語「南柯郡太守の物語」(李公佐)にすごくよく似たモチーフの物語です。直接の影響関係があるのかはわかりませんが、東西で似た発想の作品が書かれたのだとすると興味深いですね。

「さかなになった少年」
 いとこたちの家に遊びに来た少年ケネスは、いとこの一人アリスンが持ち出した姉エセルの指輪を無くしたことを自分のせいにされ、おばに叱られてしまいます。指輪を探しにボートに乗りながら「魚になりたい」と考えていたケネスは、自分がいつの間にか魚になっていることに気がつきます…。
 魚になってしまった少年を描く作品です。最初は喜んだ少年でしたが、池の中に閉じ込められてしまったことに気がつき、脱出方法を考えることになります。
 すべてが夢だったとも取れるのですが、最後にさらっとそれが夢ではなかった…という要素を入れているところが洒落ています。



宝さがしの子どもたち (福音館古典童話シリーズ)
イーディス・ネズビット『宝さがしの子どもたち』(吉田新一訳 福音館書店)

 経済的に苦しいバスタブル家の子どもたちが、知恵を出し合って「宝さがし」をし、幸福を手に入れるという物語です。
 かって豊かだったバスタブル家は、母親を亡くし、父親は取引相手に騙され経済的な苦境に陥ってしまいます。六人の子どもたちは、自分たちでお金を儲けて家を建て直そうと、いろいろな活動をすることになります。しかしそれらはなかなか成功せず、成功してもすぐにその成果は無くなってしまいます…。

 子どもたちが父親や家を助けようと「宝さがし」をするという物語です。この場合の「宝さがし」は文字通りの、土を掘り返す宝さがしだけでなく、何か商品を作って売ったり、新聞を発行して売ったり、金持ちの人間を助けて謝礼をもらったりと、広い意味での経済活動なのです。
 あの手この手でお金を稼ごうとする子どもたちですが、その幼さゆえに、思い込みで動いたり、知識が足りなかったりと、様々な原因で失敗してしまうことが多くなっています。しかし、子供たちは失敗を繰り返してもあきらめず、互いにきょうだいに対して思いやりを忘れません。また「宝さがし」をしていく中で成長し、また親切な大人と出会ったりと、人脈を広げていくことにも成功します。

 子どもたちも、それぞれ個性豊かに描かれています。長女でしっかり者のドラ、寛大で男気のある長男オズワルド、几帳面な次男ディッキー、病気がちながら詩人肌の三男ノエル、正義感に厚い二女アリス、茶目っ気のある末っ子H・O。
 特に、リーダー的存在のオズワルド、感受性が豊かで作中でもたびたび詩を作る詩人肌のノエルのキャラクターは際立っていますね。

 ファンタジー系統の作品に比べ、かなり現実がシビアに描かれる物語です。著者ネズビットは、経済的に苦しんだ時期が長かったとのことですが、そのあたりの現実感覚が反映されているのでしょうか。ただ、心温まる楽しいエピソードが多いので、あまりペシミスティックな感じにはなりません。
 子供たちが自分たちで新聞を作って売ろうと考える「新聞の編集をする」、父親の友人を泥棒と勘違いしてしまい、捕まえた直後に本物の泥棒が侵入してしまうという「どろぼうとこそどろ」などのエピソードなどは楽しいですね。
 「詩人」のノエルだけでなく、子どもたちは皆本が好きなようで、たびたび本や作家に関する記述も表れます。ネズビット自身の好みでもあるのか、キプリングは優れた作家として言及されていますね。

 子どもたちが行う「宝さがし」は、「お金」が目的ではあり、その行為自体も現実的ではありながら、どこかファンタジーにあふれています。やがて子どもたちの純真さが、バスタブル家に幸福を呼び込むことにもなるのです。
 作中での「現実」と「空想」のバランスが非常に上手くとれており、日常の中の「ファンタジー」を描いた作品として、児童文学の名作といってよいのではないでしょうか。



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イーディス・ネズビット『よい子連盟』(酒井邦彦訳 国土社)

 インド帰りで母親の親戚である資産家のおじさんの屋敷に、父親ともども世話になることになったバスタブル家の子どもたち、オズワルド、ドラ、ディッキー、アリス、ノエル、H・O。経済的な問題が解決しても、彼らの遊びとそれに伴ういたずらは収まりません。
 「罰」として、彼らは田舎の家に預けられることになります。家族の友人である、アルバートのおじさんの監督のもと、子どもたちは田舎の掘割屋敷で過ごすことになります。父親の知り合いの子ども、デージーとデニーも加わり、彼らは、よい子になるために「いつかよい子連盟」を結成しますが…。

 児童文学の名作『宝さがしの子どもたち』の続編です。前作に引き続き、バスタブル家の子どもたちの冒険(といたずら)が描かれていきます。
 前作では、父親や家を助けるために、経済的にお金を稼ぐという方向で活動していた子どもたち。今作ではその経済的な心配がなくなったため、彼らの活動はより「遊戯的」な性格が強くなっています。それに伴い、いたずらの結果(被害)もかなり強烈になっています。
 川をせきとめたり、家が水浸しになったり、橋が燃えたりと、経済的な損失も大きくなっています。子どもたち自身も怪我をしたり、ひるに吸い付かれたりと、ある種やりたい放題。前作よりも純粋に冒険小説な要素が濃くなっていますね。

 よい子になるはずの「いつかよい子連盟」が全く守られず、結局解散してしまう、という流れも非常に楽しいです。前作の「宝さがし」のような、作品全体を通してのテーマはないのですが、今作では後半に、アルバートのおじさんの縁結びというテーマが登場します。
 その顛末も、子どもたちならではの早とちりと思い込みでユーモラスなものになっています。子どもたちは、おじさんを結婚させることができるのか?

 今作の子どもたちの冒険は遊びの要素が強いので、前作のように、子どもたちが大人の商売に手を出してそのギャップが面白おかしく描かれるわけではなく、純粋に子ども目線で子どもの遊びが詳細に描かれる…という感じになっています。
 大人が読んでも充分に面白いのですが、子どもの頃に読むほうがもっと楽しめる感じがする作品ではありますね。



鉄道きょうだい
イーディス・ネズビット『鉄道きょうだい』(中村妙子訳 教文館)

 ボビー、ピーター、フィリスの三人のきょうだいは父母とともに幸せに暮らしていましたが、ある日父親は警察に連れていかれ帰ってこなくなってしまいます。母親とともに田舎に引っ越した子どもたちは貧乏な生活を余儀なくされますが、現地の鉄道やその職員、周囲の人間たちと仲良くなります。知り合いが増えるにしたがって、彼ら家族の生活も明るくなっていきますが…。

 父親がいなくなり、母親と共に田舎で貧しい生活を送ることになった三人の子どもたちが、鉄道やその職員たちと友達になり力強く生きる…という作品です。
 聡明で明るい子どもたちが、現実の苦難にも負けず強く生きていく…という児童文学の王道的な作品ではあるのですが、そこはネズビット、そうした厳しい生活の中にも明るさとユーモアたっぷりのエピソードが詰め込まれており、非常に読み心地のよい作品になっています。

 近くを通っている鉄道に夢中になり、その職員や周辺の人々と仲良くなっていく子どもたち。子どもたちがたまたま行った人助けにより、有力者と知り合いになり、それが彼らの生活を助けることにもなります。ファンタジー要素はないので、ネズビットの他作品ほど破天荒な展開はないものの、子どもたちが出会う冒険や事件には、やはりわくわくさせる要素があります。鉄道事故を未然に防いだり、火事から赤ん坊を救ったり、トンネル内で怪我をした子どもを救出したりすることになるのです。
 子どもたちが勇敢で聡明なのは、他作品のそれと同様ですが、本作では、子どもたちの手先が器用であること、彼らが行う対策がわりと現実的であることから、ネズビット作品特有の「ドタバタ感」は薄めです。ただ、子どもたちが常時家族を含めて、利他的な精神で動くので、周囲の人々を幸せにし、自分たちも幸せになってゆくという、後味の良い作品になっています。

 後半では、消えてしまった父親の秘密が明らかになります。子どもたちは父親と再会することができるのか? それまでの子どもたちの善意が実を結ぶ結末には、ある種の感動があります。特に鉄道を使ったクライマックスの視覚的なシーンにはインパクトがありますね。児童文学の名作といってよい作品だと思います。

 この『鉄道きょうだい』、かって『若草の祈り』(1970)というタイトルで映画化されています。その際に同名タイトルで邦訳もされているようです。本書は新訳ですが、訳文も読みやすいです。
 訳者解説によると、本書の父親をめぐる陰謀については、当時世間を騒がせた「ドレフュス事件」の影響もあるのではないかとのことです。


以下、アンソロジーや雑誌に収録された、ネズビットの大人向け怪奇短篇もいくつか紹介しておきますね。


E・ネスビット「あずまや」(佐藤ひろみ訳『ミステリマガジン1986年8月号』早川書房 収録)

 資産家のフレドリックが伯母と暮らすドリコート館を訪れた平凡で地味な娘アミーリア。フレドリックの友人セシジャーに思いを寄せるアミーリアでしたが、彼は美しい娘アーニスティンに夢中でした。
 アーニスティンをめぐって、館のあずまやでの肝試しを主張したセシジャーとフレドリックは一夜をその小屋で過ごすことになります。家に古くから伝わる本によれば、あずまやで何人も死者が出ているというのですが…。
 吸血鬼物語のバリエーション作品なのですが、男女四名の「恋の鞘当て」的な心理描写が秀逸です。一人だけ蚊帳の外に置かれた感のあるヒロインの行動が物語を動かすのですが、淋しげな結末にも味がありますね。


イーディス・ネズビット「影」(BOOKS桜鈴堂訳『夜のささやき 闇のざわめき』Amazon kindle 収録)

 舞踏会の後の夜に「私」を始めとした若い女の子が三人集まって、幽霊話に興じていました。そんな折、ふとドアを叩いたのは、家事を取り仕切っているイーストウィックさんでした。無口な性質のイーストウィックさんでしたが、たまたま彼女を知らない年下の子から促されて、自分の体験したという怖い話を始めます。それは彼女の友人夫婦に関する話でした。
 友人のメイベルとその夫が暮らしていたのは新築の綺麗な家でした。しかし夫はその家に不気味なものを感じるというのです。やがてイーストウィックさん自身も戸棚から不気味な「影」が現れるのを目撃します…。
 不気味な手触りの怪奇小説です。直接描写はされないのですが、過去に友人夫婦とイーストウィックさんとの間に何かがあったこと、おそらく夫婦の夫(作中では「あの人」と呼ばれます)とイーストウィックさんは、かって恋人だったのではないかということが仄めかされています。怪異現象として現れる「影」も幽霊や妖怪というよりは、イーストウィックさんから発した「生霊」のような解釈もできそうな感じです。ただ、直接関係のない夫婦の娘にまで「影」が影響を及ぼしているという展開はかなり怖いですね。
 語り手たちが「機械」のように扱っていたというイーストウィックさんにも感情があり、彼女自身の過去の事件の語りを通して、その情念を感じさせる…という部分も興味深いです。非常にモダンな怪奇小説でありました。


イーデス・ネスビット「ハーストコート城のハースト」(南田幸子訳『安らかに眠りたまえ 英米文学短編集』海苑社 収録)

 尊大な態度から男性には嫌われているものの、女性には何故か絶大な魅力を及ぼす男ハースト。黒魔術の研究書を出版したハーストは一躍人気作家になります。村一番の美女と言われるケイトと結婚したハーストは、一族の城、ハーストコート城を相続します。学生時代からの親友で医者である「僕」は、ハーストに招かれ、ハーストコート城を訪れます。そこで見たのは、更なる美しさを重ねたケイトと、かってとは別人のように好人物となったハーストでした。
 愛し合うハースト夫妻を好ましく思う「僕」でしたが、ある時を境にケイトが病に陥り、重態に陥ります。しかも倒れる直前に、彼女はハーストについての懸念を「僕」に打ち明けていました…。
 古城で展開されるゴシック・ロマンス風味の強い怪奇幻想作品です。かって黒魔術に凝っていた夫は、妻に対して何を行ったのか? ポオの有名な短篇作品と同じアイディアが使われていますが、こちらの作品ではそれが夫婦の愛情の絆を表すものとして使われています。名作といっていい作品では。


以下の作品レビューも参考までに載せておきますね。
『砂の妖精』『火の鳥と魔法のじゅうたん』『魔よけ物語』
http://kimyo.blog50.fc2.com/blog-entry-1037.html
『アーデン城の宝物』『ディッキーの幸運』
http://kimyo.blog50.fc2.com/blog-entry-1041.html
『魔法の城』
http://kimyo.blog50.fc2.com/blog-entry-1040.html

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

滋味豊かなアンソロジー  翻訳同人誌を作ろうの会編『ほんやく日和 19-20世紀女性作家作品集』
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 翻訳同人誌を作ろうの会編『ほんやく日和 19-20世紀女性作家作品集』は、19~20世紀の海外女性作家の珍しい翻訳作品を集めたアンソロジー。童話、ファンタジー、怪奇小説など様々な作品が収録されており、楽しい作品集になっています。
 以下、収録作品について紹介していきましょう。

ケイト・グリーナウェイ「窓の下 こどもたちの絵とライム」(小谷祐子訳)
 絵本画家として有名な著者の、こどもやその生活をモチーフにした詩の抜粋です。童心あふれる瀟洒な作品になっています。

ビアトリクス・ポター「リスのティミーさんのおはなし」(山本みき訳)
 冬に備えて木の実を集めていた灰色リスのティミーと妻のグッディ。しかし小鳥の歌でティミーが盗みをしたと勘違いしたほかのリスたちによって、ティミーは小さな木の穴に押し込められてしまいます…。
 リスの夫婦を主人公にしたかわいらしい物語。とはいえ彼らは酷い目にあってしまいます。主人公たちに協力してくれるシマリスたちもキュートですね。

ルーシー・モンド・モンゴメリー「不法侵入」(岡本明子訳)
 体の不自由な妹と未亡人の母親を助けるため働く少年ダンは、家計の足しにと行っていた池のマス釣りが、新参の所有者ウォルターズ氏によって禁止されていたことを後から知ります。ダンは、ウォルターズ氏に事実を正直に話そうとしますが…。
 正直な少年が報われるという物語です。現代の読者からすると、少年のあまりの正直さに驚いてしまいますが、それだけに気持ちの良い物語と感じられますね。

イーディス・ネズビット「気高い犬」(井上舞訳)
 雑種の猟犬の「ぼく」は、血統書付のニューファンドランド犬のローバーが枝を拾おうとしないのに驚きます。枝などに興味はないと言うローバーでしたが…。
 ユーモアを交えて二匹の犬が対比的に描かれる作品です。タイトルが上手く付けられていますね。

イーディス・ネズビット「染めもの屋の犬」(井上舞訳)
 深いピンク色の毛におおわれた雌犬ベッシー嬢に一目ぼれしてしまった「僕」でしたが、会うたびに彼女の体の色は変わっていきます…。
 次々と毛の色が変わってしまう犬を描く物語。毎回それについて言い訳するベッシーの姿が非常にユーモラス。

イーディス・ネズビット「セミ・デタッチドハウスの怪」(井上舞訳)
 よんどころない事情から夜に恋人を待っていた男は、彼女の家に人気がないのを不審に思い、家の中に入ります。そこで見つけたのは若い女性の死体でした…。
 殺人を予知した男を描く怪奇小説です。深夜死体を見つけるシーンには迫力がありますね。

ガートゥルード・アザートン「川の渡り」(前田陽子訳)
 行方の知れなくなった親友ワイアットの生存を信じ、彼を探し続けるウェイゴール。やがてワイアットらしき人物が川に流されそうになっているシーンに遭遇しますが…。
 互いに親愛の情を抱く男たちの友情物語かと思いきや、不穏な結末へ。これは何とも心に残る作品ですね。

ジュリアナ・ホレイシア・ユーイング「ひとり目の妻の結婚指輪」(朝賀雅子訳)
 母の死後兵士になって家を出た息子は父から結婚指輪を預かります。一方再婚した父は再び息子を授かります。やがて故郷に帰ってきた息子は様変わりしていましたが、
 指輪をなくしてしまったために、継母は彼を跡継ぎとは認めません。指輪を探そうと出かけた息子は巨人と出会いますが、彼が言うとおりにすれば指輪は見つかるというのです…。
 運命を変えて幸福になる青年を描いた童話作品です。「敵」である巨人が妙に紳士的、というのも面白いですね。

 本書は同人出版として刊行された本ですが、非常に質の高いアンソロジーでした。続刊を期待したいところです。

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怪奇画廊  『四次元への招待』
四次元への招待 -日本語吹替音声収録コレクターズ・エディション- [DVD]
 『ミステリーゾーン』の後に、ロッド・サーリングが関わったオムニバスドラマシリーズ『四次元への招待』(原題『ナイト・ギャラリー』)。パイロット版三話はビデオ時代から発売されていましたが、今回第一シーズンがまとめてDVD-BOX化されました。
 SF・ファンタジー寄りだった『ミステリーゾーン』に比べ、『四次元への招待』は全体にホラー味が強いのが特徴です。

●パイロット版

「復讐の絵画」
 遺産目当てに伯父を殺した甥は、伯父の死後、屋敷に飾られた伯父の絵がだんだんと変化するのに悩まされていました。執事に訊いてみても絵に変化はないというのです。絵の変化は自分にしか見えないのだろうか…。
 殺した伯父の描いた絵が変化するという絵画怪談です。墓地の情景に棺桶が現れたり、そこから死人が起き上がってきたりと、物語の展開が絵だけで表されるという技巧的な作品です。M・R・ジェイムズ風の怪奇的な雰囲気がたまりません。

「アイズ」
 資産家の夫人メンロー女史は、生まれつき目が見えませんでしたが、他人の視神経を移植することで一時的に視力を回復する手術を行います。しかし視力を回復したとしても数十時間しか持たないこと、他人の視力を奪うことになることから、医師は反対しますが、医師の弱みを握ったメンロー女史は無理矢理手術を決行しまう…。
 若きスピルバーグの監督作で、超自然味はないものの非常に面白いサスペンスに仕上がっています。皮肉な結末も魅力的です。

「絵になった男」
 アルゼンチンに潜伏中のナチ戦犯ジョセフは、追い詰められたストレスから精神を消耗していました。ある日美術館で見た釣り人を描いた絵に惹かれた彼は、絵を見ている内に一時的に絵の世界の中に入ってしまいます…。
 主人公である戦犯の男が精神的に追い詰められていく過程をじっくり描いていて重厚な作品です。悪人だけれども同情の余地があるように描かれていて、それでも残酷な結末になってしまうというのには味わいがありますね。


●第一シーズン

「生と死」
 レッドフォード博士は、精神的な暗示により肉体に様々な病を再現できる特異体質の青年を使って研究をしていました。「完全な健康体」の暗示をかけられた青年は輝くばかりの肉体美を発揮しますが、博士の妻は青年に夢中になってしまいます。催眠術による仮死状態の実験中、青年は目を覚まさなくなってしまいますが…。
 催眠をテーマにした怪奇作品です。催眠術にかけられたまま死んだ青年はどうなってしまうのか? という、ポオの「ヴァルドマアル氏の病症の真相」を思わせる怪奇譚になっています。
 演出が上手く、なかなかに怖いエピソードになっています。原作はフリッツ・ライバー「死んでいる男」(仁賀克雄訳 マイクル・パリー編『フランケンシュタインのライヴァルたち』ハヤカワ文庫NV 収録)。

「家政婦」
 資産家で美人ながら性格の悪い妻。彼女から離婚を切り出される寸前の夫は、黒魔術を使って家政婦と妻の人格を入れ替えようと考えますが…。
 人格入れ替わりをテーマにした作品です。カエルを使った黒魔術の様子が何ともおかしいですね。ブラックなコメディ作品です。

「窓からの景色」
 寝たきりでベッドから動けない資産家ジェイコブは、双眼鏡で外を眺めているうちに、妻と運転手の浮気に気付きます。運転手と婚約中の看護婦にある用事を言い渡すジェイコブでしたが…。
 これはファンタジーではないクライム・ストーリー。達観した資産家のキャラクターにブラック・ユーモアが効いていますね。
 ロッド・サーリングのドラマというよりは、『ヒッチコック劇場』的な感覚が強いですね。

「小さい鞄」
 元医師ながらホームレスに落ちぶれてしまった老人ウィリアム。彼がゴミ箱から見つけたのは医者の診療鞄で、中には見たこともないような器具が詰まっていました。ウィリアムはその道具を使って、少女の重い病気を治すことに成功します。
 鞄が未来から送られてきたものだと考えたウィリアムは、それを使って人々の病気や怪我を治そうと考えますが…。
 未来の医療器具を手に入れた元医師が、それを使って人々を癒やそうとする物語です。予算の関係なのか、手術や治療の際の特殊効果は全く写されず、メスや道具を振り上げた状態で次のシーンに行ってしまうのがちょっと残念。
 原作は、C・M・コーンブルースのSF短篇「小さな黒いカバン」(逸見一好訳「SFマガジン1974年8月号」早川書房 収録)です。

「見えざる敵」
 月面基地の建築のために送られた隊員からの連絡が途絶え、救助に向かった宇宙飛行士から宇宙センターに連絡が入ります。人々の姿は全くなく、ようやく彼が見つけたのは奇妙な人工物でした…。
 月にいた「敵」とは何なのか? ちょっとブラックなSFホラー作品です。

「夢に見た家」
 サナトリウムを退院する直前の若い女性は、主治医に自分が何年も見ているという夢の話をし始めます。それは車に乗った自分が、通りかかった美しい家の前で車を降りてドアのノッカーを叩くという夢でした。ドアが開かれる直前に夢はいつも終わってしまうのです。
 どこかで見た家の記憶が無意識に残っているのではと主治医は話しますが、女性は釈然としません。退院した女性は来るまで走っている途中に、夢の家と瓜二つの家を見つけます。たまたま居合わせた不動産屋の男からちょうど家が売りに出されていることを知り、家を買う決心をする女性でしたが、不動産屋からこの家には幽霊が出るということを聞かされます…。
 原作はアンドレ・モーロワ「夢の家」(矢野浩三郎訳 各務三郎編『世界ショートショート傑作選1』講談社文庫 収録)です。非常に魅力的なエピソードだったのですが、原作のモーロワ作品はかなり短いショート・ショートだったはず。
 ちょっとこちらも読み直してみました。主人公の女性が夢に見た家を訪れるという流れは同じです。大きく違うのは女性が入院していたり主治医と話すような描写はないことと、夢の家を訪れた際にそこで管理人と出会って詳細を聞かされる、というところでしょうか。基本的に原作はオチでびっくりさせる作品なのですが、ドラマの方は詳細を膨らませ幻想的なエピソードにしている感じですね。
 ドラマ版では、夢の家を買って自分で住むようになってからの展開を描いているところが興味深いです。単純なオチのある話ではなく、ちょっと哲学的な味わいもある幻想譚になっていて、これは魅力的なエピソードでした。

「影を残すもの」
 屋敷の主である長女のエマは死の床についていました。姉の世話をするために呼ばれている医師の弟スティーヴンは、もう二人の姉レベッカとアンに、エマはあと数日の命だと話します。まだ生きているエマの遺産について話すスティーヴンに二人の姉は眉をひそめますが、その最中にエマが亡くなります。
 その直後から、壁にエマと思しい影が出現します。光線の具合を変えても家具の位置を変えてもその影は消えません。ペンキで塗りつぶしてしまおうとするスティーヴンでしたが、それでも影は消せません…。
 原作はメアリー・ウィルキンズ・フリーマン「壁にうつる影」(梅田正彦編訳『ざくろの実 アメリカ女流作家怪奇小説選』鳥影社 収録)。重々しい雰囲気に満ちた、ゴシック調のゴースト・ストーリーです。
 古屋敷に住み、病床の姉と遺産をめぐっていがみ合う姉弟たち。ドロドロとした人間ドラマの背景に、怪奇現象が起き続ける…というエピソード。幽霊そのものは出現せず、ただ壁に映る影が映し出され続ける、というシンプルな演出ながら、怖さは一級です。
 結末の処理もさらに怖いです。サイコ・スリラー的な怖さと超自然現象の怖さが相乗的に現れているという作品ですね。原作とは設定や登場人物を変えていますが、原作の味を生かしつつ、ドラマならではの効果も出せている秀作だと思います。

「笑いを売る男」
 売れないお笑い芸人のジャッキーは、酒場で“奇跡を起こす男”を名乗る男に出会います。何でも願いを叶えることができるという男に、ジャッキーは自分の話で人々が笑うようにしてほしいと頼みます
 男は自分の願いは不完全であり、必ず副作用を伴うといいますが、ジャッキーは押し切って願いを叶えます。やがてジャッキーが口を開くだけで、人々は爆笑するようになりますが…。
 あらゆる人間を笑わせる能力を手に入れた男が皮肉な運命に直面する…というストーリーです。主人公の芸人が必死でギャグを言うものの、観客がみな冷めている、というシーンの演出は冴えていますね。

「追う者と追われる者」
 狩りこそ人生だと称する元軍人の父親に、息子は根性なしと罵られていました。弁護士から、亡き妻から息子への信託財産のサインを求められた父親は、その条件として息子に野生の獣を一頭殺すことを求めます。
 息子は反発しながらも、父親に従って狩りに出ます。一方、父親に仕えていたアフリカ人の召使いは呪術の儀式を行っていました…。
 強圧的な父親と心優しい息子との対立が描かれる作品です。息子を罵倒し続ける父親に対して、息子が銃を構えるシーンにはインパクトがあります。正直、親子の対立を描く部分と、召使いが行う呪術の部分とが少々ミスマッチなきらいもあるのですが、親子間のドラマ部分が秀逸なのであまり気になりません。

「死してのち」
 ジョナサンの前に死んだ妻の亡霊が現れ、生前と変わらぬおしゃべりを始めます。ジョナサンはそんな妻に嫌気がさして彼女を殺したというのですが…。
 妻を殺した夫がその死後も妻の幽霊のおしゃべりに悩まされるというブラックな短篇です。

「ただ一人の生存者」
 客船に救助された遭難者の男は、タイタニック号が沈没する際に脱出したと話します。しかしタイタニック号が沈んだのは三年も前のことなのです。戦時中ということもあり、船長や医師たちは、男がドイツのスパイなのではないかと疑いますが…。
 男の正体はいったい何なのか? 『ミステリーゾーン』風の奇妙な味の物語です。

「呪いの人形」
 インド帰りの軍人マスターズ大佐が家に帰ると、姪は気味の悪い人形で遊んでいました。人形はインドから送られてきており、家庭教師は大佐の贈り物だと考えていましたが、大佐はそんなものは送っていないと言います。姪によれば、人形は頻繁に話しかけてくるというのですが…。
 届けられたインドの人形の呪いにより家の主人が殺されてしまうという話です。原作はアルジャーノン・ブラックウッドの「人形」『幽霊島 世界恐怖小説全集2』(平井呈一訳 東京創元社 収録)という短篇です。
 原作からちょっと詳細を変えているのですが、大きく変えているのが結末。原作は原作で怖いのですが、このドラマ版も、結末はかなりショッキングで怖いですね。登場する人形の造形もかなり気味が悪いです。

「過去からの歌声」
 かっては才気豊かだった販売部長ランディは、中年になり気力を失っていました。思い出すのは若い頃、亡き妻がまだ生きていたころのことばかり。若き日に通った馴染みの酒場が壊されるのを知った彼は段々と投げやりになっていきます…。
 「ミステリーゾーン」の名エピソードを彷彿とさせる、ノスタルジックなテーマのエピソード。度々過去の世界に足を踏み入れようとする主人公が描かれるのですが、単純な「逃避」にはならない展開には奥深いものがありますね。評価の高かった脚本ということですが、確かに名作エピソードだと思います。

「あやまち」
 半身不随で寝たきりになった男は、妻と主治医とが不倫をしていると思い込んでいました。意思の力で霊体化したまま動けることが出来るようになった男は、主治医を殺害しようと考えますが…。
 超自然的な能力を利用して殺人を考えた男の話。オチは非常にブラックですね。
原作はデイヴィス・グラッブ「離魂術」(柿沼瑛子訳『月を盗んだ少年』ソノラマ文庫海外シリーズ 収録)です。


 この『四次元への招待』、ロッド・サーリングが深く関わったシリーズということで、もう一つの『ミステリーゾーン』的な印象が強いのですが、実際のところ、怪奇・ホラー色が思った以上に強く、ホラーファンに訴えるところのあるシリーズではないかなと思います。サーリングのオリジナル脚本にしても怪奇色が結構強いですし。
 印象に残ったエピソードとしては、死んだ叔父の絵画が変化するという怪奇談がひねりをつけて語られる「復讐の絵画」、特異体質の青年に催眠術をかけ死なせてしまうという「生と死」、未来の医療器具で人々を直そうとする元医師の物語「小さい鞄」、夢に見た家を実際に手に入れるという「夢に見た家」、死んだ長姉の影が壁に映り続けるという「影を残すもの」、タイタニック号の生存者だという男が三年ぶりに救助されるという「ただ一人の生存者」、インドから送られてきた人形の呪いを描く「呪いの人形」、過去の時代を懐かしみその時代に戻ろうとする男を描く「過去からの歌声」などが挙げられるでしょうか。
 第二シーズン以降も、怪奇系のエピソードが多いらしく、そちらもぜひDVD化してもらいたいものですね。

 2018年末に、『四次元への招待』のガイドブックとして、尾之上浩司編『ロッド・サーリングと『四次元への招待』完全読本』(洋泉社)が出版されています。ついでにこちらも簡単に紹介しておきますね。


ロッド・サーリングと『四次元への招待』完全読本
尾之上浩司編『ロッド・サーリングと『四次元への招待』完全読本』(洋泉社)

 「ミステリーゾーン」の生みの親、ロッド・サーリングのもう一つの代表的アンソロジー・ドラマシリーズ『四次元への招待』を紹介したガイドブックです。
 ドラマのエピソードガイドだけでなく、シリーズが作られることになった由来や製作者・番組に関わった人々についての解説、サーリング自身の伝記的な部分も面白く読むことができます。

 興味深いのは『ミステリゾーン』と異なり、『四次元への招待』に関してはサーリングが番組の全権を握っていたのではないということ。プロデューサーのジャック・レアードとの対立の中、苦心するサーリングの姿が描かれています。
 このジャック・レアードが古典怪奇小説のファンだったらしく、それもあって番組の怪奇色が強くなったようです。原作に取り上げられている作品は、怪奇幻想ファンにとっては魅力的なタイトルが並んでいますね。
 フリッツ・ライバー「死んでいる男」、アンドレ・モーロワ「夢の家」、メアリー・E・ウィルキンズ・フリーマン「壁にうつる影」、ディヴィス・グラッブ「離魂術」、マーガレット・セント・クレア「地震を予知した少年」、ジョルジュ・ランジュラン「他人の手」、ヴァン・ヴォクト「最後の魔女」、ジョーン・エイキン「ママレード・ワイン」、デイヴィッド・イーリイ「理想の学校」、コンラッド・エイケン「ひそかな雪、ひめやかな雪」、M・W・ウェルマン「悪魔を侮るな」、リチャード・マシスン「箱の中にあったものは?」、オーガスト・ダーレス「幽霊屋敷」「黒い髪の少年」、ラヴクラフト「ピックマンのモデル」「冷気」、R・C・クック「園芸上手」、リチャード・マシスン「葬式」、C・A・スミス「妖術師の帰還」、フリッツ・ライバー「飢えた目の女」など。ドナルド・ワンドレイやブラックウッドの未訳作品が原作のものもあるようです。

 編者の尾之上浩司さんによれば、出来の悪いエピソードも相当あるそうですが、怪奇幻想ファンとしては気になるエピソードがたくさんあります。例えば、ラヴクラフト原作、ロッド・サーリング脚色の「冷気」なんてすごく気になりますね。
 番組自体を観たことがない人でも、非常に面白く読める本ですので、ロッド・サーリングや怪奇幻想小説に関心のある人にはお薦めしておきたいと思います。版元の洋泉社が消滅した関係で、いずれ入手が難しくなると思いますので、興味のある方は今のうちに。

テーマ:ホラー映画 - ジャンル:映画

世界のはじまり  ペネローピ・ファーマー『イヴの物語』
イヴの物語 (シリーズ百年の物語)
 ペネローピ・ファーマー『イヴの物語』(金原瑞人訳 トパーズプレス)は、聖書の創世記、アダムとイヴが楽園から追放されるまでを、イヴの視点から描いた物語です。

 神によって作られた楽園エデンの園。アダムの肋骨から作られた女性イヴは、夫とともに幸せに暮らしていました。しかし、アダムの先妻リリスや、智恵や技術を持つ「蛇」、そして「蛇」の友人でもある堕天使サマエルらと触れ合ううちに、好奇心を持ち始め、やがて禁断の木の実に手を出してしまいます…。

イヴが禁断の木の実を食べたのは、悪魔や蛇の誘惑によるものではなく、イヴ自身によるものだった…という、イヴは自立した女性だったというテーマで描かれた作品です。アダムが神の意図を疑わない敬虔な「信者」であるのに対し、イヴは知的好奇心を持ったり、世界のしくみに疑問を抱いたりし始めます。

イヴは、アダムの先妻リリスや「蛇」たちから話を聞くことにより、精神を育むことになるのですが、彼女に最も影響を与えることになるのが「蛇」です。この作品では、「蛇」はもともと四肢を備えた人間に近い知的な生物で、アダムやイヴの知らない知識や技術を持っているとされています。
「エデンの園」では必要のない高度な工業技術や、はるか未来のものと思われる「物語」を語るなど、技術や文明を司るようなキャラクターとして描かれています。そんな「蛇」やリリスたちからの影響もありながら、イヴが自ら禁断の木の実を食べて楽園を追放されるまでが描かれますが、それは「罰」というよりも、神からの自立、女性としての自立としての意味が強いものになっています。

 創世記の物語だけに「神」も登場しますが、その登場は間接的なものに限られています。代わりに頻繁に登場するのが直属の部下であるミカエルやラファエルなどの大天使。
 しかし天使たちは非人間的で冷たいキャラクターとして描かれています。「蛇」が非常に 人間的なキャラクターとして描かれているのとは対照的ですね。

 アダムとイヴを描いたファンタジーとしては、他にもマーク・トウェイン『アダムとイヴの日記』などがありますが、こちらのファーマー作品はよりシリアスでテーマ性の強い作品になっています。ただ、非常に読みやすく面白い物語なので、お薦めしておきたいと思います。

 ちなみに、トパーズプレスは評論家の瀬戸川猛資さんが創設した出版社で、本の紹介誌「BOOKMAN」などを出していました。<シリーズ百年の物語>は、20世紀の約100年間に書かれた面白いフィクションをジャンル問わず紹介するというコンセプトの叢書で、幻想的な要素の比率も高いです。

<シリーズ百年の物語>(トパーズプレス 1996年)のラインナップです。

1 ペネローピ・ファーマー『イヴの物語』
2 マーク・マクシェーン『雨の午後の降霊術』
3 ジャック・ロンドン『海の狼』
4 ウィリアム・スリーター『インターステラ・ピッグ』
5 デイヴィス・グラッブ『狩人の夜』
6 シャーロット・アームストロング『魔女の館』

 『雨の午後の降霊術』『狩人の夜』『魔女の館』に関しては、創元推理文庫より文庫化されています。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

物語の饗宴  サッパー『十二の奇妙な物語』
十二の奇妙な物語 (論創海外ミステリ)
 イギリスの作家サッパーの短篇集『十二の奇妙な物語』(金井美子訳 論創海外ミステリ)は、恋愛もの、ミステリ、サスペンス、恐怖小説と、様々なジャンルの物語が楽しめる作品集です。オーソドックスな話が多く、その点先が読めてしまうものも多いのですが、面白く読めてしまうのは不思議です。

 ロンドンの秘密クラブで会員たちが面白い話を披露していく…というのが前半の設定です。それぞれの会員たちが自分の職業に関連した話をしていくという形になっています。後半はそこから離れて、それぞれ独立したエピソードが続きます。

 自分が天才女優だと信じる女性にだまされたふりをする俳優を描く「俳優の話 キルトの布きれ」、夫を殺害した女性への恋心と仕事に対する使命感に引き裂かれる弁護士を描く「弁護士の話 サー・エドワード・ショーハムの決断」、余命を先刻された青年が恋人に嫌われようとする「医者の話 死の宣告」、作家が犯罪計画に巻き込まれるという「作家の話 アップルドアの花園」、過去に惨劇のあった屋敷で怪現象が起こるという「古びたダイニングルーム」、死んだ親友の恋人に求婚していた男が記憶を無くした親友を見つけるという「ジミー・レスブリッジの誘惑」、気位の高い美女と世捨て人の青年との恋模様を描く「レディ・シンシアと世捨て人」、南アフリカの僻地で自暴自棄になった男を描く「酔えない男」などが面白く読めますね。

 基本的に、どのエピソードもかなり古典的な展開の話が多いのですが、最後まで安心して読める安定感があります。オーソドックス、というと聞こえが悪いかもしれないですが、言い方を変えると「王道」といってもいいでしょうか。
 人間同士の心理のすれ違い、プライドや愛情ゆえの行き違いなど、説得力のある人間ドラマが丁寧に描かれているのが魅力でしょうか。その意味で、犯罪ものや怪奇ものよりも、恋愛ものの方に生彩が感じられますね。アンハッピーエンドはあるものの、基本後味が良い物語ばかりなのも好印象です。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学



プロフィール

kazuou

Author:kazuou
男性。本好き、短篇好き、異色作家好き、怪奇小説好き。
ブログでは主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。twitterアカウントは@kimyonasekaiです。
怪奇幻想小説専門の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。twitter上の怪奇幻想ジャンルのファンクラブ「 #日本怪奇幻想読者クラブ 」主宰。
『ミステリーズ!vol.96』(東京創元社)に怪奇小説の翻訳概況を書きました。
同人誌『海外怪奇幻想小説アンソロジーガイド』を2019年8月に刊行しました(完売しました)。
「海外怪奇幻想作家マトリクス・クリアファイル」、同人誌『物語をめぐる物語ブックガイド』『迷宮と建築幻想ブックガイド』を盛林堂書房さんで通信販売中です。



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